22 : 分からないこと
「 ―― 怖いか」、とルドラは訊いた。
尋ねられたディアウスは返す言葉に詰まり、視線をルドラの左肩の向こうに泳がせる。
怖くないわけではない。
未知の行為に対する恐れのような気持ちがあるのは、紛れもない事実だ。
けれどひとえに怖いだけかというと、そういうわけでもないと思う。
ただ、・・・ ――――
「・・・、・・・ただ・・・こういう時に、どうすれば ―― どうしていれば良いものか・・・、分からないですし、私は、・・・ ―― でも、ルドラ王はきっと、これまでに・・・、多分、 ―――― 」
そこまでを震える声でたどたどしく口にして、ディアウスは言い淀む。
予想される経験の差が気にならないと言ったら嘘になるが、止めようのない震えや、身体が浮き立つような、叫び出したくなるような焦燥感を覚える理由は、知っている言葉を全て並べ立てても到底説明出来ないだろう。
ましてや怖いとか、恐ろしいとか、今感じている感情をそんな単純な一言で表現出来るとは思えなかった。
恐らくそのディアウスの気持ちは、予測はしているのだろう。
ルドラはディアウスの耳に触れさせていた指先で、そっとその頬を撫でた。
「・・・そうだな、お前に隠し事をしても無意味だろうからはっきりと告白するが、これまでにこういう経験が全くなかったとは言わない。どれもこれも全て、どうでもいい相手との、どうでもいい経験ばかりだが」
と、ルドラは言った。
「もうずっと・・・長いこと、俺にとって他人というのは、どうでもいい存在だった ―― いや、“どうでもいい”というと語弊があるか・・・むろん自分の一族 ―― この神群内の人々を守ろうという気持ちはあるし、そのための最大限の努力はしてきたつもりだ。だが俺が一個人として対する相手として考えたとき、その価値は無に等しかった。つまり団体としての彼らを守る努力はするが、その個人個人はどうでもよかった、というのか ―― 矛盾して聞こえるかもしれないが、これが正直なところだった。
最初の相手の顔すら、ろくに覚えていないくらいだしな、・・・」
それを聞いたディアウスは緊張を忘れ、思わず吹き出しそうになる。
いくらなんでもそんなことは ―― 初めての相手をろくに覚えていないなどということは有り得ないだろう、と思ったのだ。
だがそのルドラの言葉が、ディアウスが感じている緊張を少しでも軽減しようとするためのものなのだろうとも思う。
ディアウスはそっと、ルドラに悟られないように深呼吸を繰り返す。
震えの残る身体の強ばりと緊張を、出来る限り解くように。
そんなディアウスの努力を知ってから知らずか、ルドラは続ける。
「だがその俺が初めて他人を欲しいと思った、お前を ―― お前だけが特別だったのだ、多分、そう、そもそもの最初から。こんな状態にお前をおけば、その身が危険に晒されると、それが過ちに満ちた行為であると誰よりも知っていながら、それがあの誓いを破る行為だと自覚しながら・・・俺は自らの欲望に抗えなかった。
そうまでして側に置いておきたいと思ったお前を今、こうして抱こうとしている ―― そんな時に、平静でいられる奴がいると思うか?緊張している、どうしようもなく ―― お前が感じている緊張とは別の意味で、多分お前以上に、・・・」
その淡々としながらも真剣な気配の色濃いルドラの独白じみた言葉を聞いたディアウスは、ゆっくりと目を伏せる。
分からないことはまだまだ、山ほどあった。
ルドラが預知者を殺したという言葉は真実なのか。
真実だとすれば ―― 真実なのだろうとディアウスは思っていた ―― それはどんな理由からだったのか。
そして今聞いた言葉の中の、“誓い”とは ――――
訊いてみたいと思わないわけではなかった。もちろん。
けれど訊いたところでルドラがまともな説明をしてくれるとは思えない。
それらは恐らく、言葉で簡単に説明出来るものではないのだろうという気もした。
だからディアウスは言いたい言葉の全てを飲み込み、無理矢理軽めの口調を取り繕って別の言葉を口にする、「・・・もしかして口説かれているのでしょうか、私は」
「・・・そう聞こえるだろうし、そういう部分もあるが ―― それだけじゃない」
と、ルドラは平坦な声で言った。
淡々とした言い方ではあったが、ルドラの言葉の全てが、適当にその場を誤魔化すものでないことだけは分かった。
それならば ―― 今はもうそれだけでいい、とディアウスは思う。
そこに嘘がないのであれば、その他の分からないことは全て、今後のルドラの態度と時折語られる言葉から自分で読みとってゆけばいい。
ここでの時間が自分にどれほど残されているのかは分からないが、その全てを使って判断するしかない、と。
そう心を決めたディアウスはひとつ、深く息をついた。
そしてきつく閉じていた両足から、力を抜く。
「 ―― 続けてください」、とディアウスは囁いた、「怖いだけでは、ないですから」
背中をまさぐっていたルドラの手が、ディアウスの背骨の形を確かめるようなやり方で、ゆっくりと下へと降りてゆく。
ディアウスの身体からは、最初の時のような震えは消えていた。
だがルドラの手指に強く肌を弄られるたび、反射的に身体が強ばってしまうのは本人にもどうにもならないことだった。
「 ―― っ、あぁ、っ・・・!」
ふいに悲鳴じみた鋭い声を上げたディアウスの身体が、寝台の上で大きく跳ねるように震えた。
背中を這い降りていったルドラの指先がさりげなく、ディアウスの後孔を押さえたのだ。
もうこれ以上は耐えられないと言わんばかりの、強い拒否の力を滲ませたディアウスの両手が、きつくルドラの二の腕を掴む。
だがルドラはまるでそれに気付かないかのように、指先を密やかに閉ざされた後孔に忍び込ませる。
「・・・っ、あぁ ―― 、い、やぁ、あっ・・・!」
先ほどの声よりも更に拒絶の色を増した悲鳴をディアウスは上げたが、ルドラはやはり無言のまま、行為を止めようとはしなかった。
ゆっくりと丹念に、しかし執拗に、ルドラはディアウスの身体を拓いてゆく。
徐々に深く入り込んでくる指に内壁を刺激される回数が増えるごとに、ディアウスの上げる声は悲鳴から徐々に啜り泣くようなものになってゆく。
それを可哀想だと思わなくもないルドラだったが、今更やめられなかったし、やめる気もなかった。
重なる肌や触れる指先に吸いついてくるようなディアウスの、どこまでも柔らかくなめらかな、白い肌 ―― それはこれまで決して少なかったとはいえないルドラの経験の中でも触れたことのない、想像したこともない感触だった。
ただ肌に触れているだけでどうしようもなく気持ちが逸ってゆき、頭の芯にじんわりとした痺れが滲んでくる。
一歩間違えば暴力じみたやり方でディアウスを滅茶苦茶に抱いてしまいそうな危うさを己の中に感じ、ルドラはディアウスを怯えさせないよう、ゆっくりとした速度で身体を起こす。
そして再度半身を屈め、微かに上気したディアウスの、涙の跡が痛々しい頬に口付ける。
と、同時に ―― ルドラの唇を頬に感じたのとほとんど同時にディアウスは鋭く息を呑み、これまでのどんな時よりもよりも更に大きく、更に激しく、身体を震わせた。