月に哭く

23 : 溶けてゆく身体

 まだ早い。
 まだ早すぎる。

 霞がかかったような脳裏の奥底で、ルドラは思う。

 だがこれ以上時をおいた後も平静でいられる自信が、ルドラにはまるでなかった。
 いや、今でも自分が平静であるとは、とても言えない。
 こういった行為に対して少しでも嫌悪感を抱かせたくない、そう思ってはいたものの、逸る身体を止められなかった。

「・・・、っ、 ―― あ、・・・!」

 口付けと同時に押し当てられたルドラの、凄まじいとしか言いようのない圧迫感とそれが纏う灼熱に、ディアウスの身体が今までにないほど激しく強ばる。
 押しつけられた灼熱が明確な意図を持ってじわじわと体内に入り込んでこようとする気配に、ディアウスは反射的に逃げ出そうとした。
 だがディアウスのろくに力の入っていない弱々しい抵抗は、圧倒的なルドラの身体のもとでは、あってないようなものだった。

 自分の身体だというのに、指先ひとつ自分の意志で動かせない。
 最早悲鳴すらあげられず、ひきつれたように喘ぐディアウスの頬を、汗とも涙ともつかない透明な滴が伝い落ちてゆく。

 その痛々しい様子を視界に捉えながらも、ルドラは征服の動きを止めない ―― 止められない。
 触れる肌以上の、とろけるようなディアウスの内部に溺れきり、我を忘れてしまわないようにするだけで精一杯だった。

 やがて限界かと思われる深さまでディアウスを穿ったルドラは、そこで一瞬、動きを止めた。
 が、ディアウスが息をつく間もなく、その細い腰を押さえ込んだルドラが今一歩、ディアウスの中に入り込む。

 その刹那 ―― ディアウスは自分の身体が一気に、爪先から髪の先まで、凍り付くように冷えてゆくのを感じた。

 このまま自分は死ぬのかもしれない、とディアウスは思った。
 自分は彼に殺されるのかもしれない、とすら。

 けれどそれは本当に、ほんの一瞬のことだった。

 奥深く埋められたルドラの先端で震える内壁を擦り上げられたのと同時に、凍り付いたようになっていたディアウスの身体は、一瞬にして沸騰するように熱くなる。

「 ―― あ、・・・っく、や、あぁ・・・ ―― っ!」

 その激しすぎる落差に、ディアウスは叫ぶ。
 そこには痛みも快楽も、何もなかった。

 あるのは、感じるのは、ただひたすらに煮えたぎるだけの灼熱。
 ただ、それだけだった。

 ルドラが動くたびに生じる熱によって、何もかもが ―― あとに骨すら残さず、どろどろに溶かされてゆく ―― そんな気がした。

 限界まで反らした喉を荒々しく捉えられ、引き寄せられ、噛みつくように口付けられる。

 それがディアウスの、最後の記憶のひとひらだった。

 激しい嵐の只中にいるような時間が唐突に終りを告げ、その後を恐ろしいまでの静寂が引き継いだ。

 何もかもが、幻のように思えた。
 そう思えてしまうくらいに、その静寂は濃く、揺ぎ無いものだったのだ。

 静寂の中、やがてディアウスがそっと身体を起こして寝台から離れてゆくのを、ルドラは目を閉じたまま黙って感じていた。
 微かな衣擦れの音と、じっと息を詰めていないと分からないような足音が部屋を出てゆく。

 独り取り残された暗闇で、ルドラは考える ―― 初めてディアウスに会った時の事を。

 そもそもルドラは、アーディティア神群の苦境を救う代わりにその最高神を人質として(その人質は後々、アスラ神群を統べるヴリトラ神とその神妃をおびき出す囮として使われるかもしれないということは、予想していた)連れてこようという周りの提案を完全に拒絶してアーディティア神殿に足を踏み入れたのだ。  ディアウスを目にする直前まで、ルドラはアーディティア神群の神々の誰かをこの龍宮殿に連れてこようなどとは夢にも思っていなかった。
 自分の命令を無視してアーディティアの最高神に近い神を人質として渡して欲しいとインドラが言った、その後を継いで自分の声が『薬師(くすし)として名高い天神に教えを請いたい事がある』などという世迷言に近い事を言っているのを聞いて、一番驚いたのはルドラ自身だったのだ。  ディアウスを自分の側に置いておきたいという強い欲求に、あの時、ルドラはどうしても抗えなかった。

 あの衝動は一体なんだったのだろう、とルドラは考える。

 好きだとか、恋しいとか、もっと突き詰めて言えば愛だとか、そんな感情は見たことも、触れたこともない。
 実際に自分が見て、経験したものしか信じずに生きてきたのだ ―― 長い年月をたった一人で、特に寂しいとも思わずに。

 そんな自分が、衝動的に、そして刹那的に、こんなにも誰かを求めてしまう理由が分からない。

 これは一体何なのだ。

 たった今、濃密に触れ合ったばかりだと言うのに、もう次を夢想している。
 もう一度あのたおやかな姿をこの目に映し、その身体を覆っている白い布を優しく引き裂き、あの柔らかく芳しい肌を自分の唇で確かめたかった。
 そして彼のなめらかな細い手指で、同じ様に自分の全てを確かめて欲しかった。

 そこまで考えた所で堪らなくなったルドラは目を開き、衝動的なやり方で寝台から立ち上がった。