・・・だから嫌なんだ、チェーン展開の居酒屋は。

 デジャヴのような思考と共に、水無瀬はため息をかみ殺した。

 9月に入ったというのに真夏日が続く、月初めの土曜日。
 仕事上がりの祐二にお勧めの店があるから夕食は外でとろう、と誘い出されて連れて行かれた先は、「武蔵」という名の居酒屋だった。
 店の前で渋い顔をする俺に祐二は、
 チェーン展開の店は嫌だって言うけどさ、ここの料理はマジで旨いって話なんだよ。とか、
 完全個室で雰囲気もいいって聞いたし。とか、
 時々話してるうちの店の客の雑誌編集者も誉めてたんだから、間違いないって。とか、
 彼の勧める店、これまで外れたことなかったろ?とか、
 そのようなことをあれこれと言って、俺を説得しようとした。

 そこで俺はしばらくごねて見せてから頷いたのだが(すんなりと言うことを聞くのはしゃくなので)、後にして思えばこの数分のタイム・ロスがいけなかった。
 その後あんな展開になると知っていたなら、ごねるどころか駆け足で店内に入っただろう。
 が、神ならぬこの身では、未来を見通すことなど出来るはずもなく・・・ ――――

「あれ、祐二じゃないか。偶然だな、おい」

 と、いう声が背後からかけられたのは、俺たちが今正に店へと足を踏み入れようとした瞬間だった。
 振り向いた祐二に、おーホントだ祐二じゃん、久しぶりぃ、元気かー、などという気安い声がかけられる。
 それに対して祐二がなんだかんだと答え、会話が積み重なってゆくのと平行して、俺は徐々に、どうしようもない居心地の悪さを感じ始めた。

 その場にいる祐二の友人たちと俺が全く面識がなかったせいもあるが、そのせいだけではない。
 友人たちが時折見知らぬ俺をチラチラと見てくるせいもあるが、そのせいだけではない。
 会話の内容から彼らと祐二がかなり親しい友人であることは明白であり、この後の展開がうっすら読めてしまったせいもあるが、そのせいだけでもない。
 そう、それは声をかけてきた友人たちの中の一人が、あからさまに挑発的な視線を送ってくるせいだった。

 恐らく俺は最初にきちんと、彼の不躾な態度にそれ相応の対応をすべきだったのだ。
 だが盛り上がる周りと一線を画し、口をつぐんだまま意味深な視線だけを寄越す彼の真意が読み切れなかった。それに何より、祐二の友人であると思って遠慮した。それがいけなかった。

「ねぇ、こんなところで立ち話もなんだし」
 ふいと俺から目を逸らし、先に口火を切ったのは彼だった。
「祐二、ここ入るんでしょ?うちらもだし、なんなら一緒に飲まない?来週末のこと、詳細決まってない部分があるって言ってたよね、健介」
「んー、まぁ・・・それはそうなんだけど・・・」
 健介、と呼ばれたのは祐二に一番先に声をかけた男性で、集団の中でも一番祐二と仲がいい様子だった。
 その彼が、俺と祐二を交互に見てから、
「でもふたり、デート中なんだよな?」
 と訊き、それに祐二が、
「あー、まぁ・・・」
 と答えかけた語尾に、
「まっさかぁ、そんな訳ない、あり得ないよそれは」
 という声が重なる。
 言ったのはもちろん、最初から俺を睨め付けてきていた、彼だ。
 彼のあまりにもはっきりとした断定の声に、健介という名の男性が伺うように俺を見る。
 祐二は公私共に自分の性癖をカミングアウトしているものの、やはりこういう話題は軽々しく口にすべきではなかったか・・・と、明らかに気を遣っているような視線だった。
「え・・・、そうなのか?俺はてっきり・・・」
「絶対に違うよ、ねぇ祐二」
 と、彼はするりとのばした手で、祐二の肩と肘の間あたりをなでるようにして掴んだ。
「だってこの人って祐二の趣味と全然違うっていうか、むしろ苦手なタイプだもん、明らかに」

 なるほど、そういうことか。と俺は思う。
 TVでゲイや女装家の出演が多く見られるようになり、同性愛者があたかも世間に広く認知されてきたかのような錯覚に陥る昨今だが、実際のところ日本ではまだまだ同性愛者が差別対象であることは間違いない。
 ある程度の地位と責任を持たされて仕事をしている人間が自らの性癖を公言することは、ほぼないと言っていいだろう。
 現に俺もそうだし、これまで恋人とは完全にクローズドな付き合いしかしたことはなく、こんな風に第三者が関係に介入してくることはなかった。

 だからこそ最初の反応が遅れた訳だが、そんな俺でもここまでやられたらさすがに分かる。
 彼がゲイなのかバイなのかまでは分からないし過去に彼らの間に何があったのかは知らない。が、彼は間違いなく祐二が好きなのだ。
 だからわざと何も知らない振りをして、俺に突っかかってきているのだ。

 むかつく、と俺は思う。
 目の前にいる小賢しい男もむかつく。それは当然だ。
 だがそれよりも何よりも腹立たしいのは、目の前にいる彼の、ほっそりとした小柄な体つき、甘く整ったかわいらしい顔、大きく濡れたような、どことなく勝ち気な色の滲む双眸があきらかに祐二の好みのど真ん中であると(それらの特徴は新宿のバー「Queen」のマコトにも当てはまる特徴だ)瞬間的に考えてしまう自分自身だ。
 そしてそう考えた瞬間に自分の中にわき起こった、嫉妬と心配と不安と焦りが折り重なったような感情、そんな感情を覚える自分自身に一番苛立つ。

「ふざけんな、人の趣味を知った顔して語ってんじゃねぇよ」
 表情を歪めて祐二は言ってぞんざいに腕を振り、
「お察しのとおり、デート真っ最中だっつの」
 と、きっぱりと言った。
 振り払われた両手を空中にあげたまま、彼は大きな目を更に大きく見開き、今度は真正面から俺を見て ―― あろうことが、盛大に吹き出した。

「えー、やだうそ、どういう宗旨替えー?信じられない!っつうか、あり得ないってくらい、びっくりなんですけどーーー!」

 前言撤回。
 自分よりも、こんな男に纏わりつかれるような隙を見せる祐二よりも、この失礼な男が一番むかつく。

 無理矢理顔に浮かべた笑みがどうかひきつって見えませんように、と祈りながら、俺は思った・・・。