オマケ短編、の オマケ

 その日、目覚めて最初に視界に入ってきたのは、壁に掛けられた時計だった。
 短針は7と8のちょうど中間あたりを指し示しており、瞬間、俺は酷く焦る。が、今日は急遽休みにしたことを思い出し、次に腕の中にいる恋人の様子を伺った。
 俺の左肩と胸の間に額を押しzつけるように眠る恋人の寝息は未だ深く、俺が示した動揺によって眠りを妨げることはなかったらしい。
 ほっとしながら注意深く恋人の身体に腕を回しなおし、再び時計を見て、悪かったな、と思った。

 悪いというのは、共同経営者である幸太に対してだ。
 先週末、甲斐駒ヶ岳に登山にゆくのに連休をとって、その上で今日の休日変更だ。
 彼は快く休みを交換することを了承してくれたが、少々 ―― いや、かなり我儘を言ってしまった自覚はあった。
 幸太は「先々月、子供のインフルエンザの件で早退だ遅刻だ休みだって散々迷惑をかけたんだから、気にしなくていい」と言ってくれたが、子供の病気と今回のことは比べられる問題じゃないことは自分でもよく分かっていた。
 しかし恋人が今日休むことを知った瞬間、彼と一緒にいたくて、矢も盾もたまらなくなってしまったのだ・・・ ――――

 と、そこで腕の中の恋人が身じろいだ。
「・・・おはよ」
 覚醒した恋人にそう声をかけると、恋人は訝しげに目を眇めて俺を眺めた後、ああそうか。という顔をして緩慢に頷く。
「なんでこいつはまだここにいるんだ?仕事に行かなくていいのか?」という疑問を抱いてから、「ああ、そういえば今日はこいつも休みだったんだっけ」と納得するまでの課程がそっくりそのまま顔にでていて、思わず俺は笑ってしまう。

「なに」、と恋人が訊いた。
「いや」、と俺は首を横に振る、「なぁ、朝メシ、どうする?なに食いたい?」
「・・・んー・・・、・・・和食」
「和食か、うん、いいチョイスだ。一昨日実家から、旨そうな各種干物セットが届いてる。あんたが好きなカマスが山ほど入ってたからそれ焼いて、一緒に入ってた岩のりで味噌汁作って・・・みょうがの甘酢漬けもあるし、あと厚焼き卵も焼いてやるよ。大根おろし付きで。もう、非の打ちどころなく完璧じゃねぇ?ザ・日本の朝ご飯!って感じでさ」
 と、俺が言うと恋人は、うん。と頷いたがその返答とは裏腹に、再び俺の肩口に顔を伏せた。

 この恋人がこんな風にあからさまに甘えた様子を見せるのは珍しい。
 やはりまだ疲れているのだろう ―― 精神的にも、肉体的にも。

 彼が無理をして先週末のバーベキューに参加すると言っていたのはもちろん、分かっていた。
 基本的に彼はアウトドアに全く興味がないし、そもそも人見知りをする質だ。
 それを知っていて、止めようと思えば止めることは出来たのに止めなかったのは ―― これもまた、俺の我儘だった。

 運動しすぎもせず、しなさすぎもしない彼の身体はすんなりとしていて、とても綺麗だ。
 肩から二の腕にかけてのラインとか、背中から腰、尻から太腿に到るラインとか、ふくらはぎから足首のラインとか・・・、見ているだけでもそそられる。
 だがそんな恋人の魅惑的にすぎる美点は普段、殆ど目にすることが出来ない。
 彼はスーツ姿でいることが多いし、驚くことに休日ですらきちんとプレスをきかせたスラックスにワイシャツという格好でいる。
 同棲し始めた当時は俺がいるせいなのかと思ったが、その後いくら時が経っても変化がないので、どうやらそれが彼のデフォルトらしい・・・実に勿体のない話だ。
 まぁ、あまり魅力を外に晒しすぎて他の男にかっ浚われても困るので、俺の見ていないところでは“オカタイ”格好でいてくれた方がいいのだろうけれど・・・。

 ・・・とにかくそんな訳で、恋人が飲み屋で偶然会った俺の友人達にバーベキューに誘われているのを俺は止めなかったのだ。
 公園でバーベキュー、というシチュエイションならば流石にスラックスではなくジーンズに薄手のTシャツ、という出で立ちの恋人を見られるにちがいない、と思ったから。
 実際、細身のジーンズを身につけた彼はまさに、眼福ここに極まれり、という感じだったのだが ―― 倒れるほど無理をさせてしまったことは猛反している俺だった。
 俺が常にそばについて気を配れるシチュエイションでない限り、今後ああいう集まりに彼を引っぱり出すのはやめようと心に決めている(史也もしつこいし)。

 それに当然といえば当然だが、ジーンズを着ていようがスーツを着ていようが彼は彼だ。
 カジュアルな格好の彼も見ていて楽しいが、実際ストイックなスーツ姿の彼を脱がせてゆくのだって悪くない。
 ・・・いや、むしろ脱がせて楽しいのはスーツの方かもしれない・・・。

 などと悶々と妄想の世界に浸っていたら、腕の中の恋人が突然荒々しいやり方で俺の身体を押しのけ、
「・・・ったく、なんなんだよ、おまえはっ」
 と、がみがみとした言い方で言った。
 そう言われてみて初めて自分の状態に気付いた俺は、
「・・・あー・・・、いやー、これはー・・・えー・・・、ごくごくナチュラルな自然現象?」
 と、首を傾げて見せる。
 しかしもちろん、そんなことで彼の怒りの矛先が逸れるはずもない。
「ナチュラルな自然現象って、日本語がおかしいんだよ!おまえのことだ、どうせろくでもないことを考えているんだろう」
「そりゃ誤解だ。ろくでもないことなんて考えてねぇよ」
「嘘だ」
 と彼は断言し、腕を突っ張るようにして俺から離れようとする。
 それを阻止しながら俺は、
「嘘なんかじゃない。あんたのことを考えてただけだ」
 と、正直に告白する。

 俺の何十倍も頭のいい彼にあれこれ言い訳をしても何の意味もないことを、俺は既に嫌と言うほど学んでいた。
 思ったままのことを飾り気なくストレートに口にした方が、彼が言葉に詰まるのも。
 そして今日も例に漏れず、恋人は俺がそう言った途端、薄く口を開けたまま固まった。
 その隙を逃さず、俺は内心鼻歌交じりに恋人が着ているパジャマのボタンを上から順にはずしてゆく。

「・・・っ、やめろ・・・!朝から、こんな・・・!!」
 ボタンを全て外し、直に肌を弄られたところでようやく飛んでいた意識を取り戻したのだろう、恋人がごそごそと無駄な抵抗をし始める。
 それを巧みに封じながら、俺は笑う。
「そういや、初めてだよな」
「・・・何がっ!?」
「朝エッチすんの」
 と、俺が言うと、彼は再び言葉に詰まり、次いでさあっとその頬に血がのぼってゆく。
 その面白いくらいのあからさまな反応に、俺は顔に浮かぶ笑みが深まってゆくのを止められない。

「あー、もしかして俺とだけじゃなくって、今まで一度もしたことないとか?」
「わ、悪かったなっ!こんな節操のない奴と付き合ったことがないんだよ!」
「こういうことに節操があるとかないとか、関係あんのか?」
「あるだろう!」
「そうか?ま、別にどうでもいいよ。それよりあんたが初体験ってことの方がポイントとして重要」
「はっ、初体験とか言うな馬鹿!・・・離せって ―― やめろ!」
「そんなつれないこと言うなよ。最近あんたにくっつかれてっと、まるで歯止めがきかねぇんだよなぁ」
 思いきり反らされた恋人の首筋から耳朶にかけてを唇で辿りながら俺が言うと、彼はぐしゃりと顔を歪め、
「なんだそれ・・・!それじゃあまるで、俺が悪いみたいじゃないか・・・!!」
 と、暴れながら喚いた。本当はもうそれほど嫌がっていないくせに、往生際が悪いことこの上ない。
 素直になることが負けだとでも思っているのか、引っ込みがつかないでゴネることの多い恋人を、いつもならもう少しからかって遊ぶのだが、今日は俺も余裕がなかった。
 昨夜散々やりつくした後だというのに ―― これでは確かに、節操がないと詰られてもしょうがないかもしれない。

「別に悪いとは言ってねぇよ。・・・でもさぁー・・・」
 と、俺は言う。
「でも、なんだよっ」
 と、恋人が言う。赤い顔で。
「これ」、と俺は恋人の腹部に押しつけた腰を、押しつけたその場所で小さく回すように捩らせ、「収められンの、あんただけなんだけど?」、と、言ってやる。
 それを聞いた恋人は一瞬の間をあけた後に顔色を失わせ、それからまたすぐに赤くなった。

「・・・、・・・も、・・・おまえ・・・嫌だ・・・・・・」

 少し後で、恋人が俺の腕の中で、呻くように呟くのが聞こえた。

 俺は答えず、ただ声なく笑って恋人を抱く腕に思いきり力を込める。
 多分ちょっとばかり苦しかったと思うけれど、恋人はもう、文句ひとつ言わなかった。

*

「・・・おまえと一緒に休むと、休みが休みにならない・・・」
 全てが終わった後で、恋人が早速文句を再開させる。
「・・・すみません」
 と、俺はおとなしく謝る。

 俺の素直さに違和感を感じたのだろう ―― 昨夜からやりたい放題やっている自覚はあり、悪かったと思っているのも事実だが、恋人の声音には甘い喘ぎの余韻が色濃く残っていて、俺の耳には文句が文句としては届いていなかったのもまた、事実だった ―― 恋人は胡散臭そうな視線で俺を見上げる。
 が、もうそれ以上の文句を言う気力もなかったのだろう、彼は大きく息を吐き、ついでのようなさり気なさで俺の身体に両腕を回した。

「・・・やっぱり、もう少し寝る」
 と、恋人がふてくされたような、気だるげな声で言った。
 いいよ、と返す代わりに、俺は恋人の後頭部を撫でるように引き寄せて、そのこめかみに口付ける。
 程なくして恋人の寝息が伝わってきて、それに誘われるように、俺も目を閉じた。

 きっと次に目を覚ましたら、腹を空かせた恋人が起こす本日三度目となる文句の嵐に晒される予感がしたが、それでも、今は ――――――

 平和な、休日の朝だった。

―――― 終る夏、夕陽の窓 オマケ短編、の オマケ END.