1 : 視線の軌跡
「だからさ、直(なお)も来いって。今回は、相当レベル高いぜ、前みたいな事は絶対にない。保証するからさ、来いよ、な?」
「・・・、うーん・・・」
同僚の小池敦也(こいけあつや)がこちらに身を乗り出して言うのに、俺は曖昧な微笑みを返して空間に視線を泳がせた。
ここは都心から少し離れた所にある、とある大病院の4階にある食堂。
因みに時間は午後2時45分。
俺はこの病院で臨床心理士(分かりやすく言うと、心理カウンセラーってやつだ)として、心療内科に勤務している。
外科や内科の医師や看護師などと違い、忙しくて食事どころか座るのもままならない、ということは殆どない。
しかし仕事が立て込むとこの時間に昼食、ということも珍しくはないのだった。
そして今、俺と同様に遅い昼食をとっているのは一緒の科に勤務している同僚や、仲良くしているリハビリテーション科の療法士たちで、彼らが口々に俺を誘うその理由、それは ――――
「何の話?」
唐突に後ろから声がかかり、その場でわいわいと盛り上がっていた面々が一斉に振り向く。
「あ、陽介」
「おお、桜井、お疲れー」
「お前をここで見るの、久々だな」
「いつもカップラーメン食ってるイメージだもんな」
「しかもA定食残ってたんだ、ラッキーじゃん」
口々に言われるのに唇の端だけで笑って応え、陽介は俺の横に腰を下ろした。
彼 ―― 桜井陽介(さくらいようすけ) ―― は俺の幼なじみで、心臓外科の医師だ。
俺とは中学から高校までが一緒で、大学は別だったが就職先は再び同じだった。
それを人に言うと皆、判で押したように、腐れ縁だなぁ。と言う。
が、彼が俺の側にいるのには、複雑な理由があるのだ。
細かい話は今は割愛するが、大学院の修士課程を卒業してこの病院に就職した俺の後を追うように、インターンを終えた陽介が就職先にここを選んだのは、俺が心配だったからに他ならないだろうと、俺は思っていた。
「カップラーメンなんて、食いたくて食ってる訳じゃねぇよ」
手にした割り箸を割りながら、陽介が肩をすくめる。
「それに最近は忙しくて、ああいう温かいものを食えるのすら珍しいよ、悪くすりゃ2食続けてカロリーメイトとかザラだし ―― で?何の話だったわけ」
と、分厚いトンカツを豪快に一口かじって、陽介が訊いた。
「ああ、あのな、明後日、合コンがあるんだよ。で、その相手がかの有名な新井商事の秘書課勤務!あそこの秘書はレベル高いって有名だろ」
と、敦也が説明する。
「おぉ、聞いたことあるな。いいな、俺も誘えよ」
と、陽介が言うとあちこちから、
陽介には滅茶苦茶キレイな彼女いるだろ!とか、
同棲中の彼女と婚約中って奴は、合コンなんて行く必要、一切なし!とか、
陽介の彼女って確かモデルしてて、会社経営までしてる才媛だって聞いたぞ、それ以上のなにを望むんだ!とか、
そういう声が飛ぶ。
「会社っていうか、小さなモデル事務所なんだけどな ―― お、サンキュ」
と、陽介は俺が差し出した緑茶のお椀を手にとって、言った。
「 ―― で、なに、つまりその合コンに直を連れ出そうとしてんのか」
「そうそう、直ってジャニーズの誰それに似てるとかって、患者にも看護婦にもすっげぇ人気あるのに、その手の話、全然ないから」
「だよな、ちょっと努力すれば相当もてるのに勿体無いって、みんなで言っててさ」
「直が来れば、その後も色々いい合コン話、舞い込んできそうだし・・・とか、さりげにタナボタも狙ってたりしてな」
陽介の問いに皆が口々に答え、周りもうんうん、と頷く。
食事をとりながらその様子を一通り見聞きしていた陽介は、手にしたお茶を一口飲んでから大袈裟に顔を歪め、首を横に振る。
「無理無理、いくら何を言っても、直は駄目さ。だってこいつ、好きな奴いるし」
「えっ?」
と、陽介以外の全ての人が驚いて言った ―― 俺も含めて。
「 ―― なんだ、直、そうだったんだ」
「でもつき合ってる訳じゃないんだよな?そういう話、聞いたことないし」
「そうだよな、だったら合コン位、出りゃいいのに」
「まぁ、でも、こう見えても直は真面目だからなぁ」
「告白とか、しねぇの?相手、彼氏持ちとか?」
「まさか既婚者だったりしないだろうな?」
―― などなど、いっぺんに聞かれても・・・答えようがない。
何故なら俺自身、心当たりがないのだ。
前述の通り中学の頃からの親友である陽介とは、病院内だけでなくプライヴェートでも仲良くしている。
しかし最近、そういう話を陽介とした事はなかった。
陽介がどうして突然そんな適当な事を言い出したのかまるで掴めず、俺は半分口を開けたような状態で隣に座る陽介を見ていた。
そんな俺を面白そうに横目で見て陽介は笑い、
「なんだよ、バレてないとでも思ってるのか?隠しても無駄なんだよ、何年のつきあいになると思ってるんだ。
直見てれば一目瞭然。廊下とかですれ違う度、あからさまに視線が追いかけてるし」
と、言った。
「なんだ、相手、院内なのか」
「マジかよ、看護婦か?それとも患者?」
「患者なら確かに告白し辛いよな」
などなどと、再び口々に皆が言うのに、俺は何も言えず ―― 代わりに陽介が面白そうに目を踊らせながら答える。
「“毎回毎回”って言ったろ、患者じゃねぇよ。そうだよな、直」
「う、いや、あの、よ、陽介・・・」
陽介が誰の事を指して言っているのか段々と察せられる気がしてきた俺は、どうにかしてこの場を誤魔化せないかと、必死で考える。
が、焦れば焦るほど頭が混乱してきて、まともに話すことすら、出来なくなってしまう。
「 ―― さてと、そろそろ俺は医局に戻るわ」
と、そこで皆の興奮と俺の混乱のボルテージを最高潮まで引き上げた陽介が壁にかけられた時計を見上げ、無責任に立ち上がる。
それを追って、慌てて俺も立ち上がった ―― こんなところに暢気に残って、皆の追求を適当にあしらえる自信は全くなかった。
当然ながら、逃げるなよ、相手誰なんだよ、気になるだろー!というブーイングが沸き起こったが、陽介は気にもとめず、俺は半ば逃げるように、その場を後にした。