甘き毒

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 永山に頼まれたその通り俊輔に連絡を取った稜は、次の日、品川のマンションで3日ぶりに俊輔と顔を合わせた。

「 ―― お前に、これをやる」

 リビングのソファに足を投げ出して座り、入ってきた俊輔を乾いた目で見た稜に向かって、俊輔が尊大な言い方で言った。
 そして手にしていた小さな紙袋を、押しつけるように稜へと渡す。

 俊輔に言ってやりたいことは、色々とあった。
 帰ってきて早々の俊輔の物言いや所作にも、突っ込みどころは満載だった ―― が、永山の頼みもあったため、それらを全て飲み込んで、稜は言う。
「・・・なんだよ、これ」
「つけとけ」、と俊輔が言う。
「だから、何なんだよ?」、と稜が言う。
「女避け」
 俊輔が答え ―― 渡された紙袋の小ささとその中に小箱が入っているのを見た稜は、その小箱の中身が何だか、言われる前に分かってしまう。

「 ―― 返す」
 と、稜は無造作に紙袋を俊輔に返そうとする。
「返却不可だ」
 と、俊輔はスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、言う。

「・・・どんな冗談だよ、全然笑えない」
「笑いをとる気はさらさらない。とにかく、つべこべ言わずにつけとけ」
「絶対嫌だ」

 発音をひとつひとつ、強く区切るように稜は言った。
 そしてそれから、軽いため息をつく。

「お前が何を心配しているのかは、永山さんから聞いたよ。だけどこっちにその気は全くないんだ。だったら相手がどういう気持ちであろうと、関係ないじゃないか」
「関係ならある」
「どこが?」
「俺が嫌なんだ」
 きっぱりと、俊輔が言った。
「・・・どうして?つまり、俺が信用出来ないって言うのか」
 先ほどよりも3割り程深さを増したため息をついて、稜が言った。
「そういう問題じゃない。
 俺のものを、他の奴が手に入れようと画策していると考えただけで、むかっ腹が立つんだよ」

「・・・誰が、お前のものだって?」
 これまで押し殺して表面に見せなかった不機嫌さを、突如前面に押し出して、稜が言った。
「稜」
 当たり前のような口調で俊輔が答え ―― 傲慢の権化のようなその返答を聞いた稜は、無言で立ち上がる。

「全く話にならないな。
 どこの誰のことを言っているのか知らないが、少なくともここにいるこの俺は、お前のものなんかじゃない」

 そうしてきつく睨んでくる稜を見返して、俊輔はにっこりと微笑んだ。

 そして言う、「 ―― さて、それはどうかな?」

 その俊輔の低い問いかけと、同時に浮かべられた不敵な笑み。

 それらを目にした瞬間、稜はこれはまずいと思ったが ―― むろん、思った時にはもう、何もかもが遅かった。

 快感は、強すぎると拷問にも似た責め苦になる。

 それは俊輔と一緒にいるようになって、初めて知った事実だった。

 加えて今日、追加で知ったこと ―― それはこれまでの俊輔はどんな時も、その強すぎる快感の方向性を、責め苦ではなく快楽の方へと引き寄せる努力はしていたのだという事実であった。

 そして今日の俊輔はその努力を完全に放棄し、稜を高めることだけに終始している。
 それは既に暴力にも等しいのではないかというような、手加減なしの行為だった。

「・・・っ、も・・・やめ・・・ ―― 」

 超人的な我慢強さと精神力で俊輔の攻めに耐えていた稜の震える唇から、懇願の言葉がこぼれ落ちる。
 よく耳を澄まさないと聞き取れないような、それは殆ど吐息に近いような音だったが、それを聞き取った俊輔が目を細める。

 稜は先ほどから中途半端に2度ほど達していたが、決定的な快楽は与えられていない。
 俊輔はといえば、まだ服を乱してすらいない状態であった。
 それが屈辱的であるということにすら、稜は気付かない ―― いや、気付けないでいた。

「楽になりたいのなら、言うことを聞け」
 と、俊輔が低く命令する。

 その声の調子に稜の精神がほんの一瞬冷めたのか、朦朧とした雰囲気を色濃く漂わせているにも関わらず、稜の首が横に振られる。
 緩慢な動きではあったが、はっきりとした意思表示に、俊輔が小さく舌打ちをする。

 その苛立ちは明らかに、稜が思うままにならないことだけに対するものではなかった。

 肌を合わせていないまでも、それを敏感に察したのだろう ―― 稜の唇の両端が、笑いに似た形に歪んだ。
 刹那、稜の後孔に埋め込まれていた指が鉤状に曲げられ、そのまま引き抜かれる。

 それまで緩慢にしか動かされなかった指の、突然の激しい動きに、稜が一際高い声を上げた。
 それと同時に達しかけた稜自身の根本が、再びきつく握り込まれる。

「や、あぁあああああっ・・・!」

 弓なりに背を反らした稜の口から、悲鳴が上がる。
 達することを幾度も封じられ、逃げ場のなくなった熱情が、稜の精神を次々と焼き切ってゆく。  

「お察しの通り、このままじゃ俺も保たない」
 と、俊輔は口にした言葉の内容とはまるで比例しない、落ち着きはらった声で言った。
 そして稜の根本を押さえているのとは逆の手で、スラックスの前をくつろげる。
「どっちがより長く耐えられるか ―― 我慢比べだな」

 そう言うのと同時に、俊輔の灼熱が潤みきった稜の後孔に強く押し当てられた。

「あ・・・ ―― は、・・・ん、んんん、っ・・・」

 震えるように息を呑みながら、稜が俊輔を迎え入れてゆく。
 どんなに意地を張って見せていても、この灼熱に征服される瞬間こそを待っていたのだと、稜の表情がそれを雄弁に物語っていた。

 あどけなさすら漂う稜のそんな表情と、見間違えようのない歓喜に震えつつ俊輔を包み込むその内部。

 熟れきった南国の果物にも似た、甘美な芳香を漂わせているようなそれらに、俊輔は思わず見境なく溺れかけたが ―― むろん、そんな風に陥落してしまう訳にはいかなかった。

 半ばまでも埋めていないところで、俊輔はぴたりと動きを止める。
 もの問いたげに見上げてくる稜の耳元に唇を寄せた俊輔が命令の声で言う、「言うことを聞け」

 快楽の海に浸る稜の顔が、その声を聞いた瞬間に必死な勢いで背けられる。

 強情にも程がある稜のその反応に苦笑を漏らした俊輔は、稜自身を押さえている手はそのまま、のばした指で淫らに繋がりあった部分を弄った。

「っ、ぁあ・・・っ、も・・・や、め・・・っ!」

 俊輔の激情を埋め込まれて、敏感になっているその部分を執拗に弄ばれ ―― 引き攣れたような声を上げながら悶える稜の目尻から、透明な滴がこぼれ落ちてゆく。

「・・・なぁ、もう、いい加減にしないか」
 耐え得る限界の、際まで追い詰められた稜の耳元で、俊輔が官能にまみれた声で囁く。
「早く、挿れさせてくれ」

 その声 ―― 掠れきったその俊輔の声を聞いた稜の身体と俊輔を飲み込みかけている体内が、ひくりと大きく波打つ。
 ゆっくりと深く、俊輔はそんな稜の顔を覗き込む。

「・・・指輪は、はめておけ。いつも ―― 分かったな」

 と、俊輔が言い ―― 稜が小さく、何度も頷く。

「・・・それでいい。気が変わらないうちにつけておいた方がいいか?
 それとも・・・」

 そう問いかけた俊輔の膝の裏にかけられた稜の足首が、強く手前に引き寄せられる。

 無言の稜の求めに、にやりと笑った俊輔は、それ以上稜を焦らそうとはしなかった。

「私はこんなことはもう、二度と、金輪際、まっぴらごめんですから」

 ―― ヴァレンタイン・デーから1週間が経過した、辻商事本社ビル。

 最上階にある自分の部屋で、三枝がきっぱりと言った。

 三枝の厳しい視線と糾弾の声の向かう先には、言うまでもなく永山の姿がある。

「今回のことで、私がどれだけ大変な思いをしたか、分かりますか?」
「・・・分かってるよ、それはさ ―― 」
「いいえ、豪さんは分かっていません。これっぽっちも、分かってなどいない」

 永山の言葉を激しく遮って三枝が言い ―― じゃあ聞くなよ。と永山は突っ込みたかったが、口には出さない。

 口に出したが最後、逆襲の嵐に遭うのは目に見えている。
 そして昔から永山は、三枝に口で勝ったことはない。
 負けが分かっている戦いに参戦するほど、永山も酔狂ではなかった。

「いいですか、私も若の相手がなよっとした従順な男女みたいなものなら、こんなに反対はしなかったんです。
 しかしあの志筑稜は、普通に ―― いえ、普通以上に女性にもてますよ。これからヴァレンタインだけじゃない、ホワイトデーやらクリスマスやら、そういうイヴェント事のたび、こんな思いをしなくちゃならないんですか!?」

 空中に差し上げた指でぴしぴしと永山を指しながら、三枝は言い ―― そのたびに永山は、身体を切り刻まれているような感覚すら覚えた。

「冗談じゃありませんよ。本当に、冗談じゃない」
 ふつふつと怒り漲る口調で、三枝が呻く。
「あの男を連れてきた責任をとって、今後志筑さんのことで何かあったら、全て豪さんがその処理にあたって下さい。宜しいですね?
 まぁ、“自分できっちり刈れない種なら撒くな”が信条だとおっしゃっていた豪さんにとって、そんなのは至極当然のことでしょうが」
「・・・分かったよ・・・」
 上げた右手でぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回しながら永山が言った。

 頷く永山をじろりと冷たい目で見やった三枝は、怒り冷めやらないといった荒々しい足音と共に部屋を出てゆく。

 その足音が遠ざかってゆくのを聞きながら、ソファの上にぐったりと身を投げ出した永山は、

「女避け・・・少しでも効果があるといいけどなぁ・・・」

 と、祈るように、呟いた。

―――― NIGHT TRIPPER番外編 甘き毒 END.