DEATH-tiny-LabYrinTH

== DEATH-tiny-LabYrinTH 1 ==

「 ―― 4日ぶりだな」

 口づけの合間、唇を離しただけの距離で、俊輔が呟くように言った。

「・・・3日だ。正確に言うと」

 きつく抱きしめてくる俊輔の身体を押し退けようとするような素振りと共に、稜が律儀に訂正した。
 だがむろん俊輔は稜を抱く腕の力を緩めず ―― 稜の方も本気で俊輔から離れたいと思っている訳ではないのだった。そう、実のところは。

 2人がいるのは赤坂にある、辻商事本社ビルの最上階 ―― 表向きは普通の商社ビルだが、実はここは日本最大の裏組織である広域指定暴力団、駿河会のフロント企業のひとつであった。
 立て込んだ仕事と、それに付随して起こった想定外の細々とした問題により、俊輔はここ2週間ばかり、まともに自宅マンションに帰れずにいた。
 今日は俊輔が不在にしていた間に旅行に行き、帰りがけにこのビルに立ち寄った稜と数日ぶりにまともに顔を合わせ、夕食を共にしたのだった。

“ちょっと急ぎの用事が出来たので、品川まで志筑さんを送れなくなってしまった”という菖蒲の言葉も、“食事後に志筑さんを送ってゆくはずだった車の手配が、手違いで遅れておりまして”という三枝の言葉も、それが真実でないことは明らかだったが ―― もちろん誰もそれには突っ込まなかったし、俊輔も稜も、特に何も言わなかった。

「旅行に行く前に、会ったじゃないか」
 と、稜は言った。
「一瞬顔を見ただけだろう。あんなの、会ったうちに入らない」
 と、俊輔は言った。
「久々に会ったのに挨拶もそこそこに出かけて行きやがって、つくづく冷たい奴だよな。傷ついた恋人を後にして旅行に行けるとは、恐れ入る」
「よく言うよ、出かける時間を見越して帰ってきたくせに・・・。魂胆が見え見えで、とてもじゃないがいちいち付き合っていられない」
 顔をしかめて稜が言い、それを聞いた俊輔は笑い、笑いながら稜を更に深く引き寄せる。

「 ―― それで、旅行はどうだった」
「・・・、ん・・・、良かったよ。向こうはこっちとは違って、夜はまだ ―― 寒い、くらいだったけど」
「・・・へぇ、・・・」
「ラベンダーなんて全く興味なかったけど ―― 菖蒲さんの言うとおり、満開だと見応えはあったな・・・」
「・・・ふぅん、・・・今度俺も時間、作るかな」
「・・・時間?なんの?」
「お前と旅行に行く時間だよ。なんだって菖蒲とばっかり旅行させなきゃならないんだ。俺は一度も行ったことがないのに ―― 何がおかしい」
 話の途中で稜が低く笑うのを見て、俊輔が訊いた。
 笑いを顔から消さないまま、稜は肩を竦める。
「だってお前がまたそんな、心にもない、子供っぽいことを言うからさ」
「心にもないとは何だ。心にはあるさ。ただスケジュール調整が難しい・・・というか、無理なだけだ」
「それを世間一般では、心にもない、って言うんだ ―――― ・・・っ、俊輔、・・・、・・・」

 最初は頬や首筋に軽く口付けられる程度だった愛撫が、徐々に激しさと熱さを増してゆくのにつれ、稜の呼吸が否応なく、妖しく、乱れてゆく。
 鎖骨から喉を経てゆっくりとした速度で這いあがっていった俊輔の熱い唇で耳のかたちを辿られ、そこに軽く歯をたてられた稜の身体が、ぎくりと震えた。
 深く抱き込んだ身体から溶けるように力が抜けてゆく様子をリアルに感じ取った俊輔がそこで、畜生・・・。と呟いて鋭く舌打ちを漏らす。

「・・・、なんだよ、・・・ ―― 」
 状況的に全くそぐわない俊輔の様子に、稜が訊いた。
「なんだもなにもない。抱きたいんだよ」
 きっぱりとした言い方で、俊輔が答える。

 俊輔のその回答を聞いた刹那、身体を強ばらせた稜が強く俊輔の胸を押した。
 突き飛ばす、というのに近い稜の反応に、俊輔は苦々しく笑う。

「・・・そんな過剰反応をするな。ちょっと希望を述べただけなのに」
「“ちょっと希望”が聞いて呆れる。普段の暴走ぶりを見ていたら、とても楽観的に信じる気にはなれないね ―― 離せよ」

 俊輔の声の底に漂っていた、到底見過ごすことの出来ない切羽詰まった雰囲気に危機感を覚えた稜が、更に強く俊輔を押し退ける。
 そんな稜の言葉に、俊輔は言われるままに腕の力を解いた。
 さすがにこれ以上続けていると暴走しようとする自身を止められない自覚が、俊輔にもあったのだ。

 そしてその様子を見越しているかのように ―― 見越しているのかもしれない ―― 三枝が電話で、車の用意が出来たことを告げてきた。

「お前、今日も帰れないんだったか?」
 ゆっくりとドアに足を向けながら、稜が訊いた。
「ああ、ちょっと難しいな。でも明日の夜には帰れると思う」
 さりげなく稜の背中に手をおきながら、俊輔が答えた。
「“たぶん”」、どこかからかうように、稜が言った。
「そう、“たぶん”」、うんざりとした様子で、俊輔が言った。

 そこで稜はふと足を止め、喉を軽く反らすようにして俊輔を見上げる。
 そして数瞬の躊躇いの後、
「・・・何か・・・、危ないことになっているとか?」
 と、訊いた。

 稜は普段滅多に ―― というかほぼ全く俊輔の“仕事”に関して口にを出さないので、これは非常に珍しいことだった。
 俊輔の方でも自分の生業に関する情報は、一切稜の耳には入らないように細心の注意はしているのだったが ―― むろん完璧に情報をシャット・アウトするのは難しい。
 それに勘の鋭い稜が敏感に何かを感じ取ってしまう可能性も、それ相応にあるのだった。

「別に。いつもと同じだ」
 軽い口調で、俊輔は答えた。
「・・・“危ないことはいつもある”?」
 平坦な声で、稜が訊いた。
「そう。だが少なくとも、今すぐお前が心配しなきゃならないことは、何もない」
「・・・、・・・そうか。それならいい」
「ああ ―― お前は自分の心配だけしていればいいんだ」

 と、そこでにやりと笑って俊輔が言い、意味が分からず稜は首をかしげる。

「自分の心配?なんだ、それ?」
「俺は明日には帰るって、言っただろう。
 当分まともに寝かせてやれないから、今日はよく寝ておけって話さ」

 至極当然、というような口調でそう言われた稜はすぐさま、反論するために口を開きかけた。
 が、結局口にしかけた言葉を飲み込み ―― 何を言っても無駄であることは、文字通り身をもって知っていたので ―― ただ力なく左右に首を振り、
「・・・そうしよう」
 と言い、そのまま振り返らずに部屋を後にした。

 稜が部屋を出て行き、閉まったドアを見て小さく笑った俊輔は踵を返してデスクに向き直り ―― 次の瞬間、愕然として激しくその表情を強ばらせる。

 振り返ったデスクの脇、低いチェストの上に、見たことのない男が座っていたのだ。

 短くした髪をルーズな形に立て、あちこちに鋲のついた黒い皮の上下で身を固めた男は俊輔を見てうっすらと笑みを浮かべ、

「どうも、こんばんは。
 俺は死神。残念だけどあんた、10日後に死ぬことになってるんだよね」

 と、言った・・・。