月と風花

:: 月の願い 1 ::

 それは肌寒い初冬の、とある夕暮れのことだった。

 所用で永山と共に外に出ていた俺が駿河会事務所に戻ると、それを待ちかまえていたかのように、三枝が声をかけてきた。
 声を潜めるように話す三枝の様子に、何か内密の話があると察したのだろう。
 ソファに腰を下ろしていた永山はすぐに立ち上がり、

「・・・じゃ、今日のことについては、また日を改めてってことで ―― それまでに資料を諸々、纏めておきますよ」

 と言って、その場を立ち去ろうとする。
 が、三枝は小さく首を横に振って、永山を引き留めるような素振りを見せた。

「待ってください豪さん。これは豪さんにも聞いて頂いた方が良いかもしれません ―― むろん会長のお許しがあれば、ということですが」
 と、言って三枝が許可を得るように俺を見る。

「今更、お前たちに隠さなきゃならないことなんか、なにもない」
 と、俺は肩を竦めて言った。
「お前が聞かせた方がいいと思うのなら、それでいい ―― 何だ。話せ」

「・・・これは、志筑さんに関係するお話です」

 勧められるままソファに腰を下ろし、一拍間を空けてから三枝が言い ―― それを聞いた俺はもちろん、永山の顔にもさっと緊張が走るのが、見て取れた。

 三枝の話は、1ヶ月ほど前から六本木のマンション前に、不審な女性の姿が見えるようになった ―― というところから始まった。
 しかも2、3日おきにマンション前に姿を現すようになったその女性が、出入りする住人を手当たり次第に捕まえては稜のことを聞いて回っている、というのだ。

 一報を聞いた時、三枝は稜の昔の恋人かなにかかと思ったらしいが ―― 一瞬俺もそう思った ―― 詳しく報告を聞いてみると、どうやら年齢が相当若いらしい、20代になりたてか、あるいは10代後半くらいらしいということが判明する。
 更に不審に思った三枝が詳しく調べてみると、比較的あっさりと彼女の身元は割れた。

 彼女の名前は、片山みずき。
 今年の春に都内の有名大学に入学した、女子大生だという。

 そしてなんと彼女は稜の姪 ―― つまり祥子さんの娘だというのだ。

 三枝が報告をし終えた後、俺と永山は思いもかけないその事態に、完全に言葉を失っていた。
 報告をし終えた三枝にも、何とも言いようのない、対処のしようがないというような雰囲気が透けて見える。

 これは本当に、珍しいことだった。

 この世界に入った時期が一番遅い俺でも、20年近い歳月をここで過ごしている。
 自分たちが身をおいている世界では、何が起こってもおかしくはない、というのは骨身にしみて分かっているのだ。

 だが今回のことに関しては、あまりに想像外、想定外、予想外の話だった。

「・・・相変わらず、志筑さんには驚かされるな」
 と、永山が言った。
「志筑さんが呼んだわけでもないと思いますがね」
 と、三枝が言った。
「そりゃあ分かってるけどさ・・・、しかしどうして六本木のマンションのことが分かったんだろうな?サツの関係者って訳でもなさそうだし、志筑さん本人がちょっと連絡を取ったところから、情報が漏れたとか?」
「さぁ・・・、そのあたりは志筑さんに確認をしてみないと、何とも言えませんが」

「いや、稜から情報が出ることはあり得ない」
 それまで黙っていた俺は、きっぱりと言った。

 過去に関わった人間とは一切関わり合わない、という稜の決意がどれほどのものか、俺はよく知っていた。
 見ていて正直、それらと少しでも関わって、現状を後悔するきっかけになることを恐れているのではないかと勘ぐってしまうほど ―― そういう部分もあるのかもしれないが ―― 稜の考えは頑としていた。

 それに俺とのことだけでなく、稜が彼らと連絡を取れない理由が他にもあることを、俺は稜から聞いて知っていた。
 万一誰かに連絡を取りたいと思って、取ることがあったとしても、それは彼女やその関係者では絶対にないのだ。

「 ―― 脅して近づかせないようにするのは、簡単です」
 俺の言葉に頷いた三枝が、言った。
「しかし志筑さんの関係者にそういう扱いをするのは、私でも気が引けますし・・・言って素直に聞いていただけるかと考えると、一抹の不安も覚えます」
「まぁなぁ、・・・なんと言ってもあの志筑さんの姪御さんだしなぁ・・・」
 と、永山が右手で顎を撫でながら言ったところで、三枝のスーツの内ポケットで携帯が鳴った。
 回線をつないだ三枝は黙って相手の話を聞き、分かった。と短く答えて電話を切った。

「会長。彼女がまた、マンション前に姿を現したそうです ―― どういたしますか」

 尋ねられた俺は数瞬、床に視線を落として考えてみてから顔を上げ、
「至急、稜を連れてこい。俺から事情を説明して ―― その後どうするかは、稜と話してから決める」
 と、言った。

「・・・どうしてここが分かったんだろう」

 一通りの状況を話してからやってきた六本木のマンション前、停車したリンカーン・コンチネンタルの車窓から外を見て、稜はひとりごちた。
 そしてそれから、首を回して俺を見る。

「俺は連絡なんか、一切してないぞ」
「・・・奇遇だな。俺もだ」
 マンション前の植え込みの脇の段差に軽く腰をかけた彼女を見ながら、俺は言った。
「だが問題はそこじゃない。彼女はここ1ヶ月、数日おきに10回以上ここにやって来て、お前のことを聞いて回っている ―― それを今後、どうするかだ」

 俺の言葉を聞いた稜は頷き、再び車窓から彼女の姿を眺める。
 稜の視線の先にいる彼女は固く唇を結び、その瞳には強い意志の光があった。

「 ―― しかしお前、血を感じるんじゃないか、あれ」
 と、俺が言ってみると稜はぎろりと俺を睨み、
「そんな、冗談を言ってる場合か」
 と、俺の右足の脇をつま先で軽く蹴った。

 まるでそれを合図とするように、彼女が立ち上がる。
 稜は反射的に身体を強張らせたが、彼女はリンカーン・コンチネンタル内を透視した訳ではもちろん、なかった。
 立ち上がった彼女は腕時計で時刻を確認してからコートについたゴミを払い、脇に置いたバッグを取り上げてマンション前を立ち去ってゆく。

「 ―― 何とかして、やめさせなきゃいけない」

 彼女の後ろ姿をずっと見送っていた稜がやがて、ぽつりと、呟いた。