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「すみません!本当に、本当に、本っっっ当にっ、すみません!!申し訳ありませんっ!!」
米搗きバッタの如く何度も何度も、頭を下げ続ける舎弟たちを、俊輔は怒りと困惑がないまぜになったような表情で、眺めていた。
それを見る幹部たち ―― 永山も、三枝も、船井も ―― 俊輔と同様、何とも形容し難い、渋い表情をしている。
彼らをこんな表情にさせているその理由は、数時間前に品川であったとある出来事に端を発していた。
その出来事というのは、それは・・・ ――――
それは暑かった夏が終り、ようやく涼しい秋風が吹いてきた10月の末のことだった。
その日の午前中、暇を持て余した稜は品川のマンションを出て、近所の本屋に向かっていた。
基本的に俊輔は、稜の周りに物々しい警備をつけてはいない。
俊輔に対するようなやり方の警備をつけると、稜の息が詰まってしまうだろうというのは、俊輔だけでなく事情を知る関係者の全てが理解していることだった。
それでなくとも不本意な今の状況に甘んじている稜にこれ以上の精神的負担をかけては、いつか色々なものが破綻していってしまうだろう、と。
むろん影ながら、守らせてはいる。それは当然だ。
その為に動いている人員の多さは、駿河会会長である俊輔に対する以上のものですらあった。
万一稜に害を為そうとするものがいても、稜に傷をつけるどころか、指の細胞一つ、彼に触れることは出来ないだろう。
そう、そうなっていたのだ、だが、しかし ―― その日稜に近づいて声をかけたのは、その警備が到底及ばない世界の住人であった。
「お久しぶり、志筑さん」
音も立てずに道路脇に停車した車から顔を出し、にっこりと微笑んで、駿河菖蒲が言った。
「 ―― そうですね。お久しぶりです」
少し驚いた顔をしただけで、稜も微笑んで、言った。
「どちらへいらっしゃるの?」、と菖蒲が訊く。
「ええ、ちょっと本屋に」、と稜が答える。
「欲しい本が?」
「いえ、そういう訳ではなく ―― 何かあるかな、と思って。日中は暇なので」
「そうですか、それでしたら私の買い物にお付き合いいただけないかしら?買わなければならないものがあるのですが、悩んでしまっていて ―― 志筑さんのアドヴァイスがいただけたら、嬉しいわ。
その後、お礼と言ってはなんですけど、お食事でも。とても美味しい、お豆腐の懐石を食べさせてくれるお店があるんです」
「豆腐の懐石、ですか?」
「ええ、懐石と精進料理の間、という感じかしら。私のお気に入りのお店」
「 ―― いいですね」
一瞬の間考えてから、稜は言った。
俊輔が用意した以外の車に乗るなとか、
予定を大幅に変えてどこかに行く時は連絡をしろとか、
普段、耳にタコが出来るほど言われてはいた。
が、相手が菖蒲であればその限りではないだろう、と稜は思った。
菖蒲の買い物に付き合って、昼食を共にするくらいのことならば、何ら問題はないだろう、と。
稜の心の内を正確に察した菖蒲が小さく示した合図を受け、車から出て来たスーツ姿の男性がドアを開ける。
礼を言って稜が開けられたドアから車内へと乗り込み、車は発進した。
そこから車は首都高から東名高速へと進んで行ったが ―― そこまではまあいい。
だが車が横浜をあっさりと通り過ぎるのを見て、稜は首を傾げる。
「あの、菖蒲さん。我々は一体、どこに向かっているのですか?」
車窓から外の景色を眺めながら、稜が訊いた。
「京都です」
いかにも当然だと言わんばかりに、菖蒲が答えた。
その返答の仕方があまりにもあっさりとしていたので、あやうくそのまま納得しかけた稜だったが ―― むろんそれは、簡単に納得する訳にはいかない回答だった。
「 ―― き、京都!?」
「ええ。ひとつ着物を仕立てなければならないのですが、先ほど言ったとおり、柄で悩んでしまっていて・・・私、着物は必ず、京都で仕立てるんです。それにお豆腐といえば、京都でしょう?」
「・・・、はぁ、まぁ、いや、でも ―― 昼食を、というお話だったはずでは?」
「あら、私、そんなこと言いましたっけ?」
真顔で訊き返し、菖蒲は身体をひねって自分の横に置いてあった紙袋を持ち上げる。
「お昼はこちらに用意してあります、おにぎりですけれど ―― 私が、握りましたのよ。久々にお料理をしました」
微かに満足げな菖蒲の返答を聞いた稜は、おにぎりは料理とは言わないのでは・・・?と、思った。が、つっこむべきところはむろん、そこではなかった。
「しかし、俊輔に知らせずに京都などに行くのは、ちょっと、問題が・・・」
「問題が、と言われましても、こうして高速に乗ってしまったからには例え駿河会会長がどう言おうと、Uターンは出来ません。
それに志筑さんの側についていた者たちには、行く先を告げるように言っておきました。今頃ちゃんと俊輔さまには伝わっているはずですから、ご安心ください」
にっこりと笑って菖蒲は言ったが、そういう問題ではないのだと、稜は思う。
こんな勝手なことをして、また自分に付いていた舎弟に制裁がどうのこうのという話になるのは、後ろめたいことこの上ない。
暴力的な場面を直接見たことはないが、稜に関してはどんな小さなミスも許されず、時にはそれなりの制裁を受けているらしいことを、稜は察していた。
なぜなら何らかの問題が起きた後、いつも側にいる舎弟の姿が数週間、見えなくなったりすることがあるのだ ―― そういう時は外傷が表から分からなくなるまで、稜の前には出ないよう、言われているのであろう。
それはあくまでも稜の想像でしかなかったが、9割以上の確率で間違っていない推察だろうと、稜は考えていた。
自分の警備に当たっている人たちが本当に事細かに気を配ってくれているのを知っているだけに、そのたび申し訳なくてたまらない、という気持ちになっていた稜なのだ。
きっと今回は、これまでに例をみないような、酷いことになってしまうのではないか、殺されることはないとしても、それでも、・・・ ――――
「・・・その点も、ご心配なさらなくて大丈夫ですよ」
考え込む稜に向かって、菖蒲が言った。
はっとして顔を上げた稜に向かい、菖蒲は微笑みかけて、続ける。
「この私が命令したことには、例え永山であっても逆らうことは出来ないでしょう。それがあのような者たちなのですもの ―― 謝罪をすることは免れないでしょうが、そうそう酷いことにはなりません」
「・・・そうでしょうか」
「ええ、それはもう、間違いありません。でも念のため私から改めて口添えしておきますから、ご心配なく」
「 ―― ありがとうございます。よろしくお願いします」
と、稜は言った。
「いいえ。そもそも私の我儘から始まったことですもの」
と、菖蒲は言った。