November Rain

「おい辻村、どこに行くんだ?次の5限目の授業、視聴覚室だぞ。方向が逆だ」

 教室から出て数歩行くか行かないかのところで背後からそう声をかけられた俺は堪えきれず、うんざりとため息をつく。

 1年ほど前にこの街へ引っ越してきた俺は、入学式から1ヶ月ほど遅れてこの高校に中途編入したのだが ―― 編入してから半年、背後にいる志筑稜という名の同級生にやたらとつきまとわれていた。

 家庭の事情で引っ越しすることが多く(物心ついてから幾度引っ越したのか、数えることすら放棄しているくらいだ)、当然ながらそのたびに転校を余儀なくされてきた。
 そんな中で俺は親しい友人を作る虚しさを、嫌と言うほど思い知らされていた。
 複雑な家庭環境のせいもあり、普通より他人と親しくなるのが難しいのに、それを乗り越えてやっと友人を作ったとしても、早晩引っ越しをしなければならなくなる。しかも事情により、ろくに別れの挨拶すら出来ないのだ。

 そんな訳で俺はいつしか、友人を作るという行為に、何の意味も価値も見い出せなくなっていた。
 元来周りの全てと社交的に関わりたいと思う方でもなかったし、いざ“友達などいらない”と決めてしまえば、友人がいなくとも特に不便や寂しさを感じることもなかった。

 最近ではごく自然に、特に努力することもなく、“俺に近寄るな”というオーラを自分の半径1メートル以内に張り巡らせるようになっていたのだが ―― それがこの志筑稜には、さっぱり効かなかった。
 どんなに冷たくあしらっても、痛烈な嫌味を言ってみても、まるで効果がない。
 いや、効果がないどころか、志筑稜はにっこりと笑いながら、俺が口にした嫌味に負けない、痛烈かつ鮮やかな切り返しをしてきたりするのだ。

 最初の頃は“こいつは鈍いのか、馬鹿なのか。どっちなのだろう”と思っていた俺だったが、そんなことが幾度かあって、考えを変えざるを得なくなる。

 こいつは ―― 志筑稜は ―― 決して、鈍い訳でも、馬鹿な訳でもないのだ。

 そんな俺たちのやりとりを見ても、周りは、あいつは猪突猛進型だからなぁ。などと言うばかりで、嫌がる俺を助けようとも、志筑稜を止めようともしない。
 そこには、あいつに見込まれたら諦めるしかないんだ。とでも言いたげな気配があった。

 全く、追いかけられる身にもなれと、声を大にして言いたい。
 猪だってあいつよりは立ち止まって考えることもあるんじゃないか・・・?

 ―― と、まぁ、そんなこんなで、俺は久々に人間関係の坩堝に引きずり込まれていたのだった。

「おい、辻村 ―― 」
「うるさいな、便所くらい、自由に行かせろ」
 ぴしゃりと志筑稜の言葉を遮って俺は言い、廊下の端に位置する便所へと歩いて行く。
 そしてぐったりとした気分で用を足していると、後を追うように別の生徒がやって来て、便器を一つ開けて俺の隣に立った。

 こいつは確か、同じクラスにいる奴だったよな、と俺は思う。
 名前は、確か・・・確か ―― ええと、何だったっけ?  山がついた気がする。山田?中山?山本?小山・・・?・・・、・・・ ―― まぁとにかく、そんなような名前の奴だ。

 特に話すこともなかったので俺たちは無言のまま並んで用を足し、手を洗って便所を出る。

「おいおい、辻村、本当に方向逆」
 便所を出て、その斜め向かいにある階段へと足を向けた俺に、山を含む名字を持つ生徒が笑いながら言った。
 先ほどの志筑と俺の会話を、聞いていたらしい。

 俺は首だけ曲げて振り返り、
「風邪気味で気分が悪いから、保健室に行く。品行方正な学級委員殿に、そう言っておいてくれ」
 と、言った。
 山・・・某は、それを聞いて苦笑し、
「辻村って、志筑のこと、本当に嫌いなんだな」
 と、言った。
 それを聞いた俺は、肩をすぼめて答える、「別に嫌いじゃない。ただ苦手なんだ。凄く」

 そう言いざま、俺は階段を下りてゆく。
 後ろで山・・・某がまだ何かを言っていたようだったが、それは聞こえなかったことにした。

 向かった保健室にいた保健医は、俺の顔を見て開口一番、
「君は本当によく来るわねぇ。転校生だって聞いたけど、まさかイジメられたりとか、そんなんじゃないでしょうね?
 まぁ、いじめられて保健室に来るような、大人しい性格ではなさそうだけど」
 などと、微妙に失礼なことを言った。

 とんでもない、来る日も来る日も猪に追いかけられて、息も絶え絶えです。と心の中だけで答え、俺は保健室のベッドに横になり、重い布団をかぶって目を閉じ ―― 次に気付いたとき、辺りは既に暗かった。
 私ももう帰るから、後は家に帰って眠りなさい。と保健医に揺り起こされて時計を見ると、時刻は7時に近い。
 少しだけ眠って6限目は出るつもりだったのだが、チャイムの音に全く気付かなかったらしい。

 また明日、志筑稜にやいやい言われるのだろうと思いながら俺は教室に寄って鞄を手にし、校舎を出る。
 もちろん俺はそのまま、真っ直ぐ家に帰るつもりだった。
 が、ふと体育館の脇にある倉庫に明かりが点いているのに気付き、何の気なしに中を覗き込み ―― 瞬間、俺は激しい後悔にかられる。

 そこいたのはあの志筑稜で、あろうことかちょうど顔を上げた彼と、ばっちり目が合ってしまったのだ。
 見なかったことにして、帰るわけにもいかない。

 キリスト教徒であれば、おお、神は我を見放したもうたか・・・。などと嘆息するところだろうが、生憎と俺は無神論者だったので、ただため息をつき、
「・・・何をしてるんだよ、一体」
 と、訊いた。
 志筑は30度ばかり首を横に傾げ、
「見て分かるだろう、片づけてるんだよ。最後の体育の授業の、当番だったんだ」
 と、答えた。
「もう一人の当番は?」
「スコア・ボードを置きに来るだけだったから、俺だけで大丈夫だって答えたんだけどさ・・・いざ来てみたら凄い散らかってたから、片付けているところなんだ」
 と、志筑は倉庫の片隅に置かれたスコア・ボードを指差して説明した。
「・・・片付けたって、どこを?」
 各種競技用のボールの入った鉄かごやら、丸められたマットレスやら、バレー・ボールコートの網やら、テニス・ラケットやら、・・・その他諸々、細かい用具が散乱した床を見て、俺は言った。
 それを聞いて、志筑は笑う。
「いや、最初は表面だけちょっと片付けようと思ったんだよ。でもどんどん、収拾がつかなくなってさ ―― どうしようかなと思っていたところだったから、ちょうど良かった」
「・・・ちょうどいい?何が?」
 嫌な予感に襲われつつ、俺が義務的に訊くと、
「ちょっと手伝ってくれよ。床は綺麗にしたから、あとは元あった場所に、戻すだけだからさ」
 と、志筑は至極当然のように答えた。

“元々あった場所に戻すだけ”と志筑はいとも簡単そうに言ったが、結局その作業は、2人掛りで1時間以上かかった。

 しかも踏んだり蹴ったりというか、泣きっ面に蜂というか、全てを終えて外に出てみると、雨が降っていた。

「傘、持ってるか?」
 土砂降りではないものの、それなりにしっかりと降っている雨を右手に受けながら、志筑は言った。
「・・・いや」
 どうして体育倉庫を覗いたりしたんだろうと、果てしない自己嫌悪に陥りながら、憮然として俺は言った。
「辻村の家って、どこだったっけ」、と志筑が訊いた。
「南町。イトーヨーカ堂の裏手」、と俺は答えた。
「そっか。じゃあ走れ」
「はぁ?」
「俺の家、4丁目だからさ、そこまで。傘、貸してやるよ」
「・・・いいよ別に。傘なんて」
「何を言ってるんだ、ちっともよくない。この時期の雨って冷たいからさ ―― こんな中南町まで走ったら、風邪が悪化するぞ」

 と、志筑は言って笑い、ちらりと横目で俺を見た。
 嫌味なのだ。

 むっつりと黙り込んだ俺を見て再度、楽しくてたまらないという風に笑い、志筑は俺の腕を強引に掴んで雨の中を駆け出した。