TRURH ABOUT LOVE - 1 -
稜、と耳元で囁かれて、意識が覚醒した。
刹那、俺は条件反射のように身体を反転させ、彼に ―― 俊輔に、背を向けてしまう。
背を向けてしまってから、馬鹿みたいだ、と思う。毎回必ず、そう思う。今更こんな反応をするほうが恥ずかしいじゃないか、と。
しかし反射神経的に示してしまう反応は、如何ともし難いのだ。
正直なところを言ってしまえば、俺は未だに俊輔と寝るのは気恥ずかしいというか、照れくさい。
そして何より、俺の反応など気にする素振りなく背後から俺を抱き寄せる俊輔の、火照る肌を強弱をつけて撫でてゆく指や、後頭部から首筋、肩胛骨のあたりにかけてを這う唇や、時折耳朶をかすめる愛撫にも似た息づかいや・・・、そういう甘ったるい雰囲気のことごとくが、意識を飛ばしていたこの1時間ばかりの間に自分が彼に晒した痴態がどんなものであったのかを表しているようで、もう本当に、いたたまれない気分になる。
そんな熱に浮かされたような意識のすぐ裏に、恐ろしいほど醒めきった自分がいることに気付いたのは、いつのことだったろう。
憎しみや殺意にも似たその想いは、凍えきり、固く鋭く、刺々しい雰囲気を纏っている。
そして俺の中にあるその感情はひたすら真っ直ぐ、俊輔へと向かっているのだ。
誤解されては困るのだけれど、俺は基本的に俊輔に対して、なんの屈託もない。
恋愛感情について尋ねられると未だに返答に困る俺だったが、彼に強烈に惹かれていることは間違いない。
今日のように久しぶりに俊輔が帰ってきた日などは ―― 彼はこの2週間弱、九州方面に行って留守にしていたのだが ―― 特にそのことを自覚させられる。
ただいま、という掠れた彼の低い声を耳にするのと同時に、彼を欲する気持ちが(そこにはもちろん、肉欲も含まれる訳だが)暴走しそうになるのを隠すのに酷く苦労するほどだ。
しかしそれと綺麗に重なるように俊輔に対する醒めた気持ちもまた、しっかりと俺の中にあるのだ。
それらそれぞれの想いに中間はなく、そのことについて考え出すと、俺は無尽蔵に成長してゆく渓谷の底に放り込まれたような気分になる。
左右の崖が延々と成長してゆくのを為す術もなく眺めながら谷底でただ一人、途方に暮れている。
いつの日か育ちすぎた両脇の崖が均衡を崩し、崩れて落ちてくるのではないかという恐怖に怯えながら。
ここまで相反する強い想いが一個の人間の中に共存している状況というのは、果たしてまともなのだろうか。そもそもこんなにも乖離した想いを抱き続けることは、可能なのだろうか。
そう思うものの、どうすればいいのか分からない。
いつから、どうしてこんなことになってしまったのか、俺にはさっぱり分からないのだ・・・ ――――
「明日からまた、忙しくなる」
ふいに耳元で、俊輔が言った。
あれこれぼんやりと考え込んでいた俺は一瞬の間を空けてから、小さく首を回して俊輔を見た。
「・・・またしばらく帰ってこないのか?」
「寂しいだろう?」、と俊輔はにやりと笑って言った。
そこで俺は思わず、返答に窮してしまう。
こういう瞬間にも、自分がおかしくなっていることを自覚させられる。
以前の自分が俊輔のこういった問いにどう答えていたか、思い出せない ―― いや、思い出せることは思い出せる。ああ、ものすごくね。とか何とか、そういう感じで答えていたはずだ。
しかしその“ものすごくね”の言い方が ―― そこに込めていたあざといほどの強さとか、冗談の雰囲気とか ―― そういうものを言葉に込めるやり方が、最近思い出せないのだ。
ほんの数年前までは呼吸をするのと変わらない自然さで対応出来ていたはずなのに、そういうのがどんどん掴めなくなっている。
おかしい、と思う。こんなのは明らかに、おかしいだろう、・・・・・・
「・・・冗談だ」
俺が黙ったまま答えなかったので、フォローするように俊輔が言った。
「ああ、いや・・・、ごめん。ちょっとぼんやりしてて」
そう誤魔化して、俺は身体を反転させて改めて俊輔を見上げる。
「でも最近なんだか、ずいぶん忙しいみたいだよな・・・なにか問題でも起こっているのか?」
「問題は」
「“いつもある”んだろう?それはもう分かってる。
相良さんも何も言わないし、大きな問題は起こっていないことも分かっているんだ。だから今のはただ・・・言ってみただけ、って言うか」
「言ってみただけ?・・・なんだそれは。変な奴だな」
と、俊輔は軽く声を上げて笑う。
が、むろん俺は笑うどころではない ―― やはり俊輔から見ても、俺は変なのだと思うと、笑う振りすら出来なかった。
「・・・変で悪かったな」
と、俺は辛うじて冷たくそう言い放ち、再び俊輔に背を向けて布団を引き被る。
後ろで俊輔が謝ったり宥めたりすかしたり、いろいろやっていたが、俺は目をつぶったまま、一切反応しなかった。
*
予告通り、次の日のお昼すぎに出かけて行った俊輔は数日後にちらりと顔を見せたくらいで、まともにマンションに帰ってこなくなった。
毎日なんだかんだと電話はしてくるし、組織内外で問題があれば逐一説明をしてくれる相良さんも何も言っていなかったので俺は特別心配することもなく(個人的な悩みはあったものの)、普段通りの日々を過ごしていた。
だからその日、俺と俊輔が住むマンションの部屋に相良さんが来た時も、
「ああ、相良さん、もし夕食がまだでしたら、ビーフシチューを多く作ってしまったので、食べて行きませんか」
などと、呑気に話しかけたのだ。
相良さんは普段と変わりなく頷いたがテーブルにつくことはなく、静かにリビングを横切って俺の傍にやって来て、
「ありがとうございます ―― ところで志筑さん、まず最初に言っておきますが、会長はご無事です」
と、唐突に言った。
が、それでも俺はぎくりと身体を強張らせてしまう。
ぐらりと視界が揺れるような感覚があり、俺は慌ててシンクの端を両手で掴む。
そんな俺の背中にそっと手を置き、相良さんは噛んで含めるような口調で続ける。
「大丈夫、落ち着いて下さい。会長の身は100%安全で、それはもう、絶対に確かなことです ―― 大丈夫ですよ。大丈夫ですから」
そんな相良さんの声を聞きながら、俺は何度か深呼吸を繰り返す。
油断すると身体が震えてしまいそうだったが、それを全力で押しとどめて、顔を上げる。
「・・・何が、あったんですか」
と、俺は言った。
「つい1時間ほど前、赤坂にある駿河会事務所前で会長が逮捕されたそうです」
と、相良さんは言った。