TRURH ABOUT LOVE   - Epilogue5 -

 その後、俺はひたすら仕事一色の日々を過ごした。

 無理矢理すぎる婚約破棄(いくらなんでも結婚までする気はなかったのだが)の影響により、調整し、解決しなければならない問題は山積している。
 問題の発生率が多いのは当然ながら相手の組織の方であったが、数は少なくとも解決が厄介そうなのは内部の元幹部連から出る抗議の声で、俺はそれらを片っ端から解決していった。

 ただそうして忙しく働いているなかでもひとつだけ、決めていることがあった。
 それは“1日1回は必ず品川に帰る”ということだ。

 食事をする間も惜しい、というような状況も少なくなかったので、事務所で仮眠を取る方が効率的な日もあった。
 そもそも稜のいないマンションに帰っても侘びしく暗い気分になるだけなので、極力帰りたくない、というのが本音だ。
 だが侘びしさを打ち消すために仕事に打ち込み、マンションに帰らない日々を送っても、それは“稜を待っている”ことにはならない気がした。

 大切に思っている人間の状況を知らず、心配と不安だけが蓄積してゆく感覚 ―― 稜はかつて、“お前が家を出た瞬間から帰ってくるまで、ずっと心配のし通しだ”というようなことを言っていたが、この数年間、彼は来る日も来る日も、文字通り1年間365日、この感覚に苛まれていたのだ。
 そしてその不安の積み重ねが、稜の何かを、少しずつ狂わせていったのかも知れない ―― そのことに俺は、今更ながらに思い至った。

 先日三枝は、稜を働きに出したらどうかと言った。
 彼が稜のそういった不安を慮ってああいう提案をしたかどうかは分からないが、確かにそれもひとつの手ではある。
 日々すべきことに追われていれば、忙しさに取り紛れて考えても仕方のないことは考えなくなる部分はあるだろうから。
 しかし稜がそういう理由で(言わなくても稜は気付くに違いない)就業するだろうか ―― と考えてみると、絶対にしないだろうな。という確信が俺にはあった。

 だからやはり、行き着く先は俺なのだ。これは俺の問題なのだ。
 俺のやり方を変えなければ、今後も同じことを繰り返すだけなのだろう・・・ ――――

 幾度考えてみてもその結論にしか達することが出来ず、どうしたものかと思い悩んでいたある日 ―― 稜から、手紙が届いた。

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 俊輔へ

 久しぶり、元気か?

 変な書き出しだよな、分かっている。
 でもどういう書き出しにするべきなのか、考え始めたら訳が分からなくなって途方に暮れて、30分近く悩んだんだ。
 だから・・・というのもおかしな話だが、ここは大目に見てくれ。重要なのは書き出しの言葉じゃないしな、もちろん。

 俺がここへ来てそろそろ1ヶ月になる。
 毎朝毎晩、凶悪なほど冷え込むのが難点と言えば難点だが、それを含めてもここはいいところだ。
 部屋には大きな暖炉があって珍しい上に暖かくて、悪くない。
 薪を使う本物の暖炉を日常的に使うのなんて初めてだけれど、真夜中に電気の類を全て消して、本物の闇の中で(夜になるとここは本当に、一分の隙もなく真っ暗になるんだ)焔のゆらぎを見ていると、人間の原点はここにあるのかもしれないとすら思える。
 それに食事も近くの猟場で狩ったばかりの鹿や雉の肉が出て来たりして、毎日今日はどんなものが出てくるのかと思う(多少身構えるような気持ちも、あるにはある)。
 ああいうのは恐らく、フランス料理店でジビエとかいう名前でくくられて出されるものなんだろうな。
 俺はジビエは苦手なんだけれど、ここで出されると特に抵抗なくすんなり食べられるから不思議だ。何が違うんだろう?
 フランス料理店なんかで真っ白い皿にのせられてあの肉が出てくると、グロテスクさが増して感じられるからだろうか?どうだろう。分からない。

 そんな話はいいから早く居場所を言え、ってお前が眉間に皺を寄せている様が見える気がする。
 でも焦らしている訳じゃないんだ、これは本当に。
 ここで感じたこと、思ったこと、決めたことを最初から最後まできちんと伝えなければいけない気がして、でも口ではうまく言えそうもないから、手紙を書いている。
 だから最後まできちんとつき合ってくれ。そんなに長くはならない。

 繰り返しになるがここへ来て1ヶ月弱、正直、俺も最初はこんなに長いこと東京を離れているつもりじゃなかった。
 ものすごく長くても、1週間くらいでは帰るつもりだった。いや、違うな。帰らざるを得ないだろうと思っていた。
 お前の声も聞かず、話もせずに1週間・・・無理だ、とても耐えられないだろう、ってね。

 でも実際やってみたら、意外と平気だった。
 この1ヶ月ほどで俺は、時が経つということの意味と有り難さをつくづく実感したし、生きることは忘れることなんだ、という言葉が真実であることを知った。
 同時に“お前は今更ここ以外のどこにも行けない”なんて言ったお前や“お前は俊輔の魅力に囚われている”なんて知ったようなことを言った佐藤会長に対して、どうだよ。というような気分にもなった。
 俺は“どこにも行けない”なんてことはないし、“誰かに囚われて”なんかいない。
 お前が側にいようといまいと関係なく、俺はどこにでも行けるし、一人ででもやっていける。そう確信した。

 でもな俊輔、不思議なんだ。
 そういう確信を育てたこの1ヶ月は、同時にそれでも俺はお前のところに帰るんだという自覚を強くした1ヶ月でもあった。
 お前がいなくても、会わなくてもやっていける、そういうはっきりとした自信があっても、それでも俺はお前の所に帰るんだ。

 笑えるだろう?
“どこにも行けない”というのと“どこにも行かない”というのは語感としては全く違うように思えるけれど、そこに無理強いがないならその差はいったい、どこにあるっていうんだ。
“ここ以外どこにもいけないだろう”と言われた瞬間、俺はものすごく腹が立ったけれど、何と言うことはない、お前の言うことは本質的に正しかった。
 いつもそうだ、昔から。
 後先考えずにとりあえず進んでからその先で思い悩むことの多い俺と違って、お前はいつでも涼しい顔をして揺るぐことなく物事の本質を、本質だけを見ている。
 悔しいけれど、どうしようもない。
 俺は言われたとおりお前のところ以外どこにも行かないし、行けるのに行けない、という事実を鑑みると俺はお前に囚われてもいるんだろう。佐藤会長が自信たっぷりに言い切ったように。

 ここでこれまで書いたものを読み返してみた。
 なんだかこれは、核心を明確にしていないラブレターみたいだ。
 思わず破り捨てたくなったが、お前はこれを読みたいんじゃないかと思うし、俺自身にもどこか、読んでほしいという気持ちがある気がする。
 だからこのまま送ることにするけれど、お前にふたつ、たのみがある。

 ひとつめの頼みは、読み終ったこの手紙を燃やすこと。
 こんなラブレターじみた手紙をお前が持っていて、時々読み返しているかも知れないと思うと・・・とてもじゃないが耐えられない気がする。いや、絶対に耐えられない。
 だからこれはきちんと燃やしてくれ。捨てるのではなく、燃やすこと。ひとかけらも残さずに。これがひとつめ。

 ふたつめは、ここまで俺を迎えに来てほしい。
 連絡をすれば迎えに来てくれる手はずになっているんだが、俺はお前に迎えに来てほしい。
 場所的にここは、東京からそう遠くないんだ。
 再勾留される可能性のある俺の恋人は、遠出が出来ないだろうと思ったからな。愛を感じるだろう?

 この場所についての詳細や注意事項は、幹部の人たちはだいたい皆知っているはずだ。
 忙しいだろうが、出来るだけ急いで迎えに来てくれ。

 早く、お前に会いたい。

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 そこで署名も何もなく終った手紙を手に俺は、暫し茫然としていた。
 胸に沸き起こる息苦しいまでに熱いものが、歓喜なのか何なのか、分からない。

 どれくらいの間、そうしていただろう。
 俺はゆっくりと、手にした手紙を1枚目に戻す。

 そしてもう一度初めから読み返そうとして ―― やめた。
 2回読めば2回分、3回読めば3回分、いや、それ以上にこの手紙を燃やしてしまうことが難しくなるのを、知っていた。

 だから俺は極力ものを考えないように努めながら手紙を元通り折り畳み、手紙が入っていた封筒と重ねて灰皿の上に置く。
 そして素早く、その端にライターで火をつけた。
 焔は一瞬躊躇うように小さく震えたが、すぐに重ねられた紙の角を舐めるように伝わってゆき、瞬く間に大きく燃え上がる。

 その焔の揺らぎを、俺はただ黙って眺めていた。

 紙は早く燃え尽きてしまえばいい、でもそこに書かれた文字はゆっくり、ゆっくり、焔に消されてゆけばいい ―― そんな相反する思いを、胸に抱きながら。

―――― 番外編 「TRUTH ABOUT LOVE Epilogue」 END.