1 : 翳り
薄墨で描かれたように霞む山影の向こうへ沈み込もうとしている太陽が、ひび割れた天(そら)と雲を金色に染めている。
こんな状況下なのに。と思いながらも、ディアウスはうっとりとその光景を眺めていた。
「兄様・・・じゃなかった、天王様!」
そう呼び掛けられ、顔を顰めてディアウスは振り返る。
「プリティヴィー!」
目の前に立つ妹の胸元に人指し指を突きつけ、ディアウスは言う。
「妹にまで様付けで呼ばれるなんてまっぴらごめんだと、何度言えば分かる?」
「そんなこと言ったって・・・」
ぷうっと頬を膨らませて、プリティヴィーは言い訳をした。
「みんなが言うんだもの。『ディアウス様はあなたの兄上である前に天の王であり、天神という存在であられるのですよ。その辺をあなたからきちんとして頂かないと、下々の者に示しがつかないではありませんか!』」
「それはみんなが、と言うよりアラーニーが言ってるんだろう」
「あ、バレちゃった?さすが兄様」
ぺろりと舌を出して天を仰ぐ妹に、大袈裟にため息をついてみせてから兄は笑った。
「さすがも何も、その口調はアラーニーそのままじゃないか。
最近アラーニーは私の前ではそういう話し方をしないけれど・・・相変わらずなんだな」
「あの人は永遠に変わらないわよ」
肩を竦めながら、プリティヴィーはディアウスが持っている芳しい匂いを放つ草の入った籠を受け取った。
「アラーニーは“木の女神”って神名(しんめい)通り、何もかもが太陽に向かって真っ直ぐ伸びる木みたいじゃないと気がすまないのよ。
・・・で、兄さま、他にはどの薬草が欲しいの?探してあげるわよ」
「ありがとう。でももう全部見つけられたから大丈夫」
ディアウスは妹の腕に手をかけて、独り言の様に続ける。
「プリティヴィー、あなたが私よりも先に生まれて“天神”の神名(しんめい)を受け、天王を名乗ることが出来れば良かったのに・・・これまでに幾度、そう思ったか知れない。
あなたの方が与えられた能力にゆるぎない自信を持っているし、体力だってあるし。その点私は・・・」
「兄さまの悪い癖よね、それって。確かに先に生まれた方が天王を名乗るという通例みたいなものは、ある訳だけれど」
深いため息の後、プリティヴィーは真剣な顔をして兄の顔を至近距離で見詰めた。
「でも先に生まれようが後に生まれようが私は“地神”であって、“天神”として天王を名乗るのは紛れもなく兄さま、あなたでしかあり得なかったのよ。
私が誰よりも薬草の事が分かるのも、私が大地の恵みを授かっているからじゃない。兄さまが私よりも薬を作ったり、傷を“気”で治したりする能力が高いのは天の恵みを受けている証拠だし。
それに預知の力だってそうよ。兄さまみたいに正確な預知を出来る人は前例がないってみんな言っているわ。生まれた順番なんて関係ないの、もっと自信を持ってよ」
「預知の力に自信など・・・あれはとんでもなく気味の悪い能力だとしか私には思えない。自分の意思で未来を見れるのならばともかく、あれはそんなんじゃないと、プリティヴィーだって知っているだろう」
呟くようにそう言って、ディアウスは軽く身震いをした。
「なにか得体の知れない“モノ”が私達の身体を“使って”いるだけで・・・預知が降りている間の記憶は全くない。
その昔行われていたという『ルドラ王の預知者狩り』の歴史を、皆はとんでもないと言うけれど ―― 私は分かる気すらする、この能力を気味悪いものだと思う人の気持ちが・・・」
「兄さま、いい加減にして!」
厳しい声でプリティヴィーは兄の言葉を遮った。
「天王である兄さまがそんな事を言っては駄目よ!預知者狩りなんて野蛮な行為をしていたのは後にも先にもルドラ一族の奴等だけじゃないの。あんな狂った集団がしたことを『分かる』なんて言うのはやめてちょうだい!」
燃えるようなプリティヴィーの声を聞き、ディアウスは改めて目の前にいる、自分と同じ顔をした妹をじっと見詰める。
彼らは双子のきょうだいであった ―― ぬける様な白い肌や、腰までをも覆う絹糸のように細い大地色の髪、深い蒼色の瞳は、まるでそっくりそのまま複写しあったかのようにそっくりだった。
しかしその中身は面白いほどに、全く正反対なのであった。
ごめん、と呟いてディアウスは目を伏せ、再び歩みを続ける。
「大丈夫よ、兄さま」
声を和らげて、プリティヴィーは言った。
「とにかく、私達アーディティア神群はもう二度と、決して、ルドラ一族が率いるマルト神群とは深い関わりを持ったりしないもの」
「・・・そう・・・、そうだな、多分・・・」
「あら、多分なんて・・・関わりを持つはずがないでしょう?私達天地両神一族にとってマルト神群は、今戦っているアスラ神群よりも憎い相手と言ってもいい位で、アディティーだってそれは十分分かっているんだもの。これからも、私達の意に沿わない事はしないわよ」
と、プリティヴィーは言ったが、ディアウスは何も答えようとはしない。
その沈黙に何か不吉なものを感じ取り、プリティヴィーは眉根を寄せて囁くように尋ねる。
「兄さま・・・ディアウス、何か・・・何か見えているの・・・?」
「いや、何も見えてはいない」、とディアウスは素早く答えた、「でも ―― 今の戦況が私達にとって良くない事は分かる。そしてそれを静観しているマルト神群の中心部が不吉に身じろぎしているのも分かる。それがいい方向に動くか、悪い方向に動くか・・・それは分からないのだけれど・・・」
ディアウスがそう口にしたのと同時に、太陽が黒い影となった山陰にその姿を隠す。
見る見る内に色を失ってゆく景色の中で、きょうだいはどちらともなく震える身体を寄せ合った。