月に哭く

5 : 有り得ない提案

 フードを取ったルドラ王は、緊張と憎悪が微妙に入り混じった表情を浮かべるアーディティア神群の神々をゆっくりと見回した。
 そして一番最後に、ディアウスとプリティヴィーのきょうだいに視線を留める。

「試すような事をして悪かった、無垢の女神よ」

 留めた視線はそのままに、ルドラは言った。

 ルドラの視線に不穏なものを感じたパルジャが、庇うように2人の前に立つ。
 微かに片眉をはねあげたルドラはそれ以上言葉を続けようとはせず、心得たようにインドラがその後を継いで口を開いた。

「アーディティア神群のこれ程までの苦戦は我等にとっても計算外の事でした ―― 先程申し上げたように心までは痛めないにせよ」

 ここで再びルドラ以外の従者達は笑いさざめいた。
 ルドラはというと、興味深げに大広間のあちこちに視線を泳がせている。

「たってと願われれば、軍を動かしてもよいと・・・アスラ神群を我々ルドラ一族で叩いてもいいと我らが王はお考えです」
「何を世迷言を・・・!!」
 と、パルジャは怒りに震える声で言った。
「アスラがビアース河を渡河するのをただ静観していた貴様らに、誰が助けなど求めるものか・・・!」
「余計な手出しをしてはいけないかと思って、遠慮したのだ」
 と、インドラは淡々と答えた。
「当然あそこで何か大きな策があるのだろうと思ったのでね。何の策もなくあんな風に真正面から突撃をするなど・・・私達には到底、考えも付かない」

 あからさまに侮蔑の色を帯びたインドラの言葉に、パルジャは強く唇を噛む。

 確かにアーディティア神群は他の2神群に比べ、戦に対しては分が悪かった ―― 他の神群は大半の神が戦神(いくさがみ)であるのに比べて、アーディティア神群は名高い神名(しんめい)を持つ神が多いとはいえ、その殆どが戦神以外の神であった。
 それに加えてアーディティア神群はここ一神代(しんだい)以上もの間、戦とは縁遠い生活をしてきた。

 そのため、今現在展開している戦術も熟練したものとは到底言えず、敵の攻撃に対して後手後手になっている感があった。
 それが戦況を更に悪くしている事など、指摘されるまでもなく分かりきった事であったのだ。

 そこでルドラが、泳がせていた視線をアーディティア神群の神々に戻す。

「アーディティア神群がいままで平和に暮らして来られたのは、我々マルトとアスラが戦っていたからだ、はっきり言ってしまえば」
 と、ルドラはきっぱりと断言した。
「先の大戦よりずっと、アスラは全神群を統一して支配するという野望を捨てていない。今の今アスラがその矛先をここに向けたのは、ここまで遠征してくるリスクを冒してでも、我々マルトより先にアーディティアを叩いた方が野望達成への近道だと踏んからだ」

「・・・それで?マルト神群が我々に親切に手を貸してくださるという裏にはどのような野望が隠されているのかしら」
 と、ブラフマーナが尋ねた。
「野望など何もない・・・と、言っても信じてはもらえまいが」
 表情を動かさないまま、ルドラは答えた。
「しかし特に野望と言う物もないのだ。アーディティアの領土がアスラに併呑されてしまうと我々は東と西、両方からの攻撃に備えなければならなくなる。そうなると厄介なことになる ―― 理由はと問われれば、それが答えになる」
「その言葉を信じるには私達の溝は深すぎますわね。『ルドラ王の預知者狩り』の歴史はそう簡単に忘れられるものではありませんもの・・・やった方は簡単に忘れてしまえるとしても」
 ルドラ一族を見ようともせず、視線を床に落としたままのプリティヴィーを横目でチラリと見てからブラフマーナは言う。

 そこでふいに、能面のようだったルドラの表情が少し ―― ほんの少し、歪んだ。
 それを敏感に察したディアウスが、不思議そうに投げかける視線に気付いたルドラの目が素早く伏せられる。
 その後時をおかずに上げられた面(おもて)は再び、何の感情もない能面のような表情で塗り固められていた。

「過去の歴史に囚われて時機を逃せば、アーディティア神群の滅亡は避けられない・・・もうぎりぎりの瀬戸際まで来ているのが、分からないのか?
 冷静に良く考える事だ。今何を優先的に考えるべきなのかを」

「・・・過去の歴史に囚われるな、というの・・・?」
 堪りかねたプリティヴィーが俯いたまま、震える声で言った。
「私の曽祖父は神が降ろされた預知に従って旅をしている途中で、ルドラ一族に殺された。従兄弟の母親や、父の友人、叔父の知り合い・・・言い出せばキリもない。それを・・・それを過去の事だから忘れろと言うの・・・?」

「・・・確かにあの『預知者狩り』は・・・」
 ゆっくりとルドラが言い出そうとするのを、今度はインドラが素早く遮った。
 王の言葉を遮るその行為にアーディティア神群の神々が疑問を感じる前に、インドラは考えられないような提案をして、その場を混乱の渦に巻き込んだ。

 インドラはこう提案したのだ。

 アーディティア神群を滅亡の道から救い出して欲しければ、マルト神群が軍を出してやる。
 しかしその行為の保証として ―― 軍を出して戦ってやっている所を“後ろから”攻撃されては堪ったものではないので ―― アーディティアの神を預からせてもらう、と。

 一人だけでいい。
 しかしその一人は生半可な神ではなく、アーディティア神群最高位の女神、アディティーと並べても引けを取らないような神でなければならない、と。

 そしてそれは、“天神”にして“天王”の神名(しんめい)を冠するディアウス一個人を、はっきりと指名しているようなものであった。