8 : 闇色の宮殿
マルト神群の本拠地である龍宮殿は、山に抱かれるようにそびえる石造りの宮殿であった。
黒曜石を多く含む岩で作られたその宮殿は、城というよりも要塞の様に見える。
宮殿の最上階は山と溶け合い、森の様に木が生い茂っていた。
その森の中央部分がぽっかりと円形に切り拓かれており、その事によってそこが山ではなく城の一部であるのが分かった。
その黒い円形の広間に、ルドラの操る神馬が静かに降り立つ。
実際に降りて見るとそこはかなりの広さになっており、足元に敷き詰められた黒曜石には美しい彫刻が施されていた。
ルドラが馬から降りたところで、円形の広間をぐるりと取り囲んで立つ柱の陰から、2人の人物が姿を見せる。
1人は女性で、もう1人は男性であった。
「無事のご帰還、お喜び申し上げます、我が君」
深々と、頭を覆って垂らされたターバンの裾が地面に触れる程のお辞儀をして、男性は言った。
「おかえりなさい、ルドラ」
と、女性が言う。
ああ、とも、うん、ともつかない返事をしながら、ルドラはディアウスを馬から抱き降ろす。
「プリシュニー、彼に服と・・・他に必要と思うものを揃えておいてくれ」
ルドラの言葉を聞いて、ディアウスは女性を見た。
渦を巻いて流れ落ちる美しい金色の髪に、揺ぎ無く王を見詰める金の瞳。
若々しく引き締まった身体、惜しげなく晒された褐色の手足。
この女性が“ルドラ一族の母”と崇められ、マルト神群唯一にして最高の女神と言われるプリシュニーなのか、とディアウスは驚きを禁じ得ない。
母、という言葉から、もっと年配の女性を想像していたのだ。
プリシュニーはディアウスの頭の天辺から、足のつま先までをひととおり眺め回してから、ひとつ肩を竦めた。
「分かったわ。一応誰か・・・侍女のような者を付けたほうがいいのかしら?」
「ああ、でもそれは俺が選ぶ。後から行かせるから、揃えたものを渡してくれ」
プリシュニーが一礼した後に立ち去ってから、男性が口を開いた。
「そちらの方には塔の最上階の部屋を用意しておきましたが、そこでよろしかったでしょうか?まさかに逃げようとするとも思えませんが、念のため・・・」
「いや、それもいい」
男性の言葉を遮ってルドラは言い、ディアウスの二の腕を掴んで歩き出す。
「しかし・・・それでは彼をどうなさるのです?」
「俺の部屋におく」
ルドラの言葉に驚いたディアウスは足を止め、掴まれた腕を強く引く。
その様子を見て後ろに付いて来ていた男性が押し殺した溜息をついた。
「しかし・・・、いくらなんでもそれは・・・」
「うるさい、サヴィトリー。俺がそうすると決めたんだ。つべこべ言わずに従え」
「・・・今まで王の色好みには口を挟まずにおりましたが、相手は選ばれた方が宜しいかと存じます」
「それなら不足はあるまい、アーディティア神群の天神といえば、無垢の女神にも引けを取らない偉大なる神だ。これ以上の、どんな高望みをしろと?」
「地位や神名(しんめい)の高さを問題にしているのではありません。我が神群にも名高い神は沢山います。喜んでお側に侍る者もいるではありませんか」
ルドラはこれ以上付き合ってはいられないとばかりに強くディアウスの腕を引き、再び歩き出す。
後に付いて歩きながら、サヴィトリーは尚も言い募る。
「預知などという呪われた力を持つ者をお側近くに置くなど・・・どうか御身を大事になさいませ。呪いをかけられでもしたらどうなさるのです?」
「呪い?」
と、ルドラは聞き返し、鼻で笑ってみせる。
「俺自身が生まれた時から呪われているようなものだ。今更ひとつやふたつ呪いが増えたところで、どうということもないさ」
頭上でやりとりされる会話を聞いて、ディアウスは絶望のあまり泣き出したくなる。
どんな事をされても仕方ないと、それなりに心構えはしていたつもりであった。
しかし実際にこれから自分の身に起こるであろう事態が真実味を帯びてくるのを目の当たりにすると、想像していただけの心構えなどあっという間に崩れ去る。
それでもディアウスは ―― 引き摺られるように歩かされながらも必死で気持ちを奮い立たせる。
何をされても、決して涙は見せるまい。悲鳴だって上げるものか。
自分は一切神より天神の神名を与えられた者なのだ ―― その誇りだけは、守り通してみせる。
現(うつつ)の身体をどれだけ踏みにじられようとも、それだけは決して穢させはしない・・・
ディアウスは固くそう決心し、きつく唇を噛み締めた。
森を突っ切るように歩いてゆくと、木々に隠されるようにして、宮殿を下へと降りる階段があった。
螺旋状の階段を降り切り、そこから真っ直ぐに続いた廊下を乱暴に腕を引かれて歩く。
サヴィトリーは途中まであれこれと言ながらついて来ていたが、螺旋階段の半ば程の所で説得を諦めたらしく、それ以上後を追っては来なかった。
早足にルドラが進む廊下には申し訳程度の小窓しかついておらず、昼だというのに薄暗い。
黒曜石造りの壁や天井の黒さが、闇の濃度を更に深めているように思えた。
廊下の壁に浮き出る様に彫られた数々の像を見て、ディアウスは小さく身震いする。
石で造られた彼らまでもが自分を冷たく睨みつけ、隙を見て襲い掛かろうと考えている気さえするのだった。