1 : 優しい交流
ルドラ王の部屋で過ごした最初の十日程は、生きた心地がしなかったディアウスであった。
しかし日が経つにつれ、緊張は消えないもののそれなりに落ち着いた生活をするようになった。
何故なら、その部屋にルドラが帰って来ないのだ。
いや、居間にある机の上に使った覚えのないグラスが出ていたり、暖炉の燃えさしがかきまわされた形跡があるのを見ると、帰って来てはいるのだろう。
しかしディアウスと顔を合わせる事は、全くと言っていいほどなかった。
特に惨いことや辛い思いをさせられることもなく、食事もアーディティア神殿で食べていた物より香料がきついと感じる程度で、毎食きちんとした物が出たし、服も数着、清潔なものが届けられる。
それらをディアウスに届けるのは、ルドラの命令でディアウスの侍女としてやってきたシュナと言う名の女性だった。
彼女は日に何回か、食事を持って来たり用事がないか確認しに来たりした。
彼女は他のルドラ一族とは容姿が少し異なっていた。
目は金色だったがその色素は薄く、髪は金色というよりも褐色に近い。
彼女を連れて来たプリシュニーは、
『この子はスラム出身者だけれど、囚人用の侍女なんだから文句はないでしょうね?』
と、馬鹿にしたような口調でディアウスにシュナを紹介したものだ。
確かにそれは“天神”という立場からすれば侮辱に近い人選ではあるのかもしれない。
しかしディアウスにとってみれば、ガチガチのルドラ一族の人間に側にいられるよりはずっと気楽だった。
最初はお互いに緊張して話もしなかったが、ある時ディアウスがおずおずと、
「あの、水浴びはどこですれば・・・?」
と、掃除をしていたシュナに話し掛けた事から糸口がほぐれた。
その時丁度床の拭き掃除をしていたシュナは突然後ろから声をかけられて、驚きの余り素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。
そしてまさかそんなに驚かれるとは思わなかったディアウスも声を上げ、思わずその場にしゃがみこんだ。
お互いに床にへたり込みながらごめんなさい、すみませんっ!と何度も謝り合っているうちに、どちらともなく、笑い出してしまったのだ。
「・・・ええと、水浴びですか?」
笑いが収まった後で、シュナが尋ねた。
「ええ、あの・・・身体は拭いていたんだけれど、髪とか、洗いたくて」
「そこの奥にあるドアから、中庭に出られます」
カーテンで隠されている壁の一角を指差しながら、シュナが説明する。
「中庭の右手にさらに下に降りる階段があって、そこを降り切ったところに小さな湖があります。水浴びはそこで出来ます。隔離されているルドラ王専用の湖ですし、外からは見えません」
「そこには先日行って見たので、知ってはいるんだけれど・・・でも、その・・・」
尚も言い淀むディアウスを不思議そうに見ていたシュナはやがてくすりと笑い、
「ルドラ様と鉢合わせしないか、心配なんですか?」
と、言った。
ずばりと図星を指されたディアウスは返す言葉を失い、その反応に更に笑みを深くしたシュナは小さく首を振る。
「ルドラ王は夕刻まで帰らないとおっしゃっていましたから、安心していいですよ。ディアウス様が戻って来られるまで、私がここにいますから」
シュナの言葉を聞いたディアウスは礼を言い、足早に湖へと向かった。
それ以来、2人は時間の許す限り色々な話をするようになった。
ディアウスにとってシュナは唯一の話し相手であったし、シュナにとってもそれは同様のようだった。
「私は混血なので、友達もそんなにいないんです」
と、シュナはその理由を簡潔に説明した。
「マルト神群はルドラ一族とそうでない人々とで1つの神群を形成しているんですが、交流は殆どないんです、普通」
「そういえば、本で読んだ事がある。混血だと、その両方から受け入れられないのだ、と」
「・・・アーディティア神群の方がマルト神群の文献を読まれるんですか?」
驚いた様に目を見開いてシュナが訊き、ディアウスは肩を竦める。
「小さな頃は身体が弱かったせいで、本だけは読んでいて・・・マルト神群関連の本だけじゃなく、アスラ神群関係の本も色々と読んだ」
そうだったんですか、とシュナは感心したように頷いた。
「でも、何故私の侍女にあなたが選ばれたんだろう?ルドラ王が最初に侍女は自分が選ぶって言ったのを聞いて、きっと見張りみたいな方が付くと思っていたんだけれど」
「私の父がルドラ王と知り合いで・・・父はもういませんが、王には今も何かと気にかけていただいているんです。母が臥せっていて色々と物入りなので仕事を探していたら、丁度いいからって仰ってくださって」
「お父様は・・・」
「もういないんです」
奇妙なほどきっぱりとした口調で、シュナは言った。
余りにもはっきりとしたその物言いに、それ以上家族については聞いてはいけないのかとディアウスは口をつぐんだ。
しかし、どうしても気になり、再び躊躇いがちに口を開く。
「ええと・・・その、お母様は・・・今、ご病気を・・・?」
「はい、もうずっと寝たきりで」
と、シュナは母親の事になると普通の調子に戻って答えた。
更に詳しく聞こうとするディアウスに、初めの内は話のついでに言っただけですからと、詳細な病状を話す事を躊躇っていたシュナであった。
しかしやはり母親のことが心配だったのだろう、ディアウスの熱心な質問にぽつりぽつりと答えを返し始める。
数日に一度、物凄い高熱が出る事。
足の辺りにあったしこりが、時を経るにつれてあちこちに増えてきている事。
昼夜を問わず身体を激痛が襲う事 ―― 初めの内は冷やせば痛みが改善されたが、近頃はそれでは痛みが全く取れなくなってきている・・・。
途中細かい質問をしながらシュナの話を聞き進めるにつれ、ディアウスの表情は徐々に深刻なものになっていった。
「私が直接お母様にお会いして、看て差し上げられればいいのだけれど・・・シュナ、薬草は手に入らないかな?せめてその痛みだけは取り除いて差し上げないと可哀想だと思う」
「薬草は・・・難しいと思います。とても高価なので、私達のような身分ではとても手が出ないんです」
「薬草が高価?」
驚いてディアウスは聞き返す。
「薬草なんて余程特殊なものでない限り、この城の上の森にもあると思うけれど・・・すぐ側はあまりいい木の茂り方をしていなかったけれど、奥に行けばきっと生えていると思う。それが管理されているとか?」
「いえ・・・ここでは薬草を見分けられる人がいないので・・・流通している薬草は輸入してきたものなんです。ですから・・・」
シュナの回答を聞いて一瞬悔しそうに眉を顰めたディアウスだったが、
「・・・上の森に、薬草を取りに出る許可は下りないかな」
と、尋ねた。
「・・・ディアウス様ご本人がですか?・・・それは・・・どうでしょう・・・」
「ここへ私が来た表向きの理由は、『薬師(くすし)の知識をマルト神群に教えてほしい』という事だった筈だ。そうルドラ王に伝えてみてくれないかな?」
シュナは暫く考え込んでいたが、やがて決心したように顔を上げる。
「・・・分かりました。ルドラ王にお願いしてみます」
「出来るだけ早い方がいいと思う。眠れないほどというのは本当に辛いだろうし、少しでも早く、楽にして差し上げたいから」
シュナが母親の痛みや苦しみを控えめに話していることを見てとったディアウスが言う。
それを聞いて思わずシュナは涙ぐみ、強く頷いた後にそっと部屋を出て行った。