月に哭く

2 : 不安の芽

 ディアウスの外出の許可は、思った以上に早く下りた。

 勿論一人でではなく、シュナと(薬草の読み方をディアウスに教えてもらう、というのが彼女が同行する理由だった)、数人のマルト一族の見張りがついた。
 しかし逃げるそぶりを見せない限り、基本的に自由に歩き回らせて良いという指示が出ているようだった。

「ディアウス様、あの大きな木の方まで行って見ましょう・・・森の浅い方には薬草はなさそうだってことでしたよね?」
 城の屋上にある丸い広間を抜け、森に足を踏み入れながらシュナは言った。
 ディアウスはシュナが指差した方角を見て、頷く。
「ああ、そうだね。あれだけ木が自然に茂っていれば、見つかると思う」
 心配そうに見張りを見やりながら答えるディアウスに、シュナがそっと囁く。
「大丈夫ですよ、ディアウス様。あちらにサヴィトリー様もいらっしゃいますし・・・サヴィトリー様はルドラ王が一番信頼していらっしゃる方なんです。ルドラ王の命令に背く事など決してしませんし、許しませんよ」
 シュナの言葉に一応頷いて見せたディアウスだったが、サヴィトリーが自分を見る目つきが嫌だった。
 最初にルドラと一緒にいた英雄神インドラの視線も冷たいものだったが、サヴィトリーのそれはインドラのそれよりも更にディアウスを不安にさせるのだ。
 とにかく早く薬草を探して早く部屋に帰ろう、と思い ―― その次の瞬間、ディアウスは自らの思考に驚く。

 自分はルドラ王の ―― 天地両神一族にとって、どんなに憎んでも憎みきれない存在であるルドラ一族を統べる王の自室が、一番安全だと無意識の内に思っているのだ。
 王が足を踏み入れない訳ではなく、何度か居間で顔をあわせてしまったことだってある。
 でもそういう時、ルドラは表情を変える事無く奥の自室に引っ込んでしまうか、部屋を出て行ってしまうのだった。
 最初は偶然、何か用事があったからだろうと思っていた。
 しかしそれが何度も続くと、段々自分に遠慮しているのだろうと結論付けない訳にはいかなくなる。
 そしてその度に、慰み者にされるのではないかという恐れや不安が薄れて行くのだった。
 もし少しでもその気があるのならば、すぐにでもそうするだろう。
 ディアウスがどんなに泣き叫んで助けを求めても、ここで王の行動を止める者などいない。
 当然の事だ、ここはルドラ王が統治する城内なのだから。

 慰み者にする風も無く、虜囚を自室に住まわせる事で一番くつろげるであろう場所にいることを遠慮する位ならば、どうして自分を他の部屋に隔離するようにしなかったのだろう?
 それはここの所よく思い悩む疑問であり、答えの見当すらつけられない疑問でもあった。

「・・・ディアウス様?」
 シュナに声をかけられて、ディアウスは我に返って周りを見回す。
「・・・着きましたけど・・・ここにありそうですか?薬草」
「ああ、そうだね、探してみる」
 慌てて答え、ディアウスは草むらに屈みこむ。

 しかし探す必要はなかった。
 ここ何神代(しんだい)も全く薬師(くすし)が足を踏み入れていないだけあって、そこは薬草の宝庫のようになっていた。
 手に触れた草を適当に手折っても、その9割が薬草だと言っても過言ではない。

「こんなに薬草が沢山生えている場所を、これまで見た事がない・・・」
 と、思わずディアウスは声に出して呟く。
「良かった・・・母に効きそうな薬草も、ありますか?」
 小さな声で尋ねるシュナに微笑んで頷いてから、ディアウスはひとつひとつの薬草の特徴や匂い、見分け方などを努めて声高に話す。
「後でお母様の症状に良いと思う薬を作っておく。夕食を持ってきてくれた時には、渡せると思うから」
 合間にそっと囁くと、シュナは心底嬉しそうに笑った。

 ディアウスが作った薬を、シュナは大事そうに抱き締めて帰って行った。

 あくる日、朝食を手にやって来たシュナは、
「久々に母がまとまった時間、眠る事が出来たようです」
 と、嬉しそうにディアウスに報告した。

 良かったと心から喜びながらも、ディアウスは考えずにはいられない。

 傷が癒えきらずに戦場へ向かったアーディティア神群の戦神(いくさがみ)達は、無事でいるのだろうか。

 肩の傷を押して出陣したマニウ・・・パルジャの腹部の傷は完全に塞がっただろうか・・・戦場で負傷し、行方不明になったというヴァータは・・・今、どこでどうしているのだろう・・・?
 そしてこの自分の身は、これから一体どういう運命を辿る事になるのだろう・・・?

 考えたところでどうしようもない。
 例え彼等の傷の具合を預知で見る事が出来たとしても、ここにいる自分は何ひとつ出来はしないのだ。
 自分の未来に関しても、どうせいい預知が降りないのであれば、見えた所で意味はない ―― それは分かっていた。

 しかし・・・一度考え出してしまうと、言いようのない不安だけが悪い形となって、胸の内を黒く染める。

 唯一の慰めは、戦況が悪い時には毎日の様に見ていた死の預知を、全く見なくなった事くらいだった。

 きっと皆、無事でいてくれるに違いない。
 自分の事も、生きてさえいれば道が開けるかもしれない、・・・ ――――

 根拠という根拠がなくても、希望を持つ努力をしていないとやり切れない。
 ちょっとでも気を抜くと、プライドも何もかなぐり捨てて床に座り込み、泣き出してしまいそうになるのだ。  困ったことにその気分は、日に日に大きく強くなってゆき、ディアウスを苛むのだった。