月に哭く

18 : 狂気に満ちた叫び

「悪くない案かもしれないわね・・・、でもアーディティア神群を操る囮って?」
 アガスティアの腕に腕を絡め、今まで眠っているかのように双眸を閉ざしていたヴァルナが顔を上げ、歌うように訊ねた。

「ヴァルナも相変わらずいい性格してるよな。聞かなくても分かってる癖に」
 クッと短く笑いながら、アグニは言った。
「我々の手駒の中には、天神がいるじゃないか?アーディティアの最高神とも言える存在を、俺達は人質にとってるんだ。あいつの名を出せば、アーディティアの奴らはどんな要求も呑まざるを得ないだろうよ。
 戦場で奴らの誰と顔を合わせても開口一番、示し合わせたみたいにあの薄気味の悪い奴を返せって言ってくる位なんだから」

「そうだな、あんな呪われた能力を持ってる者がこの龍宮殿にいると考えただけでおぞましくて、吐き気がするくらいだ。
 アスラ宮と一緒にアーディティアの奴らも潰しちまえば・・・俺たちは全ての土地を統治できる・・・!」

 タパスが興奮に震えた声で叫び、やがてその興奮は回りにいる神々へと伝わってゆく。
 互いに顔を見合わせながら頷き合う彼らの瞳の色は徐々に濃くなり、薄暗い室内でぬらりとした光を放ち始めた。

「 ―― いい加減にしないか」
 額を覆った手で表情を隠していたルドラが、集まった視線をじろりと見渡して言った。
 しかし、と反抗しようとする数人の神々をきつく睨んで黙らせてから、ルドラは続ける。
「“全ての土地を統治”だと?そんな事をすれば我々は、アスラ神群と同じ破壊の道を歩むことになるんだぞ。そんな事も分からないのか・・・よくよく考えてから物を言え、下らない」

 吐き捨てるように言って立ち上がり、部屋を出て行こうとするルドラ王のマントを、タパスが縋りつくように掴んだ。

「よく考えろというその言葉、そのままそっくり王にお返しする!あんな妖術使いをお側に置いておかれては危険です!誰もが皆、どれだけ王の御身を心配しているか ―― 知らぬとは言わせない・・・!お願いですからあいつを亡き者に・・・、どうか・・・、どうか・・・っ!ルドラ王・・・ッ!!」
 泣き声にさえ聞こえるタパスの声を聞いて一瞬足を止めたルドラだったが、すぐに強い舌打ちと共に掴まれたマントを荒々しく引いた。
 そしてルドラはそのまま、後ろを振り返る事無く部屋を出て行った。

 それぞれが抱く感情が、見えない煙となってしんと静まり返った室内を満たすようだった。

 何時まで経っても床にうずくまるようにして伏せたまま動かないタパスを、横にいたミトラがそっと抱き起こす。
 そうして上げられたタパスの顔は血の色に染まり、金の瞳は血走っており ―― タパスは自分の身体にかけられたミトラの手を強く振り払った。

 その表情や態度に何か異様な物を感じたミトラが問いかける前に、歯軋りと共にタパスは呻く。

「・・・さない・・・」
「・・・え・・・何だって・・・?」
「許さない、許さない、許さない、許さないぃぃッ・・・!!!」
 狂ったような声で叫び、タパスは周りにいた神々を蹴飛ばすような勢いで部屋を飛び出して行った。

「困った子だわね、本当に」
 タパスの乱れた足音が聞こえなくなってから、アガスティアは大きな溜息をついて言った。
「あの子はまだ若いんですもの、仕方ないわ。まだ感情をコントロール出来ないのよ・・・この私だって完璧にコントロール出来てるとは言いきれない程なんだもの」
 肩を竦めてヴァルナが言う。

 だが彼女たちのその声には、未だ年若く、マルトの四天王として認められて間もないタパスが可愛くてたまらないという色が濃かった。

 軽く溜息をついたインドラが、ルドラの座っていた椅子の後ろで、身動きもせずに立ち尽くしたままのサヴィトリーを見上げる。
 顎をしゃくって見せるインドラに軽く目礼を返し、サヴィトリーはタパスの後を追った。

「それにしても、ルドラ王にも困ったものだ・・・」
 誰に言うともなく、ミトラがぼやく。
「本当にな」
 肩に掛けたマントを再び下ろし、それに包まるようにして座りながらアグニは頷く。
「しかし、そんなにイイのかな、あいつ。殺すなら、その前にちょっと一度味わってみたりとかして」

「・・・サイッテー、羅刹」
 アグニの言葉を聞いたアガスティアとヴァルナが、鼻の頭に皴を寄せながら声を合わせた。
「いや、今のは冗談だって!」
「えー、なんかついホンネが出たって感じだったわよ?ねぇ?」
 最低、最低と言いながら剣の柄でつつかれ、アグニはたまらずに再び立ち上がった。

「 ―― とにかく!」
 真面目な話し合いの場だった筈の部屋に流れた不真面目な空気を無理やり一掃するように、ミトラが言った。
「天神を囮にする云々の案はまた別の話としても、やはりアスラ軍が動く前に先手を打つ方がいいと思う。王にもその事をきちんと伝えて、その上で皆の意見を聞いて頂きたい。そのように王に話していただけるか、英雄神」
「・・・やってみよう」
 と、インドラはゆっくりした口調で答え、頷いた。