19 : 嫌な奴
英雄神インドラのとりなしもあり、それから幾度か話し合いの場が持たれたが、意見は1つに纏まるどころか、端と端が重なり合う事さえなかった。
「こちらから攻撃をしかけるのは構わない、理論上はな。しかし攻撃をしかけて、もし向こうに何か企みがあった場合 ―― いや、絶対にあるのだ。その時、今現在の我らの兵力で対応するのには心許ない。つまり、正面切って戦いを挑むには兵が足りない、と言っているのだ」
と、ルドラは噛んで含めるように、居並ぶ神々に言った。
「攻撃に出るのは易いが、それを勝利という形で締めくくれなければ意味がない。それには、もう少し相手の出方と腹の内を読まないと駄目だ」
「ですから、アーディティア神群の奴らにまず攻撃をしかけさせて反応を見、その上で ―― 」
「だからそれは絶対に許さない、と言っただろう。何度も同じ事を言わせるな」
途端に不機嫌な声になって、ルドラは言った。
提案を遮られた神が強く唇を噛む。
「我々はアーディティアの窮状を救いました。今度は反対に彼らに我々の役に立ってもらおうと考えるのはおかしいことですか」
と、ミトラが言った。
それを聞いて、ルドラは大声で笑い出す。
「窮状を救ってやった代わりに、囮になってアスラ宮に総攻撃を仕掛け、全員死んで下さいと提案するという訳か?そんな交換条件を、逆の立場だったら呑むか、お前」
「王、ですが・・・ ―― 」
尚も反論の言葉を続けようとしたミトラを、ルドラは厳しい目で見やる。
投げかけられた鋭い視線に射抜かれ、ミトラは言いかけた言葉を最後まで言い切ることが出来ない。
「 ―― 始まりが違っても、結局最後はこのような頭の悪い話の結末になるのであれば、どんなに話をしても無駄だな」
吐き捨てるようにそう言ってルドラは立ち上がり、部屋を出て行った。
残された神々がため息をついたり、首を横に振ったりするのを見渡したインドラが、そっと王の後を追う。
足早に廊下を歩いてゆく王の背中に、幾度もインドラは呼びかけた。
だがルドラがその声に足どりを緩める事はなく ―― インドラはやがて足を止め、低く呻くように何事かを呟いた。
ルドラはその足で、真っ直ぐに自室へと向かった。
シュナにディアウスからの伝言を伝えられたのは一体何日前の事だっただろう、と思いながら。
しかしその足取りは自室に近付くにつれ徐々に重く、ゆっくりとしたものになってゆく。
接する時間が増えるのと比例するように、ディアウスに会うのが怖くなるのは何故だろう。
自分の感じている“怖い”という感情は、本当の意味での“恐怖”とは違う気はしたが ―― どうしてこうまで自分が彼に会う事に恐れにも似た感情を覚えるのか、ルドラには分からなかった。
今まで自分は何ものをも ―― 身を切り刻むような痛みも、死さえも ―― 恐れることなどなかったというのに。
預知者の象徴でもある、あのどこまでも深く澄んだ蒼色の瞳が魔性のものであるという伝説。
マルト神群と、そしてアーディティア神群は知らない事実であるが、アスラ神群にも伝わるその古い伝説を、信じている訳ではない。
しかし確かにあの瞳には、何か対峙する人間の心の奥深くの柔らかい部分を正確に刺激するものがあると思う。
多分その強烈な刺激を恐れた者たちが、そういう伝説を作ったのだろう、とも。
自室の扉の取っ手に手をかけても尚、それを引き開ける事を躊躇ってしまう自分自身を情けなく思いながら、ルドラは鍵を開けて室内に入った。
ルドラが予想していた通り、赤々と燃える暖炉の前に、ディアウスはいた。
厚手のマントにすっぽりとくるまったディアウスが、ゆっくりと開かれた扉へと顔を向ける。
暖炉で燃える焔の明かりを受けて、薄い大地色の髪が頬と首筋の周りで煌めいていた。
「ようやく、帰ってきて下さいましたね」
と、ディアウスは言った。
「・・・色々と忙しくてな」
と、ルドラは答える。
そうですか、とディアウスは何気ない調子で頷いた。
しかしその双眸に、何処か自分をからかうような笑いの影が滲んでいる気がして ―― その影がまるで自分の躊躇いと恐れのようなものを正確に推し量っているように思え、ルドラは酷く落ち着かない気分になる。
気持ちを静めるようにルドラはゆっくりと腰に差していた剣を外し、ディアウスの横に座った。
「・・・何か、用事だったのか。会って話がしたいと言っていたらしいが」
「これ、お飲みになりますか?」
ルドラの言葉が聞こえなかったかのように、ディアウスは手にしていた木製の小さな椀を上げた。
「・・・え?」
「先日シュナが持ってきてくれた薬草の中に、珍しいものが混ざっていたので、それで作ったのです。薬草茶ですが・・・お飲みになってみますか?」
と、言ってディアウスは火の側に置いてあった器を傾けて、薄い黄緑色の液体を椀に注ぎ、ルドラに差し出した。
「これは薬師(くすし)が良く作る薬草茶なんです。アーディティア神殿の側にある森にはたくさん茂っているのですが、上の森にも自生しているのですね」
ルドラは無言で差し出された椀を受け取り、口をつける。
その様子を見ていたディアウスが、くすりと笑った。
「・・・何だ」
「飲んだ事があるのでしょう、このお茶」
「・・・どうして」
「このお茶は匂いと味が独特なので、初めて飲む人はみんな結構嫌がるんです。慣れてしまえば美味しく感じるようになるのですが・・・何の躊躇いもなく飲まれたので、そうなのだろうな、と」
その言葉を聞いたルドラは横目でディアウスを見てから、手にした椀を見下ろす。
「 ―― まぁ、どちらでもいいですけれど。身体にはいいんですよ、このお茶」
にっこりと笑って、ディアウスは言った。
軽く咳払いをしてからルドラは顔を上げ、
「で、用件は」
と、強引に話題を変えるように尋ねる。
「 ―― いえ別に、特に用事があった訳ではありません」
と、ディアウスは答えた。
「ただ、貴方とはもっときちんと・・・時間をかけて話をした方がいいと思ったのです。でもこんなに長いこと部屋に帰って来られない程お忙しかったのでしたら、あんな伝言をして申し訳なかったと思っています」
ディアウスのその言葉を聞いて、ルドラは大きく息を吐く。
そして手にした椀をもう一度傾け、お茶を一口飲んでからディアウスを見た。
「 ―― 別に、忙しかった訳ではない」
「ええ、分かっています」
あっさりと、当然の如く答えられ、ルドラは呆然と目の前に座って微笑む天神を見た。
「・・・お前、嫌な奴だな・・・」
やがて苦笑と共に、ルドラは言った。
「・・・そうですね、よく言われます。何故か・・・分かってしまうんですよね」
と、言ってディアウスはルドラから視線を外し、再び暖炉の方を向いて座りなおした。
「預知とは違うんです、預知が降りている訳ではないんです。でも、何故か感じてしまうんです。人と話したり、話すことを聞いていたりすると・・・まるで水が岩の割れ目に染み込んでくるように、何もかもが分かってしまう瞬間があるんです。
昔は皆、誰もが同じくそういうものなのだと、単純に思っていました。皆、自分と同じようにこういう事が分かるのだと思っていた。
でも ―― 違ったんですね。こんな事が分かってしまうのは、私だけだった。気味が悪いですよ。自分でも、気持ちが悪いと、思うんです」
そこまで言って、ディアウスは言葉を切った。
ルドラは彼の、伏せられた長い睫を身じろぎもせずに見詰めている。
本人が気持ち悪いと思っている能力を、他人が見て気味が悪いのは当たり前ですよね。
沈黙の果て、ディアウスはぽつりと、呟いた。