3 : 憎しみと恨みの系図
マルト神群がアーディティア神群側に援軍を出してから、戦況は一変した。
アーディティア神殿に大敗の報がもたらされることはなくなり、神々の討ち死にの報も同様にその数を減らした。
しかしアーディティアの神々は、例えどんなに大勝しての帰還であっても、まるで敗北を喫したかのような沈痛な面持ちでアーディティア神殿に帰って来るのだった。
そう、神々はつくづくと悟ったのだ ―― 戦から無事に帰った神々を迎えるディアウスの、控え目な微笑みと共に差し出される神酒(ソーマ) ―― それのない帰還がいかに味気無い物であるかと言う事を。
ディアウスはその神名(しんめい)こそ有名であったが、それほど頻繁に人と交流する事はしなかった。
ディアウス自身が物静かな神が多い天地両神一族でも群を抜いて大人しい性格であったし、元々、天地両神一族は、彼等が持つその特殊な能力故に外部との交流を極力避ける傾向があった。
預知という能力はとかく誤解され易かったのだ ―― 未来を見通せる能力は、他人の思考までをも読み取る事が出来るのではないかと誤解される事も多かった。
天地両神一族の寡黙な性質も、誤解を解けない要因のひとつとなっていたかも知れない。
そうやって長い時を経て積もり積もった誤解や無知がやがて、ルドラ一族を『預知者狩り』という蛮行に走らせる事になる。
先々代のルドラ王が始めた『預知者狩り』は先代のルドラ王の時代が一番激しく、それをピークとして以後収まってゆく。
だが事態の収束が天地両神一族がマルト神群の領地に近付かなくなった所為なのか、ルドラ一族が『預知者狩り』をしなくなった所為なのか、それは判断の付かない事であった。
ルドラ王が最初に預知者を処刑して以降、アーディティア神群はルドラ一族とは一切係わり合いを持たなかったし、ルドラ一族の方でも忌み嫌う天地両神一族を内包する神群とは積極的に関わろうとはしなくなったのだ。
『預知者狩り』が行われて以降、天地両神一族は更に自らの一族の結束を強め、その頑なな姿勢は強固になっていった。
その傾向はルドラ一族に対してだけでなく、徐々にアーディティア神群の各一族に対しても見られるようになる。
無垢の女神を筆頭にした神々はそんな天地両神一族の凝った気持ちを懐柔しようと様々な努力をした。
しかしその努力はいい形で天地両神一族に受け入れられる事はなかった。
彼らは自分達一族以外のもの全てに、拒否反応に近い態度を示すようになっていたのだ。
長期間に渡って多様な働きかけが為されたが、やがて神々は溜息と共に首を振り、天地両神一族の頑なさは改善される事はないだろうと諦めた。
そうやって皆が諦め切っていた時に新しい天地両神として生まれたのが、ディアウスとプリティヴィーの兄妹であった。
身体の弱い兄のディアウスとは対照的に、プリティヴィーは非常に明るく、活発な女神だった。
それまでの天地両神一族の神とは全く異なった性格の彼女が交流の場に現れるや否や、彼女は他一族から非常に愛されるようになる。
同族である天地両神一族からは、
「言動や行動が地神としての常軌を逸している」
などと批判される事もあったが、一族の長であるディアウスが妹の行動を全面的に支持した事もあり、プリティヴィーの行動は一族からは渋い顔をされながらも黙認されるようになった。
そんなプリティヴィーの成長と共に、天地両神一族は他のアーディティア神群との交流を劇的に復旧してゆく。
そういう背景がある中で、ディアウスが初めてその姿を公の場に現したのが十八の頃だった。
それは“天神”として“天王”を冠する偉大な神のお披露目としては異例の遅さである。
戦神(いくさがみ)でない神々とはその前から交流があった。
しかし公式な顔見せは戦神(いくさがみ)を交えたものになる為、荒々しい戦神(いくさがみ)達の“気”にディアウスが耐えられないだろうと危惧されたのだ。
ディアウスが初めてアーディティア神殿に上がった時、戦神(いくさがみ)達はディアウスのその、見た事のないような儚い雰囲気に息をのみ、数分間口を利く事は勿論、息をする事さえ憚ったという。
その身体の弱さは預知の能力を弱めないようにと繰り返された同族結婚のせいだとも、アスラの負の“気”が段々とアーディティアの領土に忍び寄っていたせいだとも言われた。
年齢を重ねる度にその身体のひ弱さは多少改善されたが、『息をするのも憚られた』というその儚い雰囲気はいつまでも消える事がなかった。
そんなディアウスが人質として他の神群に囚われている ―― それが天地両神一族が持つ預知の力を忌み嫌っているルドラ一族に、というのでは ―― どんな扱いを受けているか、考えるだけで胸蓋がる心地がするのだ。
残された天地両神一族は黙々と怪我人や病人の治療に当たっていたが、その表情からは全ての感情のゆれが失われていた。
彼等はルドラ一族が自分達にどんな感情を抱いているかを、当然ながら他の一族よりも熟知していた。
楽観的な見方など出来る筈もなく、ともすれば悪いほうへ悪いほうへと想像だけが傾いていってしまうのは当然といえば当然の事であった。
中でも特に憔悴しきっているのは、言うまでもなくプリティヴィーだった。
どんな時でも笑顔を絶やす事のなかった地神が日に日にやせ細ってゆくのを、神々は慰める事も出来ずに見守る。
現時点で薬師(くすし)として最高の腕を持つプリティヴィーに休養を取るように言う訳にもいかなかったし、例えそう言っても休養など取ろうとしないだろう事も、容易に想像がつくのだった。