24 : 光の記憶
足音を忍ばせ、抜け出るようにルドラの部屋を出たディアウスは、ぐるりと居間の景色を見回す。
居間の暖炉で数時間前まで燃えていた焔は既に消え、漆黒の闇に沈んでいた窓の外は、うっすらと白んできていた。
しばらくの間その場に佇んでいたディアウスはやがて、ゆっくりとした足取りで居間の一番大きな窓に近付き、外の景色を眺める。
ここへ連れてこられた当初から、ディアウスはことあるごとにこの窓から外の景色を眺めてきた。
初めてこの部屋に来たあの日も、何とか生活に慣れた後も、ルドラと時々口をきけるようになった後も ―― 辛いとき、悲しいとき、気持ちを落ち着かせたいとき・・・、どんなときもディアウスはここに立ち、外の景色を見ていたものだ。
けれどその見慣れたはずの景色が、今はまるで違うもののように見える。
それは外の景色だけでなく、こうして立っている居間の全ても同様だった。
見た目は同じように見えても、何かが、どこかが、数時間前とは決定的に違う。そんな風に思えた。
自分の身体すら別物になってしまったように思えるのだから、それも道理かもしれない。
そう考えながら、ディアウスは部屋のあちこちへ流していた視線を、再び窓の外にやる。
そうしてどのくらいの間、外の景色を眺めていただろう ――――
ふいにディアウスは思う ―― 自分はこの景色を、永遠に覚えていることは出来ないだろう ―― ぞっとした。
行為の直前、ルドラが初めての相手をろくに覚えていないのだと言い、それを聞いたディアウスはそんなことは有り得ないと思った。
初めてあのような濃厚な時間を分けあった相手のことを、覚えていないはずはない。
だから自分もあの時間から続くこの景色の全てを、忘れてしまう訳がない。
内心で無理矢理笑い飛ばすように、ディアウスはそう考えようとした。
けれどそれは成功することはなく ―― そう、むろん、ディアウスには分かっていた。
唐突に生じたその思いの底に、預知の気配があることを。
反射的に、ディアウスは己の両腕で自らの身体を抱く。
いくらなんでも、そんなことは有り得ない。
そんなことが起こる筈がない。
だがどんなに強く思ってみても、自らを抱く腕に力を込めてみても、預知めいた思考はその強さを失わず、身体が震え出すのも止められない。
沸き上がる恐怖に耐えられなくなったディアウスが、どうしようもなく震えながら、滅茶苦茶に叫びだしそうになった ―― その、瞬間。
ルドラの部屋の扉が、音を立てて開く。
そこから姿を見せたのは当然ながら、ルドラであった。
自分に向かって歩いてくるルドラの姿を、ディアウスは呆然として見ていた。
ルドラがふいに部屋から姿を現したことに驚いていた訳ではない。
そう、部屋から出てきたルドラの姿を目にしたのと同時に、重苦しくディアウスにのしかかっていた恐怖が一気に、跡形もなく消滅したのだ。
一度生じた預知の恐怖がこんな風に消えるなど、過去に一度も経験したことはなかった。
それは酷い時には何日も食欲を失わせるほど、ディアウスの精神を激しく苛むものであることが多かったのだ。
何となく息を止めて近付いてくるルドラを見ていたディアウスの前に立ったルドラは、手にしていた厚手のマントでディアウスの細い肩を包み込むようにした。
そして言う、「 ―― 着ていろ。朝は冷える」
思わずその胸に縋りついてしまいそうになるのを、ディアウスはすんでのところで堪える。
そんなことをしたら、ルドラは困るかもしれない、と思ったのだ。
だからディアウスは止めていた息をそっと吐いて気持ちを落ち着かせてから、ありがとうございます、とだけ言い、肩にかけられたマントを胸の前でかき合わせる。
そうしながら、ディアウスは何気ない風を装って窓の外に視線を転じ、
「ここから朝日を見たのって、初めてな気がします」
と、言った。
そのディアウスの視線を辿るようにして、ルドラは窓の外に目をやる。
そこからは確かに、暗く垂れ込めた雲から大地に向かって、一筋の光が射しているのが見えた。
今にも消えてしまいそうなほど淡く儚い光ではあったが、それが朝の光であることに間違いはなかった。
「 ―― ああ、そうだな、そうかもしれない」
と、ルドラは頷く。
「朝日どころか、この辺は日の光すらめったに射す事がない。
・・・まぁそもそもこの城自体、全てが黒曜石造りで辛気臭いからな。釣り合いがとれていて、丁度いいのかもしれない」
「そういえばアーディティア神殿で、珍しそうにあちこちご覧になってましたよね、ルドラ王」
「・・・そうだったか?」
「ええ、随分と余裕のある方だな、と思って ―― とっても印象深かったんですよね、あの時」
と、言ってディアウスはルドラを見上げ、笑った。
笑いを形作るその唇をルドラは上げた手の指先でそっとなぞり、それを受けたディアウスがゆっくりと瞳を伏せる。
長い睫毛が白い頬に扇状の影を投げかけるのを見てから、ルドラは静かにその唇に口付けた。