32 : 悲痛な告白
「この通路は代々の“ルドラ王”だけに伝えられる、いわゆる秘密の通路なのだ」
ディアウスの手を取り、暗闇を足早に進みながら、ルドラは語った。
空気孔から射し込む弱々しい光だけが時折、その暗闇を微かに薄めている。
「かつて俺が唯一信頼していた部下がここの存在と道順を知っていたが、ここをルドラ王以外の存在が通ったのはディアウス、おそらくお前が初めてだ」
「・・・信頼していた部下・・・?」
「シュナの父親だ」
ルドラは答え、更に足取りを早める。
やはり、と納得してから、ディアウスはこの異常事態の中で話すべきはこんな事ではないと気付く。
何が起きたのかと、理由を聞くのが怖かった。
だが先伸ばしにして誤魔化すには、残された時間は少ないのではないかという予感があった。
ディアウスは意を決して口を開いたが、口火を切ったのはルドラの方が少し早かった。
簡潔過ぎる程簡潔に、ルドラは事態をディアウスに説明する。
理由はまだ分からないが、マルトの城を守る鉄壁と言われた四天王の結界がアスラに破られた事。
その際に四天王の2人がアスラに捕われたらしい事。
捕らえた2人と引き替えにヴリトラがディアウスを ―― 天神の身を要求して来た事。
その取引の存在をマルトの戦神(いくさがみ)達に知られてしまった事・・・。
「俺の一存だけではもう、お前を守ってやれない。インドラもこうなってはお前をアーディティアに返そうとはしないだろう。
だから・・・だからお前は今直ぐに、俺の神馬でここを出てくれ。危険だが、ここにいるよりはずっと生き延びられる可能性が高い」
「待って下さい、私は神馬の扱いなど・・・!!」
「タールクシアは ―― 俺の神馬は、俺の命令で背に乗せた存在を空中で振り落としたりはしないし、一度行った場所であれば迷う事なく、安全な空間を選んで走る。とても頭のいい馬なんだ」
そこまで聞いたディアウスは立ち止まり、掴まれた手を激しく引いた。
「ディアウス、時間がないのだ・・・!!」
懇願するような声で、ルドラが叫ぶ。
「分かっています・・・!!」
震える声で、ディアウスも叫ぶ。
「時間がないだろう事は、分かっています、でも・・・でもこんなことをして、あなたは ―― 、あなたの立場はどうなるというのですか!?」
「そんな事はどうでもいい!」
「どうでも良くなんかありません!」
ディアウスは静かに燃える蒼の双眸でルドラを見据えた。
「私はあなたに言った筈です。あなたには必ずこの時代を生き抜いて頂かなくてはならないと ―― あなたにしか出来ない事があるのだと・・・!ここであなたが一族の神より先に私を助けたりしたら・・・!」
「少なくともこの俺は、今すぐ殺される事はない!!」
激しく足で床を蹴りながら、ルドラは言った。
「しかしお前の身がヴリトラに ―― ヴリトラとその妃に渡ったら・・・!!」
それ以上は口にするのも恐ろしく、ルドラは言葉を切った。
ディアウスはそんなルドラを一瞬見つめた後で顔を伏せた。
が、ディアウスは直ぐに伏せた顔を上げる。
その瞳から一筋、涙が伝い落ちる。
「・・・一緒に・・・私と共に、逃げませんか・・・・・・」
喉の奥から絞り出す様な声で、ディアウスは囁いた。
その提案を聞いたルドラの顔から、表情が消えた。
しかしディアウスの言葉の意味を正確に把握した瞬間、ぐしゃりとその顔が歪む。
言ったディアウスは勿論、そんな事が出来る訳がないと ―― いや、出来ない訳ではなく、ルドラがそんな事をしないのだと ―― 知っていた。
そしてルドラには、縋る様に自分を見上げるディアウスのその心中が、手にとるように分かるのだった。
「・・・俺は・・・、一族を捨てられない。どうしようもない荒くれ者ばかりだが、それでも・・・。もし俺が一族を捨てたらルドラ一族は、マルト神群は崩壊してしまう。そんな事は ―― 出来ない。分かってくれ、ディアウス」
どこまでも低い声でルドラが答えるのを聞いたディアウスは叫ぶ様に呻き、両手で顔を覆った。
「・・・分かっています・・・!それは分かっているんです!ああ、でも ―― ここであなたと別れたら、私達はもう二度と会えないでしょう・・・!!」
「そんな事はない」
と、ルドラは素早く言った。
「お前は言っただろう、マルトとアーディティアの間にある混沌を正す力がこの俺にあると。
あの言葉を俺は今日、この瞬間から信じる。預知を信じた事など今までの人生で一度もないが、お前のあの預知だけは信じる。
なにをしても、お前に下ろされた預知を現実のものとしてみせる。そうすれば、いつかきっと・・・ ―― 」
「いいえ ―― いいえ・・・!!」
ディアウスは激しく頭を振り、両手を振り絞った。
「私達は二度と・・・少なくともこの私は二度と元通りの私としてはあなたに会えない・・・!私には分かるのです、ルドラ・・・!」
その言葉を聞いたルドラは、すっと目を細めてディアウスを見詰めた。
ディアウスの言葉が神のものか、それともこの切羽詰まった状況下で混乱したディアウス自身の言葉なのか、判断しようとしながら。
しかしろくに光の射さないこの地下通路では、はっきりとした事は何も分からなかった。
悲痛な声で、ディアウスは続ける。
「私は・・・私は嫌です!そんなのは嫌です・・・!」
「 ―― しかしディアウス、例えどうあっても俺はお前をここには置いておく訳にはいかないのだ・・・!」
と、ルドラは言った。
ディアウスは怒鳴る様に言われたのに怯む事なく、口を開く。
「私はあなたを愛しているのです ―― 愛しています、ルドラ・・・!!」
それは ―― それは、悲痛な愛の告白だった。
今まで言った事のない、言うべきでないと押さえ込んでいた想いを、全て凝縮して、塗りこめたような。
物も言わずに、言えずに、ディアウスを見下ろしていたルドラが両手を伸ばしてその細い身体をきつく抱き、その耳に熱く囁きかける。
「俺も、愛している。お前を、誰よりも、何よりも ―― 愛している・・・!」
そうして狂ったように強く抱き合った次の瞬間、ディアウスの目が大きく見開かれ、急速にその光を失ってゆく。
みぞおちに突きこんだ拳を引きながら、ルドラはくたくたと両腕に落ち込んでくるディアウスのたおやかな身体を更に強く抱き締め、その額に唇を押し当てた。