36 : 神の言葉
マルト神群の領地にアスラ神群が攻め入り、その城を抱くメーダの森に火が放たれているという報は、日をおかずにアーディティア神殿に届けられた。
次いで前線に待機していた戦神(いくさがみ)から、マルト神群が援軍を求める要請をして来ているとの報告が上がってくる。
それまで戦況が小康状態を保っていた為、前線から退いていたアーディティア神群の戦神(いくさがみ)達が慌ただしく出陣準備をする中、それに気付いたのはアディティーだった。
出陣する戦神(いくさがみ)一人一人に声をかけていたアディティーが、雨神パルジャと死者の王ヤマと話していた時。
アディティーがふいに、鋭い勢いで顔を上げた。
「どうか・・・ ―― 」
したのですか、と言いかけたパルジャの横をすり抜けて、アディティーが広間の大きな窓から身を乗り出して天(そら)を見上げる。
アディティーのその緊張漲る動作に驚いたヤマとパルジャを始めとする戦神(いくさがみ)達も窓辺に寄り、天を仰ぎ見た。
「 ―― あれは、何・・・?」
アディティーが呟いた数瞬後、周りの戦神(いくさがみ)やその部下も気付いた。
白に近い灰色の雲間にぽつりと浮かんだ翠色の点 ―― それが瞬く間にその大きさを増す。
「・・・あれは ―― 神馬タールクシア・・・!!」
と、ヤマが叫ぶ。
「タールクシアだって・・・!?」
「まさか、ルドラ王・・・!?」
ざわめく神々を押し退けて、パルジャが無言で広間を飛び出してゆく。
その後をヤマが追い、アディティーと神々が続く。
城の中庭に降り立ったタールクシアの背にディアウスが縛り付けられているのに気付いたパルジャは、短い歓喜に満ちた声を上げてタールクシアの側に駆け寄る。
が、抱え下ろそうとしたディアウスの白い首筋、薄い茶色の髪の間から覗いた肌に浮かぶ唇の痕を見た瞬間、パルジャの顔が激しく歪んだ。
同時に噛み締めた歯の間から、激しい呪いに満ちた呻き声が漏れる。
「・・・パルジャ、待て・・・!!」
追い付いて来たヤマが止める暇もなく、パルジャは電光石化の勢いで腰の剣を抜いた。
そしてディアウスが背から降ろされたのを確認して、すぐさま空間を駆け上がろうとしたタールクシアの横腹を真一文字に切り裂く。
悲痛な嘶きと共に、タールクシアが重い地響きと共に地に倒れる。
「・・・何という事を、パルジャ!!」
剣を持つパルジャの肩を掴み、ヤマが叫んだ。
「この馬は歴代のルドラ王が愛でてきた、神馬の王と言われる系統の馬なのだぞ!この神馬がいないと、ルドラ王は完全なる力を奮えないと言われる程で・・・!!」
「・・・流石に詳しいな、“死者の王”」
ゆっくりと振り返って、パルジャは言った。
「だが、そんなのは俺の知った事ではない」
「・・・しかし、今のこの状況で・・・!!」
「・・・どうでもいいが、後は苦しむだけだぞ。哀れと思うのならば、止めを刺してやるべきだと思うが」
と、パルジャは言って肩越しに背後を見やり、ヤマも共にその光景を見た。
口から血の色をした泡を吐き、断末魔の呻き声を上げつつも尚、前足で空を掻く事をやめようとしないタールクシアの姿を。
2人の後を追って来たアディティーや他の戦神(いくさがみ)達も固唾を飲んでそれを見ていた。
「・・・止めを、パルジャ。お前が始めた事だ」
低い声で、ヤマは言った。
パルジャは無言で腕に抱いたディアウスをヤマに渡し、タールクシアに向き直る。
振り下ろされた刃が、的確にタールクシアの首にめり込む。
微かな悲鳴を上げて、タールクシアは動かなくなった。
弱々しく空を掻いていた足から力が抜け、大地に投げ出される。
騒ぎを聞きつけて集まってきた者の誰もが、金縛りにあったように動かなかった。
「・・・天神が無事に戻された今、アスラと事を構えるマルトを助けに戦場へ赴く必要はあるでしょうか・・・?」
と、誰かが、言った。
アディティーはその声がした方向に、戦神(いくさがみ)でない神々が集まったその方向に、激しく向き直る。
「この状況で、もしマルトが負けでもしたら、私達はおしまいなのよ!!マルト神群が私達に援軍を求めてくるほど切羽詰っているのならば・・・、今、今!今この時が、私達がアスラ神群に敗北して滅亡する瀬戸際なのよ・・・!!
マルト神群は・・・いいえ、ルドラ王はそれを知っていて、だからこそ ―――― 」
と、言いかけたところで、アディティーは口をつぐんだ。
そして口調を改めて、続ける。
「戦神(いくさがみ)の方々は、直ぐに ―― 直ぐに出陣を。
ルドラ王の神馬は、私が葬っておきます。その様に、ルドラ王に伝えて」
アディティーの静かな命令を聞いて神々は我に返り、水を打ったように静まり返っていた中庭がざわつき始める。
目を開いたまま事切れたタールクシアを暫く見下ろしていたヤマも、溜息と共に踵を返そうとしたが ―― その時、腕の中のディアウスがいつの間にか目を開いて、自分を見上げている事に気付く。
「ディア ―― 」 驚いたヤマが言いかけるのを遮るように、ディアウスの口が開かれる。
「伝えなさい」 と、ディアウスはヤマの耳元で、低く囁いた。
ディアウスのその神威に満ちた声を聞き、いつもよりも更に深さを増し、鋭さを湛えた視線に射抜かれたヤマは、頭の天辺から貫かれるような畏れを感じて立ち竦む。
こんなにも間近で預知者に神が降りるのを、見た事はなかった。
「あの方に、伝えなさい」
ディアウスが ―― 神が、再び繰り返す。
「闇を支配する呪われた二つの焔を同時に消しなさい。それと引き換えに現れる更に強い呪いに満ちた焔 ―― それを消す事が出来た時、全てが、無に帰す ―――― 」
ヤマは返事をする事も、身動きする事も出来ずに、ディアウスの蒼い蒼い瞳を、憑かれたように覗き込んでいた。
「伝えて ―― 伝えなさい・・・あの方に・・・伝えて・・・ ―――― 」
最後、呟くように言ったのが、神なのかディアウス自身なのか、ヤマには判断が出来なかった。