月に哭く

40 : 恐ろしい力

 アーディティア神群の神々がマルト神群と合流を果たした時、丁度彼等はストレージュ河西岸、マルト神群の領地内にいたアスラ軍相手に辛勝を納めた所であった。
 血に染まった大地と、アスラの悪魔の死骸とルドラ一族の死骸で足の踏み場もないその光景が、つい先程まで繰り広げられていた戦の凄惨さを伝えていた。

 アーディティア神群の戦神(いくさがみ)達が見守る中、マルト神群の神々が一斉に狂った様に咆哮する。
 彼等の視線の先には小高い丘があり、そこには右手にアスラの敵将と思しき生首を高々と掲げたルドラが立っていた。

 髪からも血を滴らせたような状態で押し寄せる歓声の波に応える姿は、正に鬼神と言うに足る姿であり ―― それはアーディティア神群にはない戦神(いくさがみ)の姿であった。

 やがて歓声を上げ続けるマルトの神々の間を縫って、ルドラがアーディティア神群の神々の前に立つ。

 両軍の間に、緊張が走った。

 マルト神群が天神を『預かる』という言い方をして人質とした後、確かにマルトとアーディティアは曲がりなりにも味方同士として戦場でアスラ神群の悪魔達と戦ってきた。
 しかし今まではいつでもその間にかなりの距離を置き、必要最低限の連絡を取り合うのみで、なるべく長い間顔を合わせないようにお互いに細心の注意を払っていたのだ。
 それに、こんな大軍を率いたお互いを見たこともなかった。

「そなたがアーディティアの勝利の女神、ウシャスか。直接会うのは初めてだな」

 両軍の間に流れる奇妙な沈黙を破って、ルドラが言った。
 ウシャスは答えず、強い視線でルドラを真っ直ぐに見詰める。

 答えぬか、と詰め寄ろうとする戦神(いくさがみ)達を左手を上げて無言で留め、ルドラは右手を差し上げる。
 眼前に死者の生首を突き付けられ、流石に微かに眉を寄せたウシャスを見て、ルドラがにやりと笑う。

「見覚えがあろう?ヴリトラの次男の腹心の部下だ。お前達の仲間が幾人も、こいつに殺されたのではなかったか?」
「・・・・・・。」
「ほら、やるよ」
 ルドラが言い、マルト神群の神々からは笑いが、アーディティア神群の神々からはざわめきが起こる。

「ルドラ王よ、それはあまりに酷な事。美しい暁の女神様はそのような物は持たれますまい!」
 誰かが叫び、マルトの神々から更なる笑いが沸き上がる。
 黙って様子を見ていたインドラが流石にそれを諌めようと口を開いた瞬間、ウシャスが手を伸ばした。
 そしてルドラの手から生首を奪い取り、振り返る。

「・・・皆、良く見よ・・・!聖なる川、サラスヴァティーの流れを穢し、我等が同胞を無惨に惨殺した敵将の首を!
 しかし殺された者達の恨みは、これだけでは晴れまい・・・!
 この地に蔓延るアスラの残忍な悪魔どもと、その意を汲む者どもを一掃して初めて晴れる恨みだ!忘れるでないぞ!」

 凛とした声で言ったウシャスは再びルドラに激しく向き直り、手にした首を地面に叩きつける様に転がして強く踏みにじった。
 燃える様なウシャスの緋色の瞳を見て、ルドラは微かに目を細め、喉を反らして笑い出す。

「誰か、暁の女神に杯を!」
 笑いを収めた瞬間にルドラは言い、その命令を受けてなみなみと赤い血の色をした酒で満たされた杯が2つ、ルドラに渡される。

「ウシャス・・・!!」
 ルドラから受け取った杯に躊躇う事なく口をつけようとしたウシャスを、パルジャが止めようと手を伸ばす。
「・・・雨神パルジャよ」
 低い声で、ルドラは杯を払いのけようとしたパルジャの名を呼ぶ。
「我等をそこまで信頼せぬのならば、この場から即刻立ち去れ。ヴリトラやヴリトラ神妃、そしてその息子どもは相手の弱い部分を嗅ぎつける、天才的な能力を持っている。そなたの様な者がそのまま、我等共通の弱点となる」
「何を・・・!」
「嫌味を言っているのではない。そなた達の様な大きな一族に戦場で崩れられたら、その時点で簡単に勝敗が決まってしまう」

 黙り込んだパルジャからウシャスに視線を戻し、ルドラは自分が手にした杯を上げた。

「・・・杯を交換するか?」

 しかしウシャスは、ルドラが言葉を言い終わる前に杯に唇を付ける。
 それを見たルドラも一気に手にした杯を傾けた。

 ほぼ同時に杯を干し、視線を交す。

「我等に光を、暁の ―― 勝利の女神よ・・・!」

 ルドラの声が空気を震わせ、それを聞いたマルト神群、次いでアーディティア神群から歓声が沸き上がる。

 ―― マルト神群とアーディティア神群が互いの存在を、曲がりなりにも認めあった瞬間だった。

「・・・すげぇな・・・!」
 いつまでも鳴り止まない、地鳴りの様な歓声の波の中、感動の色さえ浮かべた声でスーリアが言った。
 隣にいたマニウも声にならない、と言った風に頷く。
「あれが、ルドラ王の力なのだ」
 と、ヤマが言う。
「全てのものを ―― 時には敵味方関係なく惹きつけ、巻き込む力を持っている。ルドラ王が持つ能力は多岐に渡るが・・・あれがある意味、彼の持つ何よりも恐ろしい力なのだ」
「・・・何で?敵まで巻き込むなら心強いじゃん」
 不思議そうにスーリアが言った、その語尾に笑いが重なった。
 驚いて振り返ったスーリアは、目の前にルドラ王その人が立っているのを見て息を呑む。

 ルドラは唇の端に笑いの影をたゆわせつつ、
「俺が裏切った場合の話をしているのだろうよ、心配性な死者の王は」
 と、言った。
「・・・ルドラ王・・・!!」
「 ―― なぁ、そうだな?死者の王よ」
 叫ぶスーリアに笑いかけてから、ルドラはヤマに向かって言った。
「・・・そう、それと・・・戦半ばにしてルドラ王に何か ―― 敵方の手によってもたらされるものでない、何事かがあった場合」
 と、ヤマは言い、ルドラの肩越しに穏やかでない視線をルドラの背中に送っているパルジャを牽制するように見やった。
 それらのやりとりと光景を黙って見ていたマニウが、スーリアを連れてパルジャの方へ足を向ける。

 彼等が立ち去り、周りに聞き耳を立てている者がいないのを確認してから、ヤマは小声で囁く。
「あなたは少し無謀すぎる、ルドラ王。部下も連れず、こんな風にアーディティア側に来られては・・・」
「ディアウスは・・・天神は、アーディティア神殿に・・・?」
 ヤマの言葉を遮り、小さな声で、ルドラが訊いた。

 ルドラの問いかけの声は、ヤマが数日前から抱いていた杞憂を確信に変えるに足る切迫した雰囲気を纏っていた。