41 : ぼかされた真意
「・・・大丈夫だ、意識はなかったが ―― 我々がアーディティア神殿を出る直前に、無事に着いた」
と、ヤマは答えた。
「・・・そうか」
と、ルドラは元通り、感情のない声音になって、言った。
「・・・、ただ・・・」
「何も言わなくていい。分かっている。もう」
タールクシアの話をしようとするヤマを、ルドラは口元に薄く笑いさえ浮かべて遮った。
「逃げ遅れたのだろう。・・・思えばあれには行動に愚鈍な部分があった。情けのない事だ、全く」
「・・・申し訳ない・・・」
ヤマが謝るのを聞いたルドラは苦笑する。
「何故お前が謝るのだ。全ては天神に神馬を奪われ、逃走を許した俺の落ち度だ」
「・・・そのような見え透いた嘘をつかなくていい」
溜息と共に、ヤマは言う。
「あなたが彼を ―― 天神を逃がし、ヴリトラの魔の手から救ってくれたのだろう・・・分かっている」
「・・・は・・・、・・・それはどうだかな・・・」
尚も真意をぼかそうとするルドラを、ヤマは呆れと切なさが入り混じった表情で眺めた。
「・・・タールクシアの亡骸は、無垢の女神アディティーが手厚く葬ると・・・あなたに、伝えてくれと言っておられた」
「・・・死んだものなど、打ち捨ててくれて構わないのだが ―― しかし、心遣いには感謝する」
と、言って踵を返そうとしたルドラを、ヤマが慌てて引き留める。
「お待ちを、ルドラ王。今ひとつ、伝言を頼まれているのだ、あなた宛てに・・・天神より」
更に小声になったヤマの囁きを聞いて、ルドラは全ての動きを止める。
「・・・ディアウスから・・・?」
「違う。ディアウスからではなく、“天神”からの伝言だ」
「・・・何と・・・?」
「“闇を支配する呪われた二つの焔を同時に消しなさい。それと引き換えに現れる更に強い呪いに満ちた焔、それを消す事が出来た時、全てが無に帰す” ―― と」
ルドラはヤマの言葉を数回繰り返し呟いてみてから、大げさな動作で肩を竦めた。
「・・・なにを言っているのか、さっぱり意味が分からないな。こういう言葉に慣れたアーディティアの神々宛てなら良いのであろうが、こっちは預知者の言葉に不馴れなのだ。もう少し分かり易く、比喩などを使わずに伝えて貰いたいものだな、全く、神とやらも気が利かぬ」
神に対する不遜とも取れる言葉をルドラは口にしたが、ヤマはそれを咎める事なく笑った。
「天神の下ろす預知は難解な事で有名なのだ。しかし・・・」
「信憑性はすこぶる高い?」
ヤマの言葉を継いで、ルドラは言った。
そうだ、とヤマは頷く。
「その瞬間になると、まるで岩の割れ目に水が染み入る様に全てが腑に落ちる、と言う話だ」
「その場にならないと分からないのでは、対策の立て様がないじゃないか」
呆れた様にルドラは言い、やって来た英雄神に促され、マルト神群の神々がひしめく側へ戻って行った。
ストレージュ河での敗戦の報を受け、怒りに駆られたヴリトラの反撃の手は素早く、又、激しいものだった。
アーディティア神群の戦神(いくさがみ)達がマルト神群と合流した数時間後には、ルドラが放っていた斥候からヴリトラ神妃が次男と三男、そしてそれに追従する各軍を率いてアスラ宮を出陣したという報が届いた。
「ヴリトラ神妃が5万、息子どもが各3万5千づつ ―― 目測ですが、ざっと12万の軍がアスラ宮を出陣した模様です。・・・明日の夕刻には来ると思われます」
と、インドラは言った。
黒く濡れたような布で仕切られたその空間にいたアーディティア神群の名だたる戦神(いくさがみ)達はそれを聞いて信じがたい、といった反応を示したが、マルト神群の戦神(いくさがみ)達は無表情のまま、彼等の王を見詰める。
「・・・12万だと・・・?多く見積もりすぎではないのか、そんな・・・」
乾いた口調で、風神ヴァータが言った。
「いや。今後数が増える事はあっても、減る事はないであろう、風の神よ」
と、インドラは視線をルドラから離さないまま答える。
「長男は父であるヴリトラの元から離れぬのが常だが、荒くれ者の末息子がこの状況下で出て来ないとは考え難い。おそらく途中で合流するに違いない」
「・・・そうだな、恐らく奴は戦の途中で劇的に登場して我々を撹乱する算段であろうよ ―― 派手好きだからな、あいつは」
吐き捨てる様に、アグニが言った。
「・・・まぁ何にせよ、潰し甲斐のある事だ。なぁ、武者震いが止まらぬであろう、お前ら?」
低い笑い声を漏らしながら、ルドラは言った。
そして先ず自分の配下である戦神(いくさがみ)達を、次いでアーディティア神群の戦神(いくさがみ)達を眺めやる。
「今までの様な小競り合いではなく、漸くこの様な本格的な戦が始まった途端にヴリトラ神妃とあいまみえる事が出来るとは、アーディティア神群の方々も運が良い。
ヴリトラはそう易々と神妃を戦場に出さぬのだ。俺とて今まで、神妃本人が率いた神妃軍を見た事は殆んどない。楽しみにしておかれよ、あの壮絶なまでに美しく、残忍な女悪魔が率いる5万の神妃軍 ―― さぞ見物であろう」
「何を呑気な・・・我々が率いて来た軍勢が総勢2万、マルトは4万越えるか越えないか、という数じゃないか?
そしてヴリトラの軍勢は12万・・・しかもその軍勢の半分以上が未だアスラ宮の中に残っているのだろう、そんな・・・」
「確かに勝ち目はない」
ルドラはパルジャの言葉を遮って、きっぱりと言った。
パルジャは虚を突かれ、言葉を失う。
「・・・普通に戦えばな。そして勿論、俺は普通に戦ってやる積もりはない」
ルドラが言い終わった瞬間に、ミトラが卓上にばさりと大きな地図を広げた。
ルドラは、地図の広げられた机を挟んで向かい合ったアーディティア神群の神々を見る。
「今回は先ず雨神一族に、次いで火神一族と風神一族にご尽力頂きたい。
以前から俺は、アーディティアの火神と風神が戦場で並び立つ光景を見てみたかったのだ。
しかし我々は今まで、同じ戦場にいても適当な距離を置き、ここまで近くに並び立つ事はなかった。見る事が叶わなかった火と風の競演を、我等と ―― そして悪魔どもに是非とも華々しく披露して頂きたい」
低く、朗々とした声でルドラは言い、地図の上に手指を滑らせた。