42 : 伝説と現実
「先ず手始めに、パルジャ殿、あなたに出陣して頂く」
と、ルドラは言った。
「雨神一族に我が一族の四天王・・・今は2人しかいないが、翼竜か龍を扱える者を集めると、ざっと2万程になるだろう。その軍を率いて欲しい」
「・・・共に肩を並べて戦った事のない我々が付け焼刃的に協力して、いい結果が生まれるとは思えぬが」
「いや、今回は協力して戦ってほしいという訳ではない。翼竜に乗ったそなた達の一族と龍を操る四天王軍を率いて、負けながら北西方面へ逃げて頂きたいのだ」
「・・・負けながら、逃げるだと・・・?」
「そう、負けながら・・・敗北する振りをしながら、と言う意味だ、無論。
アスラ軍に押され、ずるずると逃げる様に軍を退きながら ―― ビアース河の中流に広がるビアース高原へ向かって欲しい。
・・・そしてそのままビアース河を、決して水に触れないようにしながら高原に向かって渡り切る・・・一気に、躊躇いなく」
「・・・水に触れずに?何故?」
訝しげにパルジャが眉を寄せる。
「ビアース河にはそなた達が渡る直前に、油を流しておくからだ」
事もなげに、ルドラは言った。
「雨神一族率いる軍勢が川を渡りきった所で風神ヴァータ殿は川下に向かって風を吹かせ、同時に火神殿、あなたはその風に乗せて川に火を放って頂く」
まるでその辺に散策にでも行く、というような気軽さでルドラは言った。
余りに事もなげに提案されたので、アーディティア神群の神々はルドラの提案の意味を暫くの間、正確に把握出来ない。
最初に言葉の意味を理解し、こわばった声を上げたのは暁の女神、ウシャスだった。
「ビアースの流れに油を流す、だって・・・?」
「そう。あの川は北に向かうと細い岩の谷間になっているだろう。前回、初めてそなた達に力を貸したのと同じような地形になっている ―― 追い詰めた敵を一気に叩き潰すにはもってこいの地形だ。
火を避けて逃げ出したアスラの悪魔どもの退路に死者の王、そなたの軍を潜ませ・・・」
「ちょっと・・・ちょっと待て、ビアース河を油で穢すなど・・・許される事ではない・・・!!」
鋭く机を叩き、パルジャも言う。
「光の女神ヴィシュヌが天から下ろされた金の雨糸を縫って流れを作り、毎夜その身を禊いだという伝説がある川なのだぞ、それを・・・!!」
「・・・あのな・・・」
パルジャの言葉に賛同するように頷き合うアーディティア神群の神々を焦れた視線で見回して、ルドラは溜息をつきながら緩慢に首を振りかけたが、気を取り直したように顔を上げる。
そしてひとつひとつの言葉を言い聞かせるように、言葉を紡いでゆく。
「・・・いいか、今、我々は伝説を検証しているのではなく、現実の話をしているのだ。光の女神とやらはこの苦境を逃れるよりまず、清らかな川の流れを守れとでも言うのか?
もしそうであるならば、そんな神など信じる価値はない」
「・・・なんという罰当たりな・・・!!」
「戦とは所詮、罰当たりで罪深く・・・恨みしか産み出さないものだ」
ゆっくりと、ルドラは言う。
「戦を終らせる為の戦などなく、それどころか戦の元になった恨みや憎しみを種として新たな、そして更に強い恨みと憎しみを育ててゆくものなのだ ―― 戦神(いくさがみ)として生まれ、生きてゆくからにはその点をきちんと理解しなくてはならない」
そこまで言って、ルドラはもう一度ぐるりと目の前に居並ぶアーディティア神群の神々を見回した。
そして卓上に広げられた地図に目を落とし、静かな、しかし有無を云わせぬ口調で続ける。
「我等マルト神群の領地を流れるストレージュ河でこの計画が決行出来るものならそうしたいが、我等が今いるのがストレージュ河の河岸では、それは無理な相談だ。ここからビアース河までの間に油を流すのに適した窪地があればそこを使うがそれもなく・・・平地で正面切って戦うには兵力が足りない。
―― 分かってくれ。他に策がないのだ」
きっぱりとしたルドラの声を聞いて、アーディティア神群の戦神(いくさがみ)達は黙り込む。
少しの間を置いて死者の王ヤマが、
「ビアース河河岸で身を潜められる場所は、崖の割れ目位しかないな。我々は一足先に出発し、身を潜める場所を探しておこう。
それと ―― 川面に油を流す手筈も先に整えておいた方がいいだろうな、ルドラ王」
と、落ち着いた声で訊ねる。
ルドラは表情を変えず、出来れば。と答えた。
了解した、と言って立ち上がったヤマは押し黙ったままのアーディティア神群の神々を一通り見回してから、ウシャスにひたと視線を注ぐ。
ウシャスは一瞬強く目を閉じたが、直ぐにその紅い瞳を見開いてヤマを見上げた。
「・・・次に会うのはビアース河だな。くれぐれも気を付けるように、ヤマ」
ウシャスのその言葉を聞いて、ヤマは軽く頭を下げた後、踵を返した。
彼と、彼の部下の後姿が黒い天幕の向こうに消えてから、ウシャスは真っ直ぐにルドラを見た。
「前回と似たような作戦だが、奴らがそう何度も同じ手にひっかかると思うか」
「まぁ、それはやってみない事には分からぬ」
肩を竦めて、ルドラはそっけなく答えた。
アーディティア神群の戦神(いくさがみ)達は一様に表情を歪めたが、それを気にすることなくルドラは椅子に背を凭れさせて天幕の上部を見上げる。
「だが他に策が見当たらないのではどうしようもない。何度も言うが軍勢の差は歴然としているのだ ―― 賭けの様な作戦を取り続け、博打を打ち続けるしかない。
唯一の希望は、奴らがいつも数の優位によってあまり戦術を重要視しないという点だ。それに、前回は上から降ってきた龍部隊が今回は“前を逃げて”いる。それを見て軍を進めてよしとヴリトラ神妃が判断してくれる様、そなた達も祈ってくれ」
「・・・それにしても暴風雨神殿。四天王と我等を出陣させ、火神と風神に火と風を起こさせ ―― 死者の王軍を河岸に配し・・・そなたは高みの見物という訳か?」
パルジャが鋭い視線をルドラに投げつつ、言った。
隣にいたウシャスがさりげなく、机の上に置いていた手をパルジャの方へ滑らせる。
ルドラは口許に笑いさえ漂わせ、落ち着いた表情でパルジャを見やる。
「ああ、俺はビアース河の川下にいて、アスラどもを正面から迎え撃つ」
当然の様に、ルドラは答える。
それを聞いたアーディティアの神々は ―― パルジャの動きに神経を尖らせていたウシャスすら、呆然として視線を転じ、目の前に座るルドラを見た。