43 : 見えない真実
「しかしそれではルドラ王・・・そなたは火神が生み出し、風神が扇った ―― そういう超常的な力を更に油が強めた焔と、正面から向き合う事になるんだぞ・・・!」
ウシャスが言い、その後を火神マニウが継ぐ。
「・・・我が一族の作り出す焔を甘く見ているのかも知れぬが、侮られては困る。王である俺自身ですら、扱いを誤れない焔なのだ」
地図に視線を落としていたルドラは、軽く眉根を寄せて顔を上げた。
「無論、侮ってなどいない。恐ろしい力を持つ焔だと思っているからこそ、こうして要の役を頼んでいるのだ。生半可な力だと知っていたら、頼んだりはせぬ」
そこでルドラは一旦言葉を切って、何かを考え込む様に唇を引き結んだ。
が、すぐに続ける。
「・・・火で追い立てたアスラの悪魔共を、逃げるに委せる手はないだろう。以前は軍勢が少なく、上から攻撃しただけで敗退させる事が出来たが・・・今回は数が多すぎ、それだけでは足りない。逃走を許してしまえば、又すぐに軍を編成し直して襲って来るだろう。そうなれば、もう我等に打つ手はない。繰り返しになるが、軍勢の差は歴然としているのだ」
「しかし・・・」
「それとな」
尚も言い募ろうとしたマニウの言葉を遮って、ルドラは言う。
「戦場に於いては我等をもう少し信用して貰わなくては困る。そんな風にいちいち疑ってかかっていてはどうしても行動が一瞬鈍る。その一瞬で簡単に勝敗が決まる事もあるのを忘れないでくれ」
噛んで含める様な口調でルドラは言ったが、直ぐに自嘲気味に、まぁ、そうは言っても難しいだろうがな。と言って、笑う。
少し間を置き、ルドラはマルト神軍の配置と動きを淡々と説明してゆく。
名前を呼ばれたマルト神群の戦神(いくさがみ)は短い返答を返して頭を下げ、次々に天幕から出て行く。
最後に名前をあげられた戦神(いくさがみ)の姿が天幕の向こうに消えたのと同時に立ち上がったルドラに、英雄神インドラが訊ねる、「して、私は王と共に川下に・・・?」
ルドラはちらりとインドラを振り返り、いや。と答えた。
「お前は本陣に残って暁の女神の指示に従い、残ったマルトの神々を取りまとめろ」
「・・・お一人で川下に・・・?」
「まさか。羅刹を連れて行くさ」
王のその言葉を聞いた羅刹王アグニは短いが激しい歓喜の声を上げ、インドラを強く肘で突く。
反応して自分を見たインドラに自慢げに笑いかけ、アグニは物凄い勢いで天幕を飛び出して行く。
その後ろ姿を微かに眉を顰めつつ見送ってから、ウシャスが言う。
「・・・私が本陣で待機するのか」
不服そうに確認する暁の女神を、面白そうにルドラは見下ろす。
「無垢の女神にしろ、そなたにしろ・・・、アーディティアには勇ましい女神が多いのだな。我等マルト神群には女の戦神(いくさがみ)が少ないので、羨ましい」
女であるという点を指摘されるのを何よりも嫌うウシャスがムッとした顔をするのに頓着せず、更にルドラは言う。
「そう慌てずとも、遠くない未来に勝利の女神の姿が戦場に必要になる。
それに今はまだ、そなたが・・・暁と共に勝利を招く女神が安全な場所にいるのだと ―― 更に言えば、自分達が勝利の女神を守っているのだと思った方が、アーディティアの戦神(いくさがみ)達の士気も上がるだろう。
・・・俺もその方が心強いしな」
そう言って、ルドラは笑った。
しかし冗談めかした言い方や目つきの奥には、それが本気であるとしか思えない突き詰めた切実さが漂っていた。
その事に気付いたウシャスは、戸惑わずにはいられない。
ウシャスは自分が、かなり鋭い、的確かつ冷静な判断力を持つと自負していた。
そしてその力は殆んど全てが初見で、直感によってもたらされるものであり、今までそれが後で大きく覆った事など、一度もなかった。
だが目の前にいるこの男に関しては、その自信が揺らぐばかりだった。
最初に彼を目の前にした時 ―― 敵の生首を眼前に突き付けられた時には、暴風雨神という異名通りの戦神(いくさがみ)であると感じた。血も涙もない、冷たいばかりの男であると。
しかしそのすぐ後、盃を交換するか?と聞いてきた、その双眸には挑発的な物言いとは真逆の、ウシャスに対する明らかな気遣いがあった。
そして先程の、戦という物の不条理性について、諭すように語った口調と内容。
厳しく冷たい物言いの底にたゆたう、達観の色・・・
これらのてんでばらばらな印象を、一体どうやってひとつのものに纏めればいいのだろう?
大体一旦纏められたとしても、ルドラというこのマルト神群の頂点に立つ王から、又、全く新しい印象を受けないとは言い切れない ―― いや、その可能性が大きいのではないか。
この短期間でこれだけ劇的に推移してゆく印象が、固定する事などないのではないか?
共にいる時間を持てば持つ程、彼の事が分からなくなってゆくのではないかという強い予感を、ウシャスは抱く。
そして何よりも気になるのは死者の王、ヤマの態度だった。
事を荒立てる事を避け、周りの雰囲気にいつも気を遣い(それは彼の過去の軌跡が関係しているのだったが)、常に歩調を周りに合わせるようにしていたヤマが、このルドラ王に関しては何故か妙に熱くなる。
過去にマルト神群にその籍を置いていたヤマがそういうそぶりを見せるのは、異様なまでの違和感をウシャスに与えた。
アーディティア神群の最高神である無垢の女神アディティー、その彼女と引けを取らないほどに崇められている天神ディアウス ―― その天神を一の神として讃える天地両神一族。
その一族が何よりも憎み、恨んでいるのがルドラ一族なのだ。
つまり裏を返せばアーディティア神群全身体がマルト神群を憎み、恨んでいるのと同様であるとも言えるのだ。
そういう事実がある上で、ヤマ自らがマルト神群の王、ルドラを擁護するような態度を見せれば周りが何を言い、何を深読みするか ―― 彼は分かりすぎる程に分かっている筈なのだ。
ウシャスはヤマが今は無垢の女神にその忠誠心の全てを奉げているのを知っていたし、そのことを微塵も疑う気はなかった。
そしてアーディティアの神々もヤマをアーディティアの戦神(いくさがみ)として認めつつあったのだ。
長い長い月日を経て漸く達したこの段階にたどり着く過程は決して簡単なものでなく、少しずつ、少しずつ小石を積み上げて天に届く山脈を作り上げるのにも似た作業だった筈なのだ。
それをただ一時の感傷で覆すとは考えにくい。つまりヤマには何か、強く思うところがあるのだろうとしか、判断が出来ないのだ。
長い歴史をかけて積み上げてきた信頼を捨て去ってもいいというような、ヤマにしか分からない事実があるのではないか。
ここ3代の“マルト神群のルドラ王”を見てきたヤマだから分かる、見過ごせない重要な真実があるのではないか・・・ ―― 。
思い悩むウシャスの前で、インドラがゆっくりとルドラを見る。
「・・・どうか私もお連れ願えませんか、ルドラ王」
「今回はお前は来なくていいと言った。重ねて同じ事を言わせるな、煩い」
きっぱりとルドラは答え、インドラは謝罪の言葉と同時に頭を下げる。
ルドラはインドラが下げた頭を上げる前に、マントを大きく翻して天幕を後にした。