49 : 新しい世界へ
ルドラがアスラ宮に向かった後、残った戦神(いくさがみ)達は慌ただしくルドラの指示通り、本陣に大量の篝火を灯す準備をし、インドラの部下数名がアスラ軍に噂を広める為に本陣を出た。
木の枝を細工し、いかにも戦神(いくさがみ)が槍や剣を掲げ、ひしめいているように見せかけ、出来るであろう全ての事を終えた夕暮れ前、篝火に火が放たれた。
そして少しずつ、少人数に別れて移動した森の木々の合間、身を隠したアーディティアとマルト両軍の戦神(いくさがみ)達は、地平線を埋め尽くすようにこちらへと進軍してくるアスラ軍を息を詰める様にして見ていた。
「全く、未だにあの数って、異常だよな」
と、吐き捨てる様にアグニが呟いた。
「いくら頭の作りが悪くても、あの数いたら厄介だわね」
と、アガスティアが小声で答えた。
「英雄神」
アスラの進軍の様子を無言で眺めやっているインドラに、ウシャスが躊躇いがちに声をかける。
「そなたの神馬は、まだ・・・?」
ウシャスの問掛けに、インドラは答えない。
「まだ無理よ、暁の女神」
と、アガスティアがインドラに代わって答える。
「行きはまだアスラ軍が近くに来ていなかったから天(そら)を駆けて行けたけれど、アスラの悪魔どもがあれだけ数を集めてこちらへ向かって来ているんだもの、帰りはかなり迂回して大地を駆けて来るはずよ。上手く事が運んでいたとしても、帰ってくるのには時間がかかるわ。当然でしょ」
「・・・なるほど」
ウシャスは頷き、頷きながら思い出していた ―― ディアウスがアーディティア神殿に帰されて来た時の事を。
彼の身体は、その身を守るように黒いマントで覆われ、神馬の背にしっかりと括りつけられていた。
当然ながらそれはディアウス自らが出来る事ではなく、誰かがそれをしたのだ。
つまり、マルト神群内の誰かが、という事になる。
慌しく出陣の用意や指示を出しながらも、ウシャスはそれをとても不審に思っていたのだ。
預知者を忌み嫌うマルト神群内の中にも心ある人間がおり、ディアウスの窮状を見かねたのだろうかと考えていたのだが ―― ルドラがここを発った時の様子からしても、知能の高い神馬、しかも神馬の中の神馬と名高いタールクシアを簡単に扱える者がそう沢山いるとは思えなかった。
おそらくそれなりの神名(しんめい)を持つ者がやったに違いない。
しかしこの戦が始まってからこっち、間近でマルトの名高い戦神(いくさがみ)達の様子を見ていると ―― 誰もが預知者を避け、どんなに酷い怪我をしていてもその手による治療を激しく拒絶するそぶりを隠そうとしないのを見ていると ―― 一体この中の誰がそんな事をするものなのかという疑問が、どんどん色濃くなってゆく。
そして同時に感じるのは、その一族の王と冠されるルドラがただ一人、預知者に対して抵抗感を抱いていないように見えるのは何故なのだろうという想いだった。
ディアウスを逃がしたのは、ルドラ王なのではあるまいか?
自分の結論がそこに着地しかかるのを悟ったウシャスは、そんな馬鹿な。とすぐに自分の考えを否定した。
“ルドラ王”は天地両神一族を他の誰よりも忌み嫌い、過去2代の長きに渡り、王自ら率先して預知者狩りを行った。
ただ一言で“2代”と言ってしまえばそれまでだが、大きな力を持つ戦神(いくさがみ)や、名高い神名(しんめい)を預かる神は寿命が長い。
特に“ルドラ王”の寿命は他のどの神々より長いことが多く、何千年もの長きに亘ってマルト神群を統治した王がいたという文献が残っているほどなのだ。
そして過去2代のルドラ王に引き続きその名を受け継いだ現ルドラ王の時代にも、預知者が捉えられて殺されたという情報が数件報告されていた。
中にはルドラ王本人が手を下したという情報もあったのだ。
そのルドラ王が、預知者で構成される天地両神一族を統べる天神を助けるなどという話があるだろうか ―― あり得ない。ある訳がない。
だがそれを否定してしまうと、ルドラ王に対して服従に近い忠誠の姿勢を見せている一族の誰かが王を裏切り、王の神馬を盗み、ディアウスを逃がしたという事になる。それはもっとあり得ない気がした。
ルドラ王がディアウスを逃がしたのだと仮定すれば、疑問や謎がすべて綺麗に説明出来るとは思うが、しかし・・・ ――――
ウシャスが一人考え込んでいる所に、マルト神群の戦神(いくさがみ)が密やかに近付いてきて、インドラに何事かを囁いた。
微動だにせずアスラ軍の動きを注視していたインドラは囁かれた報告を聞いて頷く。
「様子は。普段と変わらないか」
「はい、特には。落ち着いた様子です」
「分かった。下がれ」
一礼して戦神(いくさがみ)が立ち去ったのを見届けてからアグニが言う、「帰ったのか」
インドラは黙って頷き、
「我らに援軍が送られたらしいという偽の情報を流し、それらしい痕跡を残す手筈も無事に完了したという事だ。あとは・・・とにかく少しでも長く、時間を稼ぐしかない」
と、呻くように言った。
全貌を現しつつあるアスラ神群の軍勢を見て、アガスティアが壮絶な笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろ始めましょう。恐らくヴリトラ神妃も警戒して本陣を見ているはずよ。これ以上近付かせると感付かれるわ」
インドラはアガスティアの言葉に直接は答えずに立ち上がり、首を回して後ろを見た。
「いいか、これは勝つための戦ではない。少しでも長く、アスラの悪魔どもをこの地に留めるための戦なのだ。特にマルト神群の戦神(いくさがみ)達、その点だけはゆめゆめ忘れるな。
では風神殿、手筈どおりに」
インドラが低く言い、それを受けた風神ヴァータが立ち上がってその場を後にした。
周りでそのやり取りを聞いていた戦神(いくさがみ)達も、慌しく動き出す。
それから時を置かず、小高くなった森の小さな丘から強い風が吹き降り ―― その風に乗るようにして、弓の雨がアスラ神群の後方に向けて降り注ぐ。
それを合図に、森の木々の合間に隠れて時を待っていた戦神(いくさがみ)の一群が、アスラ軍が進軍する斜め後ろから打って出た。
アスラ軍の後部にいた悪魔たちは思いがけないその突然の攻撃に驚いて逃げ惑い、激しく隊列が乱れる。
その乱れは秋の湖に落ちた小さな水滴が生む波紋のように、あっと言う間に広がってゆく。
怒号と剣のかみ合う音が重なり合い、それにやはり援軍がいたのか、挟み撃ちにされるぞ、という悲鳴が混じる。
「・・・なんかさぁ、こんな簡単な罠に本当に引っかかるのかよ、と思ってたけど、意外と引っかかるのな。まるで自分を見てるみたいでちょっと切ない」
続いて自分の部下を率いてアスラ軍に向かって攻撃を仕掛けようとする直前、太陽神スーリアが呟いた。
冗談なのか本気なのか、判断のつかない彼の声を聞いて、側にいた死者の王ヤマと火神マニウが小さく笑う。
「・・・お前ら、真面目にやれ」
と、苦虫を噛み潰したような顔で振り返り、インドラは言った。
スーリアは自分を睨みつけるインドラに向かって微かに笑って見せてから、一足先に戦場へと足を向けた。
何なんだ一体。という風に顔を歪めるインドラにヤマは言う、「まぁ、そう怒るな。相変わらず短気だな、英雄神」
「だがな・・・!」
「希望の光が薄い戦場で、あんな冗談を言うのもそう簡単な事じゃない。不真面目なわけじゃないんだ」
インドラが抗議しかけるのを遮って、ヤマは続ける。
そして、腰に差していた剣をすらりと抜き放った。
「さぁ、我々も出よう、英雄神。ルドラ王の言う“新しい世界”をこの目で見るために」
―― to be continued.