53 : 敵の消滅
血で血を洗うような混沌に満ちた戦場の中、太陽神スーリアはいつの間にか自分の背後に英雄神インドラがいる事に気が付いた。
背中を預けるような格好で四方から襲い掛かってくる敵の攻撃に対していた2人だったが、その攻撃が緩んだ時、インドラが押さえきれない荒い息を繰り返しながら独り言のように呟く。
「まさかアーディティアの戦神(いくさがみ)に背中を預ける事になるとは思わなかった」
それを聞いたスーリアは奇妙な掛け声と共に斬りかかって来た敵を切り捨てながら笑い、
「そうだろうなぁ、でもそう思うのはきっとあんただけじゃないよ」
と、答えた。
「しっかし英雄神、アスラの悪魔ってのは斬っても斬ってもキリがないね。いつでも元気が信条の俺も流石に疲れてきちゃったよ。喉が渇いたし、腹が減った」
「ふざけた事を言うのはよしてくれ」
数人で固まるようにして斬りかかってきたのを、凄まじい剣の一閃で纏めて斬り倒したインドラが忌々しげに言う。
その隙を狙って逆側からインドラ目掛けて振り下ろされた槍を強くはね除けて、スーリアは再び笑った。
「勿論頑張ってるんだけどさ、でももう剣の歯がこぼれて・・・なんか斬り辛いんだよね・・・」
「普段の剣の手入れが悪いのではないか」
「そうなのかな、じゃあさ、この戦が終ったら正しい手入れの仕方を教えて・・・ ―― 」
と、言いかけたスーリアが短いうめき声を上げ、敵をがむしゃらに蹴り散らすようにしながら駆け出した。
アスラの戦神(いくさがみ)の太い槍に胸を突かれたパルジャがよろめき、そこへ少し高くなった岩の上にいたヴリトラ神妃が舞い降りるような形で襲い掛かるのを見たスーリアが叫ぶ。
「 ―― パルジャ、上・・・!」
そのスーリアの背後に斬りかかろうとする敵を間一髪のところで斬り殺したインドラは、鋭く舌打ちをしつつ自分の身の危険を顧みずにパルジャを助けようとするスーリアを追おうとした。
だがそこへヴリトラ神妃軍の戦神(いくさがみ)達がどっと押し寄せてきて、彼らが振るう刃から身を守るだけで、手一杯になってしまう。
敵軍の戦神(いくさがみ)達の攻撃に耐えるインドラの視界の隅に、よろめいたパルジャを地面に押し倒すようにするヴリトラ神妃の姿が見えた。
同時のその更に向こうの木々の合間に、敵に囲まれてあっと言う間に姿を消したアガスティアの姿も見えた気がした。
何もかも、もう、間に合わない。
インドラは思わず絶望的な気分になる。
思えば先程からずっと、自軍の戦神(いくさがみ)の姿を見ていない。
それにアーディティアの神々 ―― 暁の女神や、風神や・・・その姿を最後に見たのはいつだっただろう?
生きろと命令した、敬愛する自分の王の姿を再び見る事もなく、ここでこのまま何もかもが終ってしまうのか、そんな事は・・・ ――――
戦神(いくさがみ)として生まれてきたインドラが初めて戦場で諦めの境地に陥りかけた、その時だった。
大地が、波打つように、大きく揺れた。
剣を振り上げた者、それを受け止めようとした者、立ち上がりかけた者 ―― 大地に存在するもの全てのものが、風に枝を震わせる木々すら凍えさせるような、それは何か尋常ではない雰囲気の振動だった。
もう二度と止む事はないのではないかと思うような怒号や剣のかみ合う音が、一瞬にして止んだ。
今の今まで、ここで血なまぐさい戦が繰り広げられていたとは到底信じられないような静けさが戦場に流れたが ―― それはヴリトラ神妃が上げた悲鳴によって、唐突に破られる。
今にもパルジャを喰らおうと大地に伏せるようにしていたヴリトラ神妃は、まるで何かに打たれたように身体を起こして悲鳴を上げ、どこかへ逃げようとするかのような素振りを見せた。しかし数歩歩いた所で立ち竦み、再び狂ったような悲鳴を上げる。
その場にいた全ての神群の戦神(いくさがみ)の視線が、叫び続けるヴリトラ神妃に集中する。
何が起ころうとしているのか分からず、声も上げられないそれぞれの戦神(いくさがみ)が凝視する中 ―― ヴリトラ神妃の身体が、その身体が、どろりと崩れる。
それを見ている誰もが驚愕のあまり瞬きも出来ず、声も上げられなかったが、驚くのはまだ早かった。
ヴリトラ神妃が“溶け”始めたのと相前後して、大地に激しい突風が吹きつける。
風は先ほどの奇妙な大地の揺れと同様の不自然さを孕んでおり ―― その風が立ち竦む戦神(いくさがみ)達の間を吹きぬけた直後、戦場のあちこちから悲鳴が上がった。
身体が芯から凍りつくような恐怖と混乱に満ちた叫びはアスラ神群の戦神(いくさがみ)から上がるもので ―― 悲鳴を上げた戦神(いくさがみ)達が、次々にその形を失い、空中に霧散するように消えてゆく。
その余りにも異常すぎる光景に、思わず大地にへたり込む戦神(いくさがみ)も多かったが、殆どの戦神(いくさがみ)が身動きする事も出来なかった。
殆どの者がただただ愕然として、大地からアスラの悪魔が一人残らず溶け、消えてゆく様を見ていた。
周りから敵軍の姿が見えなくなった後も長いこと、誰一人として動けなかった。
どれ程の空白の時間があっただろうか ―― やがて、マルト神群の戦神(いくさがみ)の誰かが、ルドラ王の名を呟く。
それは小さな、小さな声だったが、まるで大勢の人間がぴたりと声を合わせて叫んだかのように、辺りに響き渡った。
彼の呟きを皮切りとして、次々とマルト神群の戦神(いくさがみ)達が王の名を呼び始める。
歓声はやがて、瞬く間に大地を ―― 天(そら)すら揺るがさんばかりに大きくなる。
だがそれに同調してルドラ王の名を叫ぶ訳にも、しかし嬉しくない訳でもないアーディティア神群の戦神(いくさがみ)達が躊躇いがちな視線を交わす中。
上がる歓声に背を向け、まるで忍ぶ様なやり方で英雄神インドラがその場を抜け出してゆくのに、死者の王ヤマだけが気付いていた。
ヤマは慎重かつ注意深く周りを見回し、誰もインドラの動きに気付いていないのを確認してから、自らもそっと歓声の渦の中から抜け出し、インドラの後を追った。