20 : 別の問題
「私の神馬は、もう外に来ている?」
部屋の扉を開けて廊下に出たプリシュニーは、視界を焼く明るい陽光に目を細めながら尋ねた。
「はい。出立の用意は既に万端、整っております」
女神の後ろに付き従う四天王を代表して、アガスティアが答える。
彼らは昨日の深夜、プリシュニーから迎えに来るようにとの危急の要請を受け、アーディティア神殿にやって来ていた。
「 ―― 直ぐに発たれますか?」
と、アガスティアが尋ねるのにプリシュニーが、
「王に退出の挨拶をしてからね」
と、答えたその後ろで、先ほどから口を挟もうかどうしようかと逡巡していたタパスが意を決したように口を開く。
「あの、プリシュニーさま、恐れながら・・・」
「なぁに、タパス」
「・・・、例の預知者の事は、どうなさるのですか?このままにしておいて、宜しいので・・・?」
「・・・、・・・大丈夫、彼の事なら・・・」
と、プリシュニーが答えかけた時、荒々しい足音と共に険しい顔をしたルドラがやってきて、プリシュニーの前に立ちはだかる。
四天王とその部下が慌ててその場に跪いて頭を下げる中、プリシュニーはひとり、何ら動じる素振りなく、微笑みさえ浮かべて王を見上げた。
「おはようございます、我が君。
私の方からご挨拶に伺おうと思っていたところだったのですが、わざわざご足労頂いて、申し訳ございませんでしたわ」
と、プリシュニーは言った。
「どこへ行くんだ」
と、ルドラが言った。
「・・・一晩考えたのですが、国の方もまだ完全に落ち着いたとは言えない状況である今、王の許可なくここまでやって来たことは、やはり責任感のない行動であったと反省しました。私もあちらで王の帰還を待つ事にしようと思いますわ」
「ふん、目的を達したから、帰ると言う訳か?全く、手の早い事で、感心させられる」
怒気を露わにしたルドラのその声を聞いて、プリシュニーは右側の頬に右手をあて、首を傾げる。
「・・・手の早い・・・?
朝も早くから、一体何のお話をなさっておられますの?私、さっぱり分かりかねますわ」
「とぼけるのもいい加減にしろ!」
と、ルドラが声を荒げ ―― その声を聞きつけたアーディティアの神々が、何事が起きたのかとちらほらと廊下に顔を出す。
しかしそれには気を払わず、ルドラは続ける。
「ディアウスに何をした。彼がどこにいるのか、お前は知っているはずだ、答えろ!」
ルドラの怒りを真正面から受け止めたプリシュニーはしかし、微塵も表情を動かさずに王を見上げていたが ―― やがて頬にあてがった手を下ろしながら、
「私は、何も存じません」
と、答えて踵を返した。
その手首を、ルドラが荒い動作で掴む。
「そんな偽りの言葉で、このルドラを騙せると思うな。言え、言うんだ!言わないのなら考えがある・・・ ―― !」
暴走しそうになるルドラを黙って見ていられなくなった四天王が王を宥めようとする声とルドラの怒声、プリシュニーの冷静な声が入り混じるその騒動を離れた場所から見ていたスーリヤが、
「ディアウス・・、いなくなっちゃったのかな?」
と、横に立ってやはりその騒動を見ていたヴァータに言った。
「・・・そうなんだろうな、恐らく・・・。だが、昨日姿を見かけたときには特に・・・」
と、いぶかしげに呟きかけたヴァータは、麻のように乱れるマルト神群の戦神(いくさがみ)たちのもとに、廊下を曲がって現れたプリティヴィーが近付いてゆくのを見て眉根を寄せた。
「その問いには、私がお答えいたしましょう」
双子の守護神を従えたプリティヴィーがルドラの背後から声をかけ、その声を聞いて振り返ったルドラは一瞬、表情を緩めかかった ―― が、すぐにそれがディアウスではなく、妹の地神プリティヴィーである事に気付いて、面を改める。
「・・・ディアウスは、どこに?」
と、ルドラは尋ねた。
「天神ディアウスは、今朝早くに天地へと赴きました」
と、プリティヴィーは簡潔に答えた。
「天地・・・?一体、何をしに・・・?」
「・・・かつて戦神(いくさがみ)の方々が壊した天と地を結ぶ仕事をする為ですわ。代々の天神が引き継いで続けてきた仕事です。それ以外に何があるというのです」
そんな事も分からないのか、という雰囲気を色濃く滲ませながら、プリティヴィーは答える。
「・・・それでは、私も直ぐに兄の後を追わねばなりませんので、失礼いたします」
「ちょっと ―― ちょっと待ってくれ!」
言うが早いか、何の躊躇いもなく立ち去ろうとしたプリティヴィーの背中に向かって、ルドラが叫ぶ。
「俺は何も・・・何も聞いていない。どうして突然、そんな事になるのだ」
「突然というわけでもありません。兄は以前より、アーディティア神群がマルト神群と和解する件と、天地両神一族がそこに加わるのは別の問題として考えるべきなのではないかと言っていましたから」
「・・・別の問題・・・?」
「ええ、そうです。私たち天地両神一族とルドラ一族は、そう易々と和解出来るとは思えませんし、まずはアーディティア神群とマルト神群の和解を先に進め ―― むろん我が一族の者が全くそこに加わらないと言っている訳ではありませんが、少なくとも天地両神一族の象徴と言うべき、天神がその場にいるとそちらの神経を不用意に逆撫でする事になるのではないかと・・・、天神である自分は、和解について異論はないという主張をはっきりと示した後は表立って姿を見せず、一族間のしがらみはその全てが破綻なく、万端整った暁に折り合いをつけて行った方が良いのではないかというのが、以前よりの兄の持論でございました。
これは我が神群の長であらせられる、無垢の女神アディティーも承知している話ですが、お聞きになっていらっしゃらないのですか」
そう尋ねられて、ルドラは微かに首を横に振る。
左様ですか。とプリティヴィーはどことなく満足気に頷く。
「では以降、そのようにご承知おき下さいませ。
木の女神アラーニーをはじめ、天地両神一族を代表する神を王の名代として残して行きますので、今後の話し合いは彼らとしていただく事になります。それも全て、天神、無垢の女神も了承済みでございますので。それでは、私はこれで」
そう言って、プリティヴィーはその場に背を向けた。