21 : 来れるものなら、来ればいい
再び踵を返しかけたプリティヴィーを、再びルドラが待ってくれ、と言って止めた。
「・・・今から天地に行くのなら、俺も一緒に、連れて行ってはもらえないか」
振り返ったプリティヴィーに、ルドラは言った。
「確かにディアウスは数日前から何か思いつめた様子で ―― 気になっていたんだ。今日明日中に、そなたに話を聞きに行こうと思ってもいた。だが、こうなってしまっては・・・」
と、そこまで言って、ルドラは自分がとんでもない馬鹿げた事を口にしているのを、今更ながらに気付く。
天地は天地両神一族にとって、聖地のような場所だ。
同神群の神々であっても立ち入りを許されない場所に、自分が立ち入ることなど許されるはずがない ―― そう思ったがしかし、だからと言って諦められず、ルドラは咳払いをしてから、開き直ったように顔をあげて続ける。
「単純に、彼の ―― ディアウスの事が心配なだけで、他意はない。無理を言っているのは分かっているが、頼む。頼むから、俺も・・・」
咳き込むように懇願するルドラを見上げていたプリティヴィーだったが、そこまで聞いたところで堪えきれない、と言った風情で鼻に抜けるような笑い声を上げた。
馬鹿にしたようなその笑い声を聞き、続く言葉を見失ったルドラの困惑を吹き飛ばすような勢いで、プリティヴィーは声を上げて笑い出す。
その光景を見ていたアーディティア神群の神々は一様に不安げに顔を見合わせ、ある者はアディティーを呼びにそっとその場を抜け出し ―― マルト神群の神々は不快げに顔を歪めた。
ルドラは表情を変えなかったが会話の最初の段階から激しかかっていたタパスが、これ以上我慢がならないとばかりに前に飛び出し、
「一体何がおかしい・・・!!汚らわしい預知者が我が王を侮辱するなど ―― もう許せぬ!!」
と、叫び ―― 叫びざま、腰の剣を引き抜いた。
プリシュニーが慌てて止めるのも聞かず、タパスはプリティヴィー目指して突進する。
そんなタパスを見てプリティヴィーも流石に顔から笑みを消した。が、その場から逃げようともしなかった。
背後で起こったそれら動きに一瞬、反応し遅れたルドラが、慌ててプリティヴィーを庇って立ち位置を変えるのと ―― “それ”は、ほぼ同時だった。
プリティヴィーの後ろに控えていた耕地の主クシェートラと、住居の主ヴァストーシュの双子の守護神が流れるような動作で前に進み出る。
そしてクシェートラの方が袖から滑り落とすように取り出した短剣を、突進してくるタパス目掛けて勢いよく投げ付ける。
飛んできた短剣を、タパスはギリギリのところで避けた。
だが鋭い空気の流れによってだろうか ―― タパスの頬の皮膚が薄く切り裂かれ、空間に血潮が飛ぶ。
それを見たタパスの部下や、他の四天王も顔色を変えて剣の柄に手をかけた。
正に一触即発の状態だったが、やめろ、手を出すな!というルドラの怒号が、暴走を間一髪のところで押し止める。
その後しばし、ルドラは激しい視線四天王をはじめとする戦神(いくさがみ)を睨みつけていたが、何とか彼らがこのまま落ち着いていそうだと判断し、プリティヴィーへと向き直った。
「我が一族は血の気の多い者ばかりで、申し訳ない。もう手出しはさせないから、武器の類は仕舞ってもらえないか」
神妙な顔をして頼むルドラを数秒眺めてから、プリティヴィーは守護神の2人に下がっているようにと命じた。
主の命を受けたクシェートラとヴァストーシュは、音もなく後ろに引き下がる。
「・・・一体何がおかしいんだって、訊いたわね」
やがて、場に訪れた静寂を破ってプリティヴィーが口を開く。
「分からないなら、教えてあげる。呆れすぎて、おかしいのよ。馬鹿馬鹿しすぎて、おかしくてたまらないのよ・・・!!」
最後、射るような声と視線をルドラに投げつけて、プリティヴィーは言った。
「あなたの一族が声高に私たち一族を“呪わしい”と糾弾しているのに、私たちが表立って反抗しないからといって、それを何とも思ってないとは思わないで頂きたいわ。あなた方が未だに私たちを“呪わしい”と考えているのと同様に、私たちだってあなた方のして来た事を憎んでいるわ ―― 全てを水に流してやり直そうと無垢の女神が言うのに、そうするのが一番いいかもしれないと思いつつも、あの残虐な行為の数々は、到底忘れられるものじゃない。やった方はあの行為を理屈をこねて正当化する事が出来ても、やられた方は決して、忘れたりなんかしない。
兄さまとあなたの関係の事だってそう。あなたの一族が狂った様に反対の意を示しているのを何度も見たけれど、私たちが同じ事をしないからと言って、反対していないなんて思わないで。反対よ ―― あなた達と同じだけ、いえ、それ以上に大反対よ、決まっているでしょう!兄さまがあなたのところに行ってしまうたび、もし兄さまに、天神である兄さまに何かあったらと、私は夜な夜な、まんじりとも出来ないでいるのよ。心配で、心配で、悔しくて、悔しくて ―― 毎夜毎夜、どんな思いで兄さまを待ったか、あんたになんか、分からないわよ・・・!!」
震えそうになる語尾を唇を噛んで堪えつつ、零れ落ちそうになる涙を瞬きする事で退けつつ、プリティヴィーは続ける。
「でも ―― でも、私たち一族は、堪え性のないあなた方と違って、あんな風に大勢の人がいる前で長である神を糾弾したりはしないわ。思いは同じだけれど、それだけはしない。影で幾度思いとどまるように懇願したかしれないわ、それでも、あんな人目につくような場所で天神に向かって意見するなんて、そんな事は ―― でもようやく、ようやく兄さまは分かってくれた。あんたと離れる決意をしてくれたのよ、それなのに・・・、“心配だから”?“一緒に連れて行ってくれ”ですって・・・?笑わせないでよ・・・!!」
そこでプリティヴィーは、こみ上げる感情を堪えるように両手を握り合わせ、燃えるような瞳でルドラを見上げる。
「来たいのならば、来ればいい!来れるものならば、来ればいい・・・!でも、私たちの力を借りようなんて、思わないで!!」
吐き捨てるように、という言葉そのままにプリティヴィーは言い捨て、走るようにその場を去った。
その女神の後を静かな動作で、守護神2人が追いかける。
彼らの後姿を茫然として見送っていたルドラは ―― やがて、呻くような溜息をつき、右手で顔の上半分を覆った。
そのままそこで立ち尽くすルドラを、アーディティアの神々が同情に溢れた視線で見ていて ―― その全ての様子を少し離れた場所から、プリシュニーが厳しい目をして眺めていた。