22 : “初めての者”
「大丈夫か、ルドラ王」
重い沈黙を破って、ヤマが言った。
椅子に腰掛けて前屈みになり、組んだ両手に視線を落としたルドラは、ヤマの声が聞こえているのかいないのか、身動きひとつしない。
あの後、暁の女神ウシャスが立ち尽くしたまま動こうとしないルドラを、その部屋に連れてきた。
そこにはアーディティア神群の戦神(いくさがみ)達が集まっており、騒動を聞いて顔を出したのはここにいた者たちが殆どであった。
因みにプリシュニーとその部下達はいつの間にやら姿を消しており、その場にはいなかった。
「 ―― で、でもさルドラ王、そんなに心配する事もないと思うぜ!」
暗くなってゆく空気を必死で吹き飛ばそうとするかのように、スーリアが言った。
「天地ってほら、天地両神一族にとっては庭みたいな場所だし、一切神の御加護の篤い土地だから変な危険は一切ない。ディアウスだってなにも、一生行ったっきりって事も・・・、えと、ない・・・だろ、うし・・・さぁ・・・・・・た、たぶん・・・」
言えば言うほど気まずい雰囲気が増してゆき、アーディティアの他の神々の冷たい視線に晒され、流石にまずいと感じたスーリアの声が徐々に小さくなってゆく。
途切れ途切れになり、やがて彼の声が完全に消えてから、祈祷神ブラフマーナが盛大な溜息をつき、
「一体何を根拠にそんな適当な事を言っているの?少しは状況を考えてものを言えないの?」
と、叱り付けるような口調で言った。
しょんぼりと肩を落とすスーリアを横目で見ながら、ウシャスが苦笑交じりに口を開く。
「まぁまぁ、ブラフマーナ。スーリアも悪気はないのだから、そう頭ごなしに責めるな。
それに言い方はともかく、状況がこうなってしまっては私たちにはどうする事も出来ないのも事実だ ―― 帰ってくるのを信じてひたすら待つしかないというスーリアの意見は、ある意味正しい」
「・・・確かにな・・・、行った場所が天地と言うのでは・・・」
と、独り言のように風神ヴァータが呟くのを黙って聞いていた火神マニウが、勢い良く椅子から立ち上がる。
「あああああっ、もぉ、まどろっこしいなぁ!なんだか良く分からないけど、天地って、要は、天(そら)の向こうって事だろ!?俺たちには無理でもさ、お前ら ―― と言ってマニウは風神ヴァータや雨神パルジャを指さした ―― は行けるんじゃないのか?飛べるんだしさ!」
「・・・あのな・・・、マニウ・・・。
我々風神一族の鳳凰や、パルジャ率いる雨神の翼竜、そしてルドラ一族の神馬が飛んでいるのはあくまでも天宙域(てんくういき)だ。天地とは全く別の次元(ところ)なんだよ、それ位ちゃんと知っておいてくれ」
ひとつの一族を束ねる神がそんな初歩的な質問を恥ずかしげもなく口にするのかと ―― しかもルドラ王の目の前で ―― 考え、鋭く痛むこめかみに指先をつけながら、風神ヴァータが言った。
「へ?そうなの?でも・・・元々は繋がってたところなんじゃないのか?」
「・・・それはそうだよ、でもな、天(そら)が壊れてしまってからは、あそこは滅茶苦茶に時空が入り乱れていて、とても“飛べる”ような空間ではないんだ。
天(そら)が壊れて以降、一切神に天地への立ち入りを許されている天地両神一族以外に、あの空間を渡れた者の話など、聞いた事がない。我々風神一族は勿論、他の一族とて同じだ ―― なぁ、そなたの一族とてそうだろう、ルドラ王」
「 ―― そうだな。だから、俺がその“初めての者”になる」
低い、低い声でルドラが言い ―― その場にいた皆が、一斉にルドラを見る。
ゆっくりと上げられたルドラの顔には恐ろしいまでに強い決意の意志が漲っており、その両目は先の戦で皆が見たのと同じ ―― いや、それ以上かもしれないと思わせるような鋭い光が宿っていた。
「待て、ちょっと落ち着け、ルドラ王」
と、ウシャスが言った。
「さっきスーリアが言ったように、ディアウスの身に危険はない。何もそなたがそのような危険に身を晒す必要はないし ―― ディアウスも何年も行ったきりという訳にはゆかないはずだ。きちんとした名代を残してゆくと言っても、その内、ディアウスでなければならない、という案件も出てくるに違いないのだから」
「そんな風にただ黙って帰りを待っていた。と後で説明する行為は、我々にとって ―― 特にディアウスにとっては何の意味もない」
と、ルドラが言い ―― その言葉を部屋の端で聞いていた雨神パルジャは、はっと小さく息を呑み、改めてルドラ王の横顔を見た。
ルドラは静かに続ける。
「これまで・・・ほんの短い間ではあったが、俺は恐らくディアウスの優しさに甘えすぎたんだろう。彼が俺と同じ ―― いや、それ以上の反対にあっているのは当然分かっていた。それに彼の場合はそれだけではなく、どうしても逃れ得ない別の苦しみにも囚われている事も、俺は知っていた。知っていたのにどうする事も出来ず、ただ黙って見ていただけだ。
彼の悩みは特殊すぎて、どうするのがいいのか迷っていたとか、突然このような展開になるとは考えもしなかったとか言うのも事実だが、そんな言い訳をいくらしてみたところで意味はない。
だから今こそ ―― 俺のこの行動は、傍から見たら何の意味もないと思うかもしれないが、今からでも彼のためだけに何かをしたいと思う。“ルドラ王”の名や、一族の事を脇に置いて、一己の俺自身として」
「・・・失敗すれば、命はないぞ」
きっぱりとしたルドラの物言いにかける言葉を見失った神々が押し黙る中、ゆっくりとした足取りでルドラの前に立ったパルジャが言った。
「天宙域(てんくういき)を飛んでいても、あそこと天地を繋ぐ空間からは禍々しい“気”が流れてくる。それは“飛べる”私たちが一番知っているはずだ」
「・・・そうだな」
と、ルドラは当然のように頷いた。
「命を落とさずとも、一度時空の狭間に落ち込んでしまったら、抜け出すのは不可能だぞ」
「分かっている」
「それでも、行くというのか。ディアウスの為というのであれば、そなたがここでそういう行動に出る事がいいのかどうなのか ―― 私には上手く判断がつかないのだが」
「・・・繰り返すが、ただ“待っていた”と言ってもなんの意味も、価値もない。それだけは、絶対的な真実なんだ。だったら、可能性のある方に賭ける。
これまで誰にも出来なかったのだとしても、この俺はやり遂げてやる。時空の歪みも、何もかも全部、突っ切ってみせる・・・!」
真っ直ぐに自分を見返して言いきったルドラを見下ろしたパルジャは、ディアウスが自分を選ばなかった理由を明確に悟らされた気がした。
静かに、ただ側でそっと、その心が移り行くのを待っているだけでなく、明確な、嵐のような意志で“お前が必要なのだ”と伝え、自らの内に巣食う“預知”という名の恐怖により、ともすれば影へ影へと逃げ込もうとする彼をそこから引き出すたゆみない努力を示し続ける事が何より必要であったのだ。
そして自分は、そういう努力は全くして来なかった。しようとも思わなかったし、考えつきもしなかった。
もっと早くに、自分でそれに気付いたとしたら、違う展開があったのだろうか ―― と、パルジャは考えてみる。が、想像も出来なかった。
おそらく何度やり直してみても、自分はこれまでのようにしか出来ないに違いない。いやそれどころか、それが分かって、そうしてみたからと言って、ディアウスが自分を選んだかどうかは微妙な所だな。と内心自嘲ぎみに考えたパルジャは大きく息を吐いてから、
「・・・天地へはシュラダ山から行くといいだろう。あの山は一切神が最後に大地に降りて来た道が通っていたと言われている山で、未だに一切神の“気”に満ちた区域だからな。あそこは私の領地だから、途中までなら送って行ける」
と、言った。
パルジャのその提案にルドラはもちろん、アーディティアの神々も驚いた。
驚きつつもすぐに礼を言いかけたルドラを、パルジャは手を上げて止める。
「礼など言わなくていい。送って行けるのはほんの触りの場所までだし、そこまでなら私もよく見回りで行くのだ。
それにあの山は天地に近い場所なだけに、非常に不安定な場所だ。その先に進み、天地に辿り着けるか否かはそなたの運次第、一切神の御心次第なのだからな」
そっけないパルジャの言葉に、ルドラは神妙な面持ちで頷いた。