23 : 誇りでもなんでもない
ルドラとアーディティア神群の神々のやりとりをひとり、部屋の出入り口の影で聞いていたプリシュニーは、ルドラが“時空の歪みも、突っ切ってみせる”と断言したのを聞き、力なく目を閉じてため息をついた。
そこで暫しそのまま佇んでいたプリシュニーだったが、最後のパルジャの提案を聞いて顔をあげ、その場から立ち去ろうとした ―― しかし何歩も進まないうちに、つと足を止める。
部屋の反対側の廊下の端に、2人の守護神を従えたプリティヴィーが立っているのに気付いたのだ。
両者は長い間、無言で、睨みあう様な雰囲気で見詰め合い ―― 最初に動いたのはプリシュニーだった。
何事もなかったかのように視線を逸らし、前を通って去って行こうとしたプリシュニーに、プリティヴィーが固い声で話しかける。
「兄から、大体の話は聞いております」
と、プリティヴィーは言った。
「そちらの要求どおり、私ども一族内の事はその中で納まるように致しました。ですから当然、そちらの王の事はそちらで責任を持って監視するなり、していただけるのでしょうね」
立ち去りかけていたプリシュニーはゆっくりと振り返り、
「“責任を持って、監視”ですって・・・?」
と、聞き返し、ふっと笑った。
「ねぇ、さっきあなたは堪え性のないあたしたちルドラ一族と違って、自分達は一族の長を声高に批判したりはしない、って言ったわね。でもね、私たちにだってそうしたい、そうすべきなのだろうという気持ちはあるのよ。ただ感情を制御するのが苦手な者が多くて、中々上手くいかないだけ」
と、言ったところで、プリシュニーは口元に霞のように漂わせていた笑いをさっと消した。
「・・・今やあなた方神群の中で“暴風雨神”とは、ルドラ一族の攻撃性を揶揄するような意味合いで使われている場合があるようだけれど、あれはとんでもない考え違いよ。“暴風雨神”という神名(しんめい)は決して、生半可なものでは有り得ない。あの神名(しんめい)は、ルドラという王の在り方を ―― ルドラ一族ではなく、ルドラ王一個人の在り方を何よりも良く表現しているのよ。猛ってしまったら、誰にも止められない。それがどの方向へ向かうか、誰にも予測出来ない。そんな激しい嵐のような存在であるルドラ王を示しているのだわ。
そして今回、その王に火を付けたのは、他の誰でもない、あなたじゃない。地神プリティヴィー」
淡々と、そうプリシュニーに指摘されたプリティヴィーは、微かに眉根を寄せる。
そんなプリティヴィーを見据えたまま、プリシュニーは続ける。
「事がこうなってしまった後ではもう、私たちに出来る事は何もないわ。あの王が一度こうと決めたら、それを変えるのは不可能だもの。
でもそんな今だからこそ、あなたたちが本領を発揮するいい機会なんじゃなくって?」
「・・・本領を発揮・・・?それは一体、どういう意味?」
聞き返すプリティヴィーに、プリシュニーは頷いてみせる。
「意味なんてひとつしかないわ。あなたたちに預知を降ろしているどこだかの神に、全力で祈ればいいじゃないの ―― 雨神パルジャが言っていたように、ルドラ王が天地に行く途中で力尽きて死ぬか、時空の狭間に落ち込んでしまいますように・・・ってね」
プリシュニーがそう言うのを聞き、プリティヴィーは湧き上がる激情を必死で抑えつつ、
「・・・馬鹿にしないでちょうだい。私たちはあなたたちとは違って一切神に唯一の神として選ばれた、誇りある一族の預知者よ。相手が何であれ、そんな禍々しい祈りを神に向かって奉げるなど、決してしないわ・・・!」
と、言った。だがそれを聞いたプリシュニーは、
「ふん、馬鹿みたい」
と、吐き捨てるように言った。
それまで黙っていた2人の守護神がこれ以上黙ってはいられない、と言わんばかりに激しかかったが、プリシュニーは少しも怯む気配なく、口を開く。
「だってそうじゃない。自分たちの神と我がルドラ王が別れるように、表立って行動する事も出来ない。それならと影でルドラが死ぬようにとも祈れない。結局あなたがたは、天神の顔色を窺い、その不興を買わないようにしたいだけなんじゃないの・・・!!」
静かな ―― しかしそこに激しいものをおしこめたような口調で言ったプリシュニーは最後、
「そんなのは、誇りでもなんでもないわ」
と声音を変えて付け加え、踵を返した。
一瞬、凝ったように瞬きすら出来なくなったプリティヴィーだったが、去ろうとするプリシュニーの背中に、再度躊躇いがちに声をかける。
「・・・それでは、これから ―― あなたがたは、どうするつもりなの・・・?」
プリシュニーは振り返らず、しかし進めようとしていた足を止め、そのどこかに救いの手が浮かんでいないかと捜し求めるかのように天井を振り仰いだ。
長い間があり、そこにプリシュニーは昨日聞いた天神の、“ルドラ王が心安らかに過ごせるように祈っている”という声に漂う雰囲気を思い返してみていた。
その声に押し殺し切れずに薄く漂っていた、ルドラへの思慕の想いと共に。
プリシュニーは強く目を閉じ、その声に倣うかのように、
「そうね・・・、私たちこそ、もう、祈るしかないのかも・・・ ―――― 」
と、囁くように呟き ―― 微かに、誰にも分からない程度に笑ってから、二度と立ち止まらずにその場から立ち去った。