月に哭く

28 : 危うい砦

「そこをおどきください、ディアウスさま」

 城の最上階にある天神の自室前に集まった預知者のうちの一人が、低い声で言った。
 後ろに控えた預知者たちも、その声を合図とするかのように鞘走らせた剣や武器を手に、扉を背に立っているディアウスに近づく。
 血の気を失った唇を噛み締めたディアウスは小さく、しかしきっぱりと首を横に振った。

「なぜ止めるのです、ディアウスさま ―― これは我らの積年の恨みを晴らす、千載一遇の機会ではありませんか。蔑ろにされた先祖の無念を、よもやお忘れではありますまい?天神であるあなたさまが今、このときに我らを止めるなど、決してあってはならぬことです」
 と、先程と同じ預知者が、凄むように言う。
「今なら多勢に無勢。名高い戦神(いくさがみ)であるかの王とはいえ、これだけの人数には到底適いますまい。おどきください、ディアウスさま。いいえ、今回ばかりは何が何でも、どいていただきます」
「 ―― 何と言われようと、私は退きません」
 と、ディアウスはきっぱりと言った。
「過去を水に流してやり直す努力をしようという無垢の女神のお言葉を、お前たちは何と心得るのです。天地両神一族に名を連ねる神である以前に、我々はアーディティア神群に属する神であるはず。神群を統べる女神の意思を無視しようと言うのですか」
「あの暴風雨神がこの天地に辿り着いたというのは、我らしか知らない事実です。あの王は"ここへ辿り着かなかった" ―― そう、我々は"何も知らなかった"ことにすれば良いのです、そうすれば何の問題もない。至極簡単な事ではありませんか」
「・・・何ということを・・・無垢の女神を裏切り、騙そうというのですか・・・!」
「天神自ら我らをこうして止めている事自体、一族に対する裏切り行為であると、我々は思います。誰になんと言われようと、我々は決して、無理やり舐めさせられたあの辛酸の数々を忘れたりなど、出来はしない ―― 我が一族の想いはディアウスさま、あなたが誰より分かっておられるはず・・・!!」
 彼の激しい言葉を合図とするように、集まった者たちが殺された親類縁者の名を口々に口にしつつ、もう一歩、扉へと近付く。
 そのうちの一人の手が、扉の取っ手に手を伸ばし ―― ディアウスは慌ててその手を強く払い、
「なりません、なりません・・・ ―― !!」
 と叫び、それを受けた預知者たちが力ずくでディアウスを扉の前から排除しようと、その身体に一斉に手を伸ばそうとした、その刹那。

 鋭い"気"が、ディアウスと彼に迫る預知者の間に走った。

 それはまるで稲妻のようにびりびりとした光を纏って空気を切り裂き、預知者たちは突然走ったその空気の鎌から、飛び退るようにして逃れる。
 避けなければ皮膚をも切り裂くような、それはそんな激しく、鋭い"気"の流れだった。
 驚いたディアウスはちらりと背後の扉に目をやり、慌てて飛び退った預知者たちは、ルドラのものと思われるその仕打ちに、更なる憎悪を増したような表情を浮かべる。

 次に相手がどう出るのかと探り合うように両者の間に流れていた沈黙は、
「これは一体、どうした事なの」
 という、プリティヴィーの声で破られた。
「プリティヴィーさま・・・!!」
 突然その場に現れたプリティヴィーを見て、預知者たちはその名を呼んだ。
 プリティヴィーは落ち着いた足取りでディアウスと、預知者の間に割って入りながら、淡々とした口調で続ける。
「一族の長である天神に武器を向けるなんて、一体お前たちは何を考えているの ―― 武器を下ろしなさい、さぁ、早く」
「・・・しかし、プリティヴィーさま・・・」
「口答えは許さないわ。例え何があろうと一族の長である天神の前で剣を抜くなどあってはならない事よ、それが分からない?分からないと言うのなら、私にも相応の考えがあるけれど」
 と、プリティヴィーはじろりと一同を見回した。

 抑えた声だったが、プリティヴィーの口調には反論し辛い、重々しい迫力があった。
 全ての預知者がプリティヴィーと目を合わせられず、伏せた面が上げられなくなったのを確認し、プリティヴィーはやはり有無を言わせぬやり方で部屋の前に集まった一同を引き連れてその場を去ってゆく。

 声をかけるどころか、自分を見ようとしない妹の素振りが気になったディアウスだったが、とりあえずその場から彼らが立ち去ってゆくのを確認してから後ろ手に自室の扉を開けて中に入り、注意深く扉を締め切った。