月に哭く

30 : 守られた誓い

 ルドラの言葉を聞いたディアウスは小さく呻き、頬を撫でるルドラ右手を両手で激しく掴んだ。
「でも、私一人では一族からあなたを守りきる事は不可能です・・・ここからあなたを大地に逃がそうにも、私が動いては目立ちすぎますし ―― 今後一体、どうすればいいのか・・・」
「俺は、この身をそなたに守って貰おうなどとは思っていない。ましてやここから逃げようなどとは、毛ほども思わない」
「・・・っ、でも、ルドラ・・・!」
「預知者としてのそなたの杞憂は、それなりに理解しているつもりだ。不安になるのも致し方ないと思う ―― とルドラはディアウスの手を包み込むように握り返して、言った ―― だが俺はそなたたち預知者が見るものが、必ずしも真実になるとは思えないのだ。いや、変えられないものだとは思えない、と言った方がいいかもしれない」
 苦しげに表情を歪め、逸らされようとするディアウスの顔を優しく留め、その瞳を深く覗き込み、ルドラは続ける。
「例え今後どんな悪い預知夢を見ても、この俺がそれを全てただの夢にしてやる。ただの悪い夢だったのだと、苦笑するものにしてやる。それと ―― いいか、これだけはよく覚えておくんだディアウス、この俺は、決して、そなたの前から消えたりはしない。今後例え何が起こっても、俺はそれを乗り越えてみせる。約束する。だから、そなたは何も不安に思う事はない」

 最後、一語一語、きっぱりと断言するように続けられたルドラの言葉 ―― 奇妙なほどに強い確信を漲らせたその言葉を耳にしたディアウスの両目から、大粒の涙が零れ落ちる。

「・・・しかしルドラ、預知というものの正確さは私が一番知っているのです・・・それは決して・・・」
「変えられる」
 再びディアウスの言葉を遮り、ルドラは言った。
「そなたはかつて俺に“自分は決してこのままの自分としては俺に会えないだろう”と言った。しかし俺はいつか必ずそなたに会いにゆくと誓った。そして今、俺は現にそなたの前にいるではないか」
「・・・そのような預知をした覚えは、私にはないのです・・・」
「そんなのは俺の知った事か」
 吐き捨てるように、ルドラは言った。
「そなたが俺の誓いを覚えているかいないか、それは俺にとって大した問題ではない。何故ならそれは俺の誓いだからだ。俺は俺が口にした誓いをそなたの記憶や預知とは関係なく、こうして現実のものとした ―― これは紛れもない、一点の曇りもない、明確な事実だ」
「・・・そうだとしてもルドラ、預知が告げた運命はやはり正しく、変わっていないではありませんか」
 と、ディアウスは力なく言った。
「私は覚えていませんが、かつて私が“このままの私としてはルドラに会えない”という預知をしたのであれば・・・その預知が告げたそのままに、私は元の私としてはあなたに会えなかったのですから」
 そうディアウスが言うのを聞いたルドラは一瞬、ぎゅっと眉間に皺を寄せてから唐突に声をあげて笑い出す。
 驚いて顔を上げたディアウスが見つめるなか、しばらく笑い続けていたルドラは、
「相変わらず面白いな、お前は」
 と、笑い続けながら言った。
「・・・なにがです?」
 意味が分からずに首を傾げ、ディアウスは聞いた。
「尋ねたいのは俺の方だ、ディアウス。なぁ、教えてくれ。“元の私”とは一体、誰の事なのだ」
 ルドラは笑いをおさめて聞き返し、ディアウスを膝の上に抱き上げた。
「俺が戦の間中、会いたいと望み ―― その後様々に思い悩み、諦めるしかないのかと半ば覚悟しつつもどうしても諦め切れず、手に入れたいと思い続けたのはそなたただ一人だ。他の誰でもない」
「・・・でも、私は・・・」
「言っておくがそなた、記憶があろうがなかろうが、全く変わっておらぬぞ」
「・・・え?」
「一見どうしようもないまでに儚く弱々しいように見えるが、実際は誰よりも頑固で意志が強く、自分が定めた最後の一線以上には、例え何をされてもひき下がらない ―― かつてそなたのそういった部分に驚かされたものだったが、それは今も同じだ。そなたは全く変わっていない。呆れるほどにな」
「・・・なんだか酷い言われように聞こえますが」
「そうか?気に障ったのなら謝ろうか?」
 ルドラは笑い、ディアウスも少し考えた後で、微かな微笑みの影を口元に浮かべた。
「だが今回ばかりはそなたのその意志は覆してもらわなければ困る」
 お互いの間から笑いが消えた頃、ルドラが言った。
「・・・何故です?」
「そなたは“自分は和解の場にはいない方が良い”と主張して譲らなかったらしいが、それは間違っているからだ」
「・・・そうでしょうか」
 静かだが懐疑的な言い方で、ディアウスは言った。
「そう、間違っている」
 やはり静かだが確信的な言い方で、ルドラは言った。
「確かにそなたがいない方が、マルト神群とアーディティア神群との和解の話し合いは円滑に進むだろう。我がルドラ一族の面々も、そなたがいない方がうるさい事も言わぬだろうしな。だがな、それでは根本的な解決にはならない。そんなやり方では今までと同じ歴史が、最初からそっくりそのまま、繰り返されるだけだ」
「・・・そうかもしれません、しかし、私がいては混乱が増し、纏まるものも纏まらないのではないのもまた、明らかな事実だと思うのです」
「だからいいのではないか」、とルドラは言った。
「・・・なぜですか?」、とディアウスが聞いた。
「過去や未来を見通し、思うままに未来を変え、人の心うちすら見通せるのが預知者である。というのが正しいのであれば、その最高峰の力を持つはずのそなたがいて話し合いに何の進展もないのはおかしいではないか」
 あっさりとルドラは指摘し、その思ってもみなかった話の展開に、ディアウスは言葉を失う。
「天地両神一族の在り方や能力の方向性が皆に正しく理解されなかったのは、そなたたちが公の場に姿を表したり、預知の本質の、一方しか外に晒さなかったからだ。
 預知というのは時に恐ろしさすら感じる程凄まじい力を発するが、反面、理不尽なまでに不完全な力でもある。そなたたちはこれまで、前者だけを前面に押し出し、その陰となった負の部分をひた隠しにしてきた。恐らくは預知能力に対する自負がそうさせたのであろうが、それが預知というものを他の一族に誤解させる最大の要因ともなった訳だ」
 ルドラは言い、同意を求めるようにディアウスを見上げる。
 ディアウスは小さいものの、はっきりと頷いた。
「その誤解を解く事が出来るのは、高度な預知の力を持っているがその影の部分を正確に理解して認める事が出来、かの力に必要以上の誇りを持たない人物・・・つまりそなたしかいないのではないか。
 それに ―― と言って、ルドラはふっと苦笑して肩を竦めた ―― 以前とは違う、自然な形でそなたや、そなたに付き従う預知者と関わってゆけば、うちの頭の固い、思い込みの激しい連中の中にもふと首を傾げる者が出て来るかもしれない。短絡的で暴走し易い奴らが多いのは事実だが、状況を全く見切れない者ばかりという訳ではないのだ」
「それはそうでしょうけれど・・・」
「むろんそなたはここで天を作る仕事がある訳だし、それを中断しろとは言わない。だが可能な限り大地に降りて来てくれ」
 ルドラは言い、ディアウスが暫し考えた後に頷くのを確認してから椅子に深く背中を預け、同時にディアウスを深く腕に抱き寄せるようにしながら、ゆっくりと目を閉じる。
 そんなルドラの様子を間近で見下ろしたディアウスは不安げにルドラの肩に置いた手に力を込め、
「・・・大丈夫ですか?やはり具合が悪いのでしょう?」
 と、尋ねる。
 ルドラは、両目を閉ざしたまま苦笑した。
「大丈夫だと言うのに ―― だがまぁ、確かにさっきも言った通り消耗したのも事実ではあるから、暫く天地で身体を休めさせてもらうさ。マルト神群の面々にそなたたちの事を理解させなければならないのと同様、その逆もまた必然なのだからな。かなり強引だが、これはある意味、ちょうどいい機会だろう」
「・・・危険すぎるとは思いませんか?」
「危険なことなど、なにもない。こと闘いにおいて、預知者が束になってかかって来たとて俺に傷ひとつつけられるものではない。俺を誰だと思っている」
 と、ルドラは言った。

 それは太古の昔から決まりきっている、生まれたての赤子でも知っている明確な事実について述べるような、きっぱりとした口調であった。