月に哭く

32 : 難しい女(ひと)

 ルドラの説得を受けたディアウスはその後、天(そら)を創造(つく)り直す作業の合間を縫うようにして、大地に降りてきて、ルドラ一族とアーディティア一族が顔を合わせる場に姿を見せるようになった。
 が、当然と言えば当然ながらディアウスの守護神である双神をはじめとする物々しい護衛が、十重二十重となってディアウスを取り囲み、その身を守っていた。

 もしかして、という危惧の域を超えたディアウスとルドラの関係が公になってしまった現在、天地両神一族としてはいくら警戒してもし足りない、という心境になるのは当然ではあった。
 が、その常識を外れたような警備の物々しさに、アーディティア神群の神々の中からも、
“あれは流石にやりすぎではないのか”、
“あんなこれ見よがしの警備の仕方をしては、ルドラ一族の更なる反感を買うのでは”、
 という意見が出ることもあったが、天地両神一族の気持ちが分からないわけではなかったし、一族の長であるルドラ自身が直接警備の指示をしていたこともあり、その声が大きくなることはなかった。

「・・・ありがとうございます ―― いつの間にいらしていたのです?」

 天水から上がったディアウスは、濡れた身体を柔らかな布で包み込むようにしたルドラを見上げて訊ねた。
 ディアウスが大地に降りている時には事情により ―― それはディアウスの警備が物々しいことに加え、ルドラ一族の神経をこれ以上逆なでするわけにはいかないという配慮があった ―― 顔を合わせる事すら難しいため、最近ルドラはこうして度々天地に顔を出すようになっていたのだ。

「着いたのはつい先ほどだ」
 と、ルドラは答えてディアウスの身体を包んだものとは別の布で、ディアウスの髪をそっと拭う。
「今日はどうやってこちらに?」
 と、ディアウスは甘えるようにルドラの胸に身を寄せて訊き返す。
「いつもと同じだ。途中までは神馬で飛んできて、天宙域(てんくういき)の端まで、プリティヴィーが迎えに来てくれていた」
「そうですか」
「それにしても毎度毎度、ああして地神にあんな荒れた空間まで足を運ばせるのは心苦しくてな」
 時空の狭間まで自分を迎えに来る際のプリティヴィーの、凍りついたような無表情さを思い返し、ルドラは肩を竦める。
「この空間に俺が足を踏み入れるのを天地両神一族の神々が快く思えないのは当然だ。俺がここへ来るのは飽くまでも個人的なわがままであることも分かっている。そのために天地両神一族の地神が毎回俺を迎えに出て、一族の心証を損ねるようなことになっては申し訳ない・・・目立たぬように、他の神に迎えに来てもらっても、俺は構わないのだが。あそこの“気”にも大分慣れてきたし、“気”の道筋だけでもつけて貰えば自力でも来ることも可能だ」
「・・・そうですね、それはそうでしょうけれど」
 少し考え込むような素振りを見せてから、ディアウスは小さく首を傾げた。
「でもプリティヴィーとしてはやはり、他の者に頼むのは心配なのだと思います。あなたがヴリトラと戦って瀕死の重傷を負われていた時も、決して治療を他の者にはさせませんでした。今だから言いますが、プリティヴィーは最初、あなたの病室に完全に泊まり込んで、寝る事すらろくにしませんでした。日に何度も、部屋に何か不審な点がないか ―― 天地両神一族は草花だけでなく動物が持つ特性にも聡い者がおりますから、毒針を持つような虫が仕掛けられていないかなどを調べてもいたのです。ルドラ一族を ―― 過去の歴史を憎いと思っているのは今も変わらないのだと思いますが、中途半端なことは絶対に出来ない性格なのです。ですから恐らく、他の神に役目を譲れと言ってもきかないかと」
「そなたが言っても?」
「あなたがここへ来ていることを他の誰よりも心配しているのがこの私であると、プリティヴィーは誰よりも良く分かっています。
 私がそのようなことを言えば、プリティヴィーはきっと、あなたに対するやり方を更に丁寧にするようになるに決まっています」
 さらりとディアウスが断言するのを聞いてルドラは微かに目を見開いてから、
「・・・難しい女性なのだな、実に」
 と、ため息をつき、困ったように笑った。