33 : 危うい均衡
それから少しの間、沈黙があった。
ふいにぽかりと空間に浮かんだその沈黙は破られることはなく、ディアウスは無言のまま、きびすを返した。
ルドラも黙って、その後を追う。
城の奥深くにあるディアウスの自室に入り、着替えたところでようやくディアウスは振り返り、ルドラを真っ直ぐに見上げて口を開く。
「・・・何か、お話があるのでしょう?」
「・・・隠せないな、相変わらず」
と、ルドラは言った。そして苦笑する。
「ここのところ下に降りるたびに雰囲気が悪くなっていたのは、分かっておりましたから」
と、ディアウスは言い、玻璃の器にゆっくりと葡萄酒を注ぐ。
「私の護衛が派手に増えてゆくことが事態に悪影響を与えることは、最初から想像出来ていたことです。もう少し控えることは出来ないか、という話は何度かしているのですが・・・」
「いや、それはいいんだ」
と、ルドラは言って差し出された玻璃の器を受け取り、葡萄酒を一口飲んだ。
「うちの戦神(いくさがみ)たちのあの視線や態度を見て、護衛を厚くするなと言う方が無理だろう。むしろ俺が率先して指揮を執りたいくらいだ」
そのルドラの、 冗談めかしている中にも本気が滲んでいる口調を聞き、ディアウスは外からは分からないようにため息をつく。
恐らくはこのルドラの内心を、マルト神群の神々は察しているのだ。
ルドラがいくら見せまいとしても、そういう想いは伝わってしまうものであり、それが更にルドラ一族の神経を逆なでしているのだ。
幼い頃からありとあらゆる文献を文字通り手当たり次第に読み漁ってきたディアウスは、マルト神群の中核であるルドラ一族がどれほど天地両神一族を忌み嫌っているかよく分かっていた。
もちろんルドラもそれは分かっているだろうが ―― ルドラとディアウスを愛し合ってしまった時点で、全ての均衡が壊滅的に危うくなっている。
それは一気に崩れてしまうよりももっと、人々を不安にさせ、また、暴走させるものなのだ。
「 ―― 私はしばらく、下へは行かない方が良いのでしょうか」
手にした玻璃の器の縁を白い指先でなぞりながら、ディアウスは訊いた。
「いや・・・、もうそういう問題でもない気がする」
右側に傾けた首筋を擦るようにしながら、ルドラは答えた。
「・・・あなたの身に危険は?」
「ん?・・・まぁそうだな、全くないとは言えないが ―― と、そこまで言ったところでディアウスの顔がさっと青ざめたのを見てルドラは柔らかく笑い、ディアウスの手を取る ―― 俺は大丈夫だ。まだ死ぬ気はないし、死ぬ気もしない」
「・・・もちろんそうでしょう、しかしルドラ、死とは予告してやってくるものではないのです ―― ほとんどの場合は」
重ねられた手の上に更に手を重ねて、ディアウスは噛んで含めるように言った。
「どうかくれぐれも、御身大事になさってください。他の誰よりも、あなたはこの時代に絶対に必要な方なのですから」
それを聞いたルドラはすうっと両目を眇めた。
ヴリトラ神妃軍によって焼き払われる前の龍宮殿の地下道で、同じ趣旨の言葉をディアウスが口にしたことを、思い出したのだ。
あの時はあたりは薄い闇に覆われていて、ディアウスの表情ははっきりと見えなかった。
だがおそらくあの時のディアウスも今と同じく、縋り付くような必死さが滲む表情をしていたに違いないとルドラは思う。
何を考える暇もなく、ルドラの手が伸びる。
伸びた手はほっそりとしたディアウスの背中に宛がわれ、その身体を引き寄せた。
「それはそなたも同じことが言える、ディアウス ―― いや、ある意味そなたの方が俺よりもっと気を付けて貰わないと困るんだ。だから護衛が増えることに関しては問題はない。例え何を言われようが、気にしなくていい」
「・・・、・・・分かりました」
ディアウスは素直に頷き、伏せたままの顔をルドラの方へを向ける。
そしてゆっくりと、視線だけを上げてルドラの両目を覗き込んだ。
一瞬、引き攣れるように呼吸をしたルドラが、噛みつくようにディアウスに口付ける。
躊躇うことなく、ディアウスの細く白い両腕が、ルドラの首に回ってゆく。
ついで縺れあうように始まった行為によって色々なことが誤魔化され、うやむやにされたことをディアウスだけでなくルドラももちろん、知っていた。