35 : 死の既視感
「ところであの男は、今度はいつ・・・」
ディアウスが摘んだ薬草を手に持った籠で受けながら、アパームが訊きかけたのを、
「ルドラ王」
と、ディアウスが訂正した。
アパームは面白くなさそうな顔をしたが、すぐに指摘された通りに言い直す、「・・・ルドラ王は今度、いつこちらに来られるんですか」
「さあ・・・正確な日付は聞いていないけれど」
と、ディアウスは摘み取った薬草の匂いをかぐような素振りと共に答える。
「でもアディティーが近いうちに一度龍宮殿に行くことになっているから、それまではここには来られないかも知れない。色々と準備もあるだろうし・・・だから次に来るのは、アディティーを迎えに来る時かもね」
「アディティーさまが龍宮殿に、って・・・あれはただの噂だとばかり思っていましたが」
「噂というか、あんなの冗談みたいなものじゃないんですか?危険すぎますよ、そんなの」
「いや、行くのは決定しているはずだよ。それに私はむしろ、いつアディティーがそれを言い出すだろうなと思っていたけれど」
アパームとナパートが口々に言い募るのを聞いて、ディアウスは小さく肩を竦める。
「一応“ルドラがこれだけ足繁くアーディティア神殿に来ているのだから、私が龍宮殿に行ったことがないなんておかしい”なんて、もっともそうな大義名分をつけていたけれど ―― と、そこでディアウスは小さく笑う ―― あれはきっと、単純に龍宮殿を見てみたくて、いてもたってもいられないんじゃないかな。昔から遠出に行くって言ってふらっと出て行って、帰ってこないで心配されまくっていた人だから」
「・・・本当ですか?」
「アパームもナパートもまだ小さい頃の話だから、覚えていないんだろうね、でも本当だよ。
今でこそだいぶ落ち着いたけれど、アディティーの侍女は長く居着かないので有名だった。ありとあらゆる意味で、気苦労が絶えないから」
屈託なく笑いながら話すディアウスを見て、守護神である双子はそっと視線を交わし合う。
たおやかそうで美しい外面と相反するように、アーディティア神群を統べる女神は自由奔放を絵に描いたような女神であった。
そしてそんなアーディティアの奔放さに、侍女や侍従たちが頭を抱えて青くなったり赤くなったりしている光景は、アーディティア神殿に出入りする者たちにとって実によく見る光景なのだ。
今よりさらに奔放だったという無垢の女神が巻き起こす、今よりさらに厄介な騒動 ―― 双神たちには想像も出来なかった。
何となく神妙な顔になっている双子を面白そうに眺めながら、ディアウスは立ち上がる。
そして目的の薬草は全て集め終わったから、そろそろ帰ろう ―― そう言いかけたのと、後ろの茂みが不穏な音を立てて揺らめいたのは、同時だった。
さっとディアウスを背後に守るように立ち位置を変えて振り向いた双神たちの前に、ゆらりと黒い影が差す。
現れたのは黒い装束に身を包んだ四天王のひとり ―― ルドラ一族の領地の一端、南の朱雀殿を護るタパスであった。
預知者を憎悪しているという素振りを一族の他の誰よりも色濃く表に見せていたタパスが現れた瞬間、ディアウスたちの間に鋭い緊張が走る。
「 ―― っ、どうやって、ここに入ってきたんだ・・・!」
腰に下げた短剣を鞘走らせながら、アパームが叫んだ。
「別に、普通に歩いてきたが・・・ああ、まぁ、多少小石につまずきはしたかな?でも心配されるような手間はかかっていない」
双神が剣に手を伸ばしているのを知らない訳ではないだろうに特に何の反応も見せず、だらりと両手をおろしたままでタパスは答える。
その視線はただひたすら、真っ直ぐにディアウスに向けられていた。
どろりとした憎悪が滲む視線を受けたディアウスはふいに、奇妙な既視感のようなものを覚える。
いつかどこかで、自分はこの視線を受けたことがある ―― ディアウスがそう考えたとき再び空気が揺れ、タパスの後ろに英雄神インドラが姿を見せた。
瞬間、ディアウスは状況を忘れて両目を閉じ、深いため息をつく。
ここで英雄神が出てくることの意味を、分からないディアウスではもちろんなかった。
「・・・これが、ルドラ一族の答えなのですか」
と、ディアウスは静かに訊いた。
「選択肢は元から他にはなかったのだ」
と、インドラも静かに答えた。
「そうですか?本当に?」、何を言っても無駄だと知りつつも言わずにはおれず、ディアウスは更に言う、「あなた自身が本当に、そうお考えになっていると言うのですか?」
「英雄神である私を支配するのは一族の意志だ」、無感動にインドラは言う、「一族の意志を前にすれば、個人の意思など塵あくたも同然 ―― 我々はそういう一族だ」
「王の意志でさえも・・・?私を殺せば、ルドラ王は黙っていないでしょう」
「もしそうなら、我々は新たなルドラの王を拝することになる ―― それだけのことだ」
インドラのその答えを聞いたディアウスの胸に沸き起こったのは、強い安堵の思いだった。
インドラがここにこうして現れた時点で、ディアウスは既にルドラが“排除”されてしまっているのではないかと、恐怖にも似た強い危惧を覚えていたのだ。
それと同時に、ディアウスは神群のことや自分が統べる一族のことよりも先に、ルドラの身を案じている自分を苦々しく思った。
「・・・私を殺しても、問題の根本的な解決にはなりませんよ」
と、ディアウスは言った。
「それはそうだろうな。だが、とりあえず当座の解決にはなる」
と、インドラは言った。そしてすらりと、手にしていた長剣を抜いた。
「お逃げください、ディアウスさま・・・っ!」
と、アパームとナパートが、同時に叫んだ。