月に哭く

41 : 寄り添う影

 薄い黄金にけぶる陽の光のなか、窓辺に腰を下ろしたルドラは自らの膝あたりできつく組んだ両手を見下ろしていた。
 さらさらと水の流れる音だけが、辺りの沈黙を満たしてゆく。

 安寧を絵に描いたようなその空間で、ルドラの心は戦場にあった。
 刀が、矢が、槍が、槌が、身を裂き、えぐり、突き刺し、えぐられ、たたきつけられ、命の灯火が次々と寸断されてゆく様を、ルドラはありありと感じていた。
 特に今しがた、最後にルドラの精神に突き刺さった声は ――――

 もちろん全て、承知の上だった。
 恨まれるなどという言葉では到底表現し切れない、強い呪詛を一身に集めることになるであろうこと。
 その呪詛と ―― そう、何よりも同胞を裏切り、ルドラ王という唯一無二の導き手を失った一族の魂を終わらぬ深淵に落とし込んだことに対する、永遠に果てることのない悔恨を抱えて生きてゆかなくてはならないということ。
 全て分かった上で、ここに留まる決意をしたルドラだった。
 だが自分で分かっていることと、部下にはっきりと ―― この世の恨みつらみの感情を塗り込めたような声で断言されるのは、まさに天と地もの差があった。

 堪えきれずに重いため息をついたルドラが両手で顔を覆おうとした瞬間、ふいに、小さな物音がした。
 顔を覆いかけた手はそのまま、ルドラは弾かれたように顔を上げる。
 ルドラの視線の先、部屋の戸口にひっそりと立っていたのは、目をつくような白い装束に身を包んだディアウスだった。
 その姿を目にした刹那、ルドラは激しく混乱した。
 今朝の時点では、ディアウスの意識は未だ戻っていないと聞かされていたルドラであった。
 一体いつ意識を取り戻したのか、すぐに起き出して大丈夫なのか ―― 元来であれば当然浮かぶであろうそういった疑問は、不思議なことにその時のルドラの脳裏には浮かばなかった。
 浮かんだのはただ、最後に会った際に抱き寄せたディアウスの胸詰まるような細い温もりと、耳元で囁き交わした逢瀬の約束だ。
 状況を忘れて思わず小さく微笑んだルドラを、ディアウスは表情なく見つめていた。

「 ―― 英雄神の最期の言葉は、私にも聞こえました」
 ルドラの顔に浮かんでいた笑みが消えてしばらくしてから、ディアウスが呟くように言う。
 ルドラは黙ったまま、小さく何度か首を振った。
 頷いているのかそうでないのかよく分からないような、それはとても微妙な動きだった。
 そしてルドラはそのまま、あげていた手を再び膝の上で組んで面を伏せた。

 そんなルドラの様子を眺めていたディアウスがやがて、躊躇いがちに訊く、「一人でいたいですか、それとも誰か傍にいた方が良いですか」
「“誰か”というのがそなたのことならば」、と顔をあげずにルドラが答える、「一人でいるより、ずっといい」
 ルドラの答えを受けたディアウスは足音を立てずに部屋を横切り、やはり音もなくルドラの横に腰を下ろした。

 部屋には再び沈黙が訪れ、遠くで水が流れる音と思い出したように風が吹き抜けてゆく微かな音以外、何も聞こえなくなる。

 長い長い沈黙の果て、ルドラがゆっくりと身体を傾げ、ディアウスの肩に頭をもたせた。
 そしてやはり同じくらいの長い沈黙を経た後、ディアウスが首を曲げてルドラの頭部に頬を寄せる。

「・・・ごめんなさい」
 と、ディアウスは囁いた。
「・・・そなたが謝ることは何もない。何もかも、俺が一人で決めたことだ」
 と、ルドラが囁き返す。
「そうではありません ―― そうではないのです、ルドラ」
 と、ディアウスは言ったが、ルドラの名を呼んだ瞬間、ディアウスの声は激しく震えた。
 押さえようもない、という切羽詰まった感情の乱れを感じ取ったルドラは、身体を起こしてディアウスの顔をのぞき込む。
 ディアウスが泣いているのかと思ったルドラだったが、ディアウスは泣いてはいなかった。
 泣くどころか、ディアウスの双眸はどこまでも乾ききっている。
「あなたがどんなに辛い決断をしてここにいるのか、それがどういう結果を生み、あなたを苦しめることになるのか・・・身体が弱く、一族の王としての役割をほぼ果たせないこの身であっても、その重さは何もかも全部、分かっているのです ―― それなのに」
 と、そこでディアウスは激しくルドラから顔を背け、身体を震わせた。
「そのことで何よりも先に私の心を占めるのは、喜びの感情なのです。あなたが一族を守るよりもこの私を選んでくれた。私を守ることを選んでくれた ―― それを考えると私は ―― 嬉しいのです。嬉しくてたまらない。なんという酷い・・・酷い話でしょう ―― こんな酷いことを考える自分が、自分でも信じられません、私は・・・、私は・・・ ―――― 」

 今までのどんな時よりも、どんな預知夢を見た時よりも、こんな自分が嫌いです。

 つんのめるような口調で言ったディアウスはそこで、きつく握りしめた両の拳を顔に押しつけた。