誓い

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 顔を上げたそこには、不思議な光沢を帯びた白い服を纏った女性が立っていた。
 ゆっくりと近づいてきた彼女は、俺の足元で震える2匹の小動物の側に屈みこみ、何事かを呟く。
 声をかけられた2匹は数回身体を震わせ、我に返ったように木立の合間に飛び込んで姿を消した。

 それを確認してから、彼女は身体を起こす。
 纏っている服と同じ位、透き通るような白い肌とほっそりとした身体つきは、彼女が俺がいる一族の者ではない事を如実に物語っていた。

 そして何よりも驚かされたのは彼女の双眸 ―― 蒼い、信じられない位に深い蒼の瞳だった。
 その両目が、まっすぐに俺を見据える。

「あなたが乱暴な事をするから、驚いたのですよ。
 大きな一族を束ねる王ともあろう方が、ああいう無意味な殺傷をしようとするのは、間違った事です」
 と、言った。
「お前 ―― 預知者か・・・!」
 と、俺は叫んだ。

 龍宮殿に連れてこられて以来、色々な人物から様々な話を聞いた。
 先程聞いた一族の危機を救った黒龍の話も何度も聞かされたが、それと同様にうんざりする程に聞かされた話があった。
 それは天地両神一族という呪われた力を持つ忌まわしい一族に関する話だった。
 彼らは預知という名の呪いにも似た能力と、生き物の行動と運命を左右する気味の悪い力を持ち ―― その蒼い瞳で人々を意のままに操るのだと言う。

 その呪われた能力を持つ預知者が、今、俺の目の前にいるのだ。

「お前・・・俺を呪い殺しに来たのか・・・!」
 湧き上がる恐怖を必死で押し殺して、おれは問う。
 彼女はそんな俺をじっと見下ろしていたが、やがてつと視線を逸らして俺の右手を見下ろし、
「・・・怪我をしているわ・・・、ついていらっしゃい。治療をしてあげましょう」
 と、静かに言って踵を返した。

 俺は流石に、躊躇わずにはいられない。

 強い呪いの力を持つという彼女が、やはり恐ろしかった。
 だがすぐに、それよりももっと強い思いが、俺の胸に湧き起こってくる ―― 俺を売った両親と、そして今現在俺の周りにいる者たちに対する、暗く濁った思い。

 そう、俺は自分を売った親を憎んでいたが、それと同時に俺を買った奴らのこともまた、憎んでいた。

 一族の宝だと、何よりも崇めるべき存在だと言いながら、奴らは俺を“買った”のだ。
 俺はモノみたいに買われてここに連れて来られたのだ ―― その恨みの炎は、両親と別れて長い時がたった今でも、消えることなく俺の胸の中でくすぶり続けていた。

 忌むべき存在である預知者に俺が何かをされたら、一族の者たちはどういう顔をするだろう ―― 何にせよそれは一番効率のいい、これ以上にない痛快な仕返しになるように思えた。

 そう心を決めた俺は足早に彼女の後を追った。
 彼女はそんな俺を振り返って見て、くすりと小さく笑う。

 それはまるで、俺の思考を全て分かっているかのような微笑にも見えた。

 くねくねと曲がりくねった獣道を、どの位歩いただろう?
 恐らく相当な距離だったと思う。

 木々に覆い隠された彼女の隠れ家に辿り着いた時、俺はもう上手く口が利けない程に疲れ果て、喉の皮膚同士が貼りつくんじゃないかと思う位に喉が乾き切っていた。
 肩で息をしそうになっている俺とは対照的に涼しい顔をした彼女は、無言で木の椀に注いだお茶を出してくれる。
 待ってましたとばかりに飛び付くのも格好悪いと思ったが、そんな思いを隠し通すには喉が乾き過ぎていた。

 差し出された椀を奪うように手に取り一口飲んだ俺は、しかし ―― 口に入れたものを思わず吐き出しそうになってしまう。
 それは味覚を表すどんな言葉にも当て嵌まらないであろう、なんとも実に奇妙な味で ―― 目を白黒させる俺を見て、彼女は笑った。
「私の一族に、古くから伝わる薬草茶なのです。身体にいいのですよ」
「・・・だっ・・・だけどこれ・・・、へ、変な味・・・」
「慣れれば美味しく感じるようになります。
 けれど変な味だと思うものを無理して飲むのは、あなたの立場からすれば余りに無謀な行為と言えるでしょうね。
 虚勢と勇気は別物です。どちらも、用いるべき場面をきちんと見極めて使い分けねばなりません」
 そう言われて、俺は手にした椀を見下ろし、
「これ ―― 毒なのか?」
 と、思わず尋ねた。
 彼女は真面目な顔で、
「そうだとしたら、私もあなたと一緒に死ぬ事になりますね」
 と、答えた。
 確かに俺に出してくれたのと同じ水差しから注いだお茶を、彼女も飲んでいるのだ。

 彼女はそれから暫くの間、手にした椀を時々傾けながら何事かを考えるような表情をしていたが、やがて小さな音と共に椀を机に置き、立ち上がる。
 そして棚から出した大きな銀製の器に水を注ぎ、それに何か乾燥した植物のようなものを少量入れてから水面に手をかざして呪文のような、意味の分からない言葉を唱えた。
 すると手を触れていないのに銀盤に湛えられた水に波紋が生まれ、水はやがて、金色の光を帯びた液体に変化してゆく。

 瞬きもせずそれを見ていた俺の腕を彼女の手がとり、淡い金色の水で丁寧に腕の傷口を洗われる。
 銀盤に湛えられた水からは清々しく芳しい匂いが立ち上り ―― その匂いと彼女の手付きは、何故か俺を哀しい気分にさせた。

 何故そんな気分になるのか分からなかった。
 彼女の手付きは今までに誰にもそんな風に触れられた事がないような丁寧なものだったし、その手が水を掬いあげるたびに鼻腔をくすぐる芳香は、かぐだけで不思議と心が落ち着く気がするようないい匂いだったのに。

「これも、変わった匂いがする・・・」
 と、俺は言ってみた。
 伏せていた瞼をゆっくりと上げて、彼女は俺を見た。
 その蒼い瞳に見詰められるたび、心が奇妙にさざめいた。
「これは神酒(ソーマ)と言って、傷の治癒を早める効果があるのよ。滋養が高くて、飲むことも出来るの。本当の意味で万能な水なのです ―― 良い匂いでしょう?」
 うん、と俺が頷くと彼女は微笑み、銀盤の脇に置いた布で濡れた俺の腕を拭った。
「そんなに深い傷ではなかったから、これでもう大丈夫よ。でも、あまり手で触ったりしないようにね」
 うん、と俺は再び頷く。
 俺の返事を確認した彼女は使った銀盤や布などを片付け、
「もうそろそろ帰ったほうがいいわ。皆心配しているでしょうし・・・途中まで送って行ってあげましょう」
 と、言った。

 木々の向こうに小さく龍宮殿が見える、一際大きな木の横で彼女は立ち止まり、
「この道を真っ直ぐに歩いて行けば、宮殿に着くわ」
 と、細く白い腕を上げ、木々の裂け目のような道を指さした。
「私はここから先には行けないの」

 俺は彼女を見上げて、頷く。
 彼女も俺を見下ろして、頷く。

「良ければ、またいらっしゃい」、少し間をとってから、彼女が言った。
「・・・気が向いたら」、ぶっきらぼうに、俺は答えた。
「もちろん。気が向いたら、いつでもいらっしゃい」
 静かな声でそう言う彼女に無言で背を向けて、俺は指し示された道に向かいかけ ―― ふいに、彼女の名をまだ聞いていない事を思い出す。

 俺は慌てて振り返ったが、彼女の姿はもう、そこにはなかった。