誓い

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 今は激昂の余り物事を冷静に考えられなくなっている一族の者達が今後、ピトリの森のみならず、メーダの森の内部にも預知者が隠れ住んでいるのではないかと疑い出すのは時間の問題だった。
 もしメーダの森に隠れ住んでいる預知者がいるのであれば ―― いや、メーダの森だけでなく、マルト神群の領地内に隠れている者が他にもいるのであれば、何とかして助けたいと思った。
 彼らが捕らえられてしまったら最後、一族の怒りを今の自分の力では(と言うか、もしかすると今後どんなに時間が経ったとしても、預知者を表立って救う事など“ルドラ王”である俺には許されないのかもしれない)止められないのだ。
 そうなる前に、彼らに安全な場所まで避難してもらわなければならない。

 俺の話を聞いたナムチは、“ルドラ様がおっしゃらなければ、私1人ででもそれをするつもりでした”ときっぱりとした低い声で言った。
 お互いに危険すぎる行為を成そうとしているのは承知だった。
 だが、もう後には引けない、という思いを抱きあっているのを知っていた。

 これは一族を ―― 仲間を裏切る行動なのではなく、純粋に友人を救う為の行動なのだ。

 預知者を逃がす方法については色々と考えたのだが、結局、探索の許可を求められたらそれを許し、探索の範囲内に暮らす預知者を順に避難させる ―― という手段を取る事にした。
 単純な手ではあったが、こうしている間にも、一族の者がメーダの森に目を向けないとは限らない。ぐずぐずと躊躇している暇はなかった。

 真夜中にそっと龍宮殿を抜け出した俺とナムチは、夜の闇を抜けてサラスに会いに行った。
 当たり前のように起きて俺達を待っていたサラスは、俺の話を最後まで聞くと立ち上がり、暫くの間窓から外を見ていた。

 しかしそれ程長い間を置かずに振り返り、
「・・・そうね。今はそうした方が良いのでしょうね」
 と、言った。
「そうした方が良いのでしょうね、じゃない、サラス。絶対にそうしないと駄目だ。この森に手が入るのは時間の問題なんだ。
 神がもたらした預知を遂行するのは、なにもここでなくともいいじゃないか。他の、もっと安全な場所に逃げてくれ。お願いだ」
 俺がそう言うとサラスは、どこか奇妙な視線で俺を見詰めた。
「・・・すぐに発てるか」
 時を確かめる振りをしてその視線から逃れ、俺は尋ねる。
「私はまだ逃げるわけには行かないわ、ルドラ」
 断固とした言い方で、サラスが答えた。
 俺は驚いてサラスに視線を戻して聞き返す、「どうして?」
「私だけではなく、他の預知者も逃がすつもりなのでしょう。私が居場所を知っている預知者が全て避難する前に、私が逃げるわけにはいかないわ」
「しかし・・・」
 と言いかけたところで、俺は言葉を続けられなくなる。

 何よりも、誰よりも、俺が助けたいのはサラスなのだ。
 この森に留まる時間が長くなれば長くなるほど、見つけられる危険が増すのだから、真っ先に逃げて欲しいと思う。
 はっきり本心を明かしてしまうと、俺はサラスを助けられなければ他の預知者をいくら助けても意味はないとさえ考えていたのだ。

 俺のそんな思いを正確に推し量っていたのだろう、サラスは諭すような口調で、
「1人や2人が上手く逃げおおせたとしても、それは計画が成功したとは言えないのではなくて?1人でも多くの預知者を助けなければ」
 と、言った。
「それは勿論だ」
 と、俺は言う。
「全員を助けたいと思っているのは本当だ。だからサラス、預知者の所在を教えてくれればいい。そうすれば、後は俺達で・・・」
「それは駄目よ」
「・・・どうして?」
「あなたに仲間の居場所を話す事は出来ないから」
「それは・・・、俺が“ルドラ王”だからなのか」
 と、俺は尋ねる。
「 ―― そうね。そういう事になるかもしれない」
 と、サラスは答えた。
「今まで他に預知者が隠れ住んでいるって事を教えてくれなかったのも、そういう理由からだったのか?」
「・・・何故そんな事を教えなければならないの?」、とサラスはいつもより一段低い声で言った、「預知者がこの地に隠れ住んでいる、それ自体が危険極まりない事なのよ。それに更なる危険を追加するなんて、出来る筈がないわ」
「危険?」、と俺は噛み付くように繰り返す、「俺がサラスを、預知者を意図的に裏切る存在だと思っているのか」
「そうじゃないわ、ルドラ・・・」
「何がそうじゃないんだ、誤魔化すのはやめろよ!そういう事じゃないか!!」
「ルドラ様!!」
 もう見ていられない、と言った調子で、それまで黙って俺達のやりとりを聞いていたナムチが口を挟む。
「どうか落ち着かれて下さい。私達マルト神群が彼らにしてきた事を思えば、仕方のない事です。しかも今回はサラス様だけでなく、他の預知者の方々も助けようとしているのですから ―― 初対面である我々が突然出て行って信じてくれと言っても難しいとは思いませんか、それに・・・」
「俺は“ルドラ”だし」
 俺は少し躊躇ったナムチの言葉を継いで言い、唇を噛んで目を閉じる。

「・・・恐れながらルドラ様、全ての人々に最初から好かれようというのは無理です。今はただ、ご自分の出来る事を、出来る範囲内でなされば宜しいのではないでしょうか?
 いつの日かそれを見ていた者の中から、ルドラ様のお心を正当に理解する者も出て来るに違いありません」
「・・・そうだといいけどな」
 俺は言って目を開け、真剣な面差しで俺を見るナムチを見た。
「お前達が言っている事は分かった。そもそも、この森に探索の手が入った後に俺がこの辺りを行き来すると目立つだろうし・・・。
 そうだな、探索が開始される日取りが決定したら、ナムチを通じてサラスに連絡させる事にしよう。探索範囲も決定次第、同じ様に知らせる。ナムチには危険な役割を担ってもらう事になるが、頼む。・・・それでいいな」

 最後、確認をとるように2人を交互に見ると、彼らは黙って頷いた。

「それと・・・、サラス、身に危険が及びそうだと判断したらその時は他人の事より、まず自分が助かる事を考えて欲しい。俺が望むのはそれだけだ。
 ・・・・・・それじゃあ・・・ ―― 」
 と、言いざま部屋を後にしようとした俺は ―― このまま話し続けるといらぬ事まで口走ってしまいそうで怖かったのだ ―― 腕を掴まれて振り返る。

「ルドラ・・・!」
 縋るように俺の腕を掴んだサラスが、激しく俺の名を呼んだ。
「ねぇ、誤解しないで欲しいの。あなたを信じていないわけじゃないのよ」
「もういい・・・」
「お願い、聞いてちょうだい。あなたにはどうしても、分かってもらわなくてはならないの。本当の意味で、預知者というものの本質を理解してもらわなければならないの、そうしなければ・・・ ―― 」
「もういいって、言ってるじゃないか!」
 掴まれた腕はそのままに、俺は叫ぶ。
「理解って何だよ!預知者は ―― 結局はサラスだって、どうあっても俺を本当に受け入れる事は出来ていないんじゃないか!今目の前にある真実を見れずに、過去にこだわってるのはお前達預知者の方じゃないか!
 互いに同じだけ歩み寄る姿勢がなければ、どうして互いを理解出来るっていうんだ!」
「見える真実が多い分、真実を掴みきれなくなってしまうのが預知者なの」
 と、サラスは言った。
「全ての預知者があなたを信じないと言っても、私はあなたを信じる。あなたにも信じて欲しい ―― 矛盾した事を言っているのは重々承知よ。でもルドラ、あなたにはルドラ王として、預知者を理解して貰わなくてはならないの。あなた個人としてではなく、マルト神群を率いてゆくルドラの王として」
「何を言っているのか分からない、サラス」
「いつか分かる日が来るわ」、とサラスは言った、「でもあなたはその“いつかの日”の為に成長しなければならない。辛い事もあるでしょう、苦しい事も、もう全てを捨て去りたいと思う事もあるかもしれない。けれどそれを乗り越えて行かなくては ―― “ルドラ王”として、人間として、ルドラ、あなたには成長して貰わなくてはならないの、何故なら・・・」
「やめろ!!」
 と、叫ぶのと同時に俺は荒々しく腕を振り、腕を掴むサラスの手を振り解いた。
 拍子に机の上に置いてあった器のうち幾つかが、派手な音をたてて床に転がった。

「ルドラ・・・」
「ルドラ様!」

「ルドラルドラって言うな!俺はルドラなんて知らない!好きでこんな所にいるんじゃない、好きで王になったんじゃない!」

 それは、言っても仕方がないとずっと押さえ込んでいた想いだった ―― そう、あの日親に売られて龍宮殿に連れてこられた瞬間から、必死で口に出してしまわないようにと努力し続けてきた言葉だった。
 どんなに願った所で目や髪の色彩が変わるわけではないのだから、言ってみた所でどうにもならない事なのだ。
 が、その時はもう押さえておけなかった。黙っていられなかった。

 俺はこういう気持ちを声にしなくても、サラスが俺の想いを分かってくれているだろうと思っていたのだ。
 そのサラスが俺を信用しきれていなかったのだろう事も、そしてそれを指摘した俺に意味の分からない話をするのも、どこか誤魔化され、馬鹿にされている気がして、やりきれなかった。

 更に暴走しそうになるのを深い呼吸を繰り返して抑えた俺は、自分の足元に視線を落としたまま口を開く。

「とにかく・・・とにかく、サラスも、他の預知者の人達も、早くこの土地から離れて欲しい。俺はもう二度と、人を殺す書類に署名なんかしたくない・・・」

 力なくそう言った俺に、サラスもナムチも、何も言おうとはしなかった。