誓い

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 俺がナムチを通じて探索の範囲を事前に預知者達に知らせているのだから当然ではあるが、メーダの森に入った探索の手が成果を上げることはなかった。

 しかし何もかもが上手い具合に運んだ訳ではない。
 預知者達の隠しきれなかった生活の跡が発見されたりもしたし、数時間逃げるのが遅れれば確実に数人の預知者が囚われてしまっただろう。という危機的状況も少なくなかった。

 何故なら“今、この地を離れるわけにはいかない。”と頑なに避難を拒む者がいたのだ。その選択が明らかに自らの命を滅ぼすものだと、分かりきっているというのに ―― 全く、意味が分からない。
 俺は預知者という存在に対して恐怖心や、気味が悪いというような感情を抱いた事はなかったが、やはり彼らには他の人間とは決定的に違う、理解しがたい部分があるのは確かだった。

 サラスと共に預知者を逃がす手伝いをしていたナムチは、何度かサラス以外の預知者と話をする機会があったらしいが、彼らの中には、
 我々は“神”から下ろされた預知を遂行するためにここへ来たのだから、途中でそれを投げ出し、逃げるわけにはいかない。そういう任務を担って大地のあちこちに暮らす預知者を捕らえ殺そうとするルドラ一族が悪なのであって、その悪しき行動を改めるべきはルドラ一族の方である。
 我々は逃げなければならないような事は一切していない。
 ―― という強い信念を口にする者が多くいるらしいのだ。

 彼らの主張が全くの間違いであるとは言わないが、やはりもう少し臨機応変に対応してもいいのではないかと思ってしまう。
 そして俺はつくづくと、彼らの言う“神”という存在 ―― それはこの地の一切を創造したという“一切神デヴァーハ”を指しているのだろうか ―― を忌々しいものであると同時に、とんでもない冷徹な存在であると思わずにはいられない。

 だってそうじゃないか?
 全ての状況を把握できる高い場所から俺達を見下ろしているのならば、何故今この時にこの地で何事かをやり遂げろなどという命令を下すのだ。
 しかも命を捨ててでも“預知”とやらを完遂させろなどという無茶な事を要求する(そこまでは言っていないのだろうが、結果的には同じ事だ)存在というのは、一体どういう神経の持ち主なのだ。
“神”とはもっと、地上で蠢く人々を慈しみ、救う存在であるべきではないのか?彼らをよりよい世界に導く存在であるべきではないのか?
 もしそうでないのならば、そんなのは“神”などといって崇め奉る存在などではないし、その存在の意義さえ怪しいと俺は思った。
 その存在を認めるとするならば、それはとてつもなく意地悪で性格の悪い存在であるとしか考えられない。

 ―― などと憤りたくなる訳だが、俺がこうして龍宮殿で1人やきもきしたところで、事態は良くも悪くもならない。
 もっと簡単に、素早く避難が完了するだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみると、探索と避難の間に余裕が生まれることは殆どなかった。
 探索の手が入る日時と避難完了の報告が入る間隔は徐々に狭くなり、探索の当日になってもその範囲内に暮らす預知者がきちんと逃げ終えたのかそうでないのか分からないまま、探索の許可を与えざるを得ない事さえあった。
 そんな日は“今日こそ預知者を捕らえ、意気揚々と部下達が帰ってくるのではないだろうか?”などと想像し、彼らの帰りが少しでも遅くなれば良いと願い ―― また、その次の瞬間には“なんにせよ、正確な状況が知りたい”と考え(嫌な色をした不安に形作られた可能性について考えているよりは、真実を知った方が楽なように思えた)彼らが早く城に戻って来ないだろうかという相反する思いに囚われるのだった。

 とにかく一刻も早く全てが終ればいいと ―― 願わくば1人の犠牲も払わずにと ―― どんなに願ったか知れない。 “神”という存在を信じないとか、意義を見出せないなどと思いつつも俺は祈った。

 何に対して祈っているのか、自分でも分からないままに。

「何だって・・・」

 メーダの森に探索の手が入ってから10日ばかりの時が過ぎた頃だっただろうか ―― 夜半、俺が教えた代々のルドラ王のみが知る秘密の抜け道を通り、姿を現したナムチの報告を聞いた俺は耳を疑った。

「サラスがまだ逃げていない、だって・・・?」
「はい・・・、何度も説得を試みたのですが、まだここでしなければならない事があるからと ―― 頑として聞き入れて頂けず・・・」
「馬鹿な・・・!そういう信念を持つ仲間を一人一人説得していたのはサラスじゃないか。今更自分がそんな ―― 日が昇るのと同時に、あの一帯には捜索の手が入るんだぞ。あと数刻もない」
 と、俺が言うと跪いたナムチは、
「それまでには片を付けて逃げるとは、おっしゃっておられましたが・・・」
 と答え、うつむいた。

 サラスの言葉が真実ではないのではと疑う気配と、逃げたとしても掴まる可能性が高いだろうという予感の色を滲ませたナムチの声を聞いて、俺は強く唇を噛む。
 しかし窓の外がまだ白む気配がないのを確認してすぐに、心を決める。

「分かった。俺が今から行って、サラスを説得してくる」
「いけません!!」
 弾かれたようにナムチが顔を上げて、小さく叫ぶ。
「あの近くには既に相当数、一族の者の気配がありました。私が気取られずにあそこを抜け出して来られたのは奇跡に近い事です」
「だからこそ、行かなければ。何としてもサラスには逃げてもらいたい ―― その為にこれまでやって来たんだ。お前だってそうだろう?今更そんな意味の分からない理不尽な預知だか命令だかに、サラスを殺されてなるものか」
「しかしどんなに言った所で、サラス様は聞く耳を持たれないと思います・・・。私にも、もうここへは来てはいけないと・・・、今までの事を感謝するとおっしゃって、これを・・・」
 と、言ってナムチが懐から取り出したものを見た俺は、思わず唸り声を上げてしまう。

 それはサラスがいつも肌身はなさず身につけていた、小さな石だった。
 陽の光の当り方や強さによって色が変わるとても奇妙な、そしてあり得ない程に美しい石で ―― サラスは俺が請う度にそれを見せてくれ、その石が持つ意味や伝承を繰り返し話して聞かせてくれた。

 その石に纏わる話は、殆どがさっぱり意味の分からない言葉を使った話でちんぷんかんぷんだったし、はっきり言ってしまえば、俺にとってはそんな意味や伝承などはどうでも良かった。
 美しいものに意味などなく、ただ見るものに何らかの感情を与えられるだけで素晴らしいじゃないかと思えたのだ。

 そんな訳でサラスが言っていた石の歴史やらについては右の耳から左の耳に抜けるといった感じで全く覚えていなかったのだが、それがサラスにとってとても重要なものであるという事は理解していた。
 それをナムチに託すと言うこと、それが意味することとは・・・ ――――

「ルドラ様・・・お待ちを・・・!」
 無言で身体の向きを変え、暖炉の奥にある秘密の通路の入り口から外に出ようとした俺を、ナムチが必死の形相で止める。
「神群を統べる王であられるルドラ様が、預知者を庇っていたなどという事実が明るみに出たらどうなるか・・・どんな混乱が起こるか、お考え下さい・・・!
 恐れながら、未だ力の均衡を得ないルドラ様の内なるお力がその混乱に触発されて暴走したら ―― 」
「しかしナムチ、自らが大切に思うものを救えない王が、一族を、引いては神群を守れると思うか?」
「では・・・では、私が再び、王の気持ちをサラス様に伝えに行って参ります。ルドラ様のこのご様子をお伝えすれば、サラス様も考え直して下さるかも知れない」
「いや、サラスの言う通り、お前はもうこの件から手を引け」
「何故です」、とナムチはさっと表情を強張らせて言った、「確かに1度でサラス様を説得出来なかった事は申し訳ないと思います、ですが・・・どうかルドラ様、もう一度だけ機会を・・・」
「違う、そうではない。ナムチ」
 と、俺は首を横に振る。
「今日まで散々お前に危ない事をさせている間、気が気ではなかった。お前には家族がいるのだろう。もう後は、そちらを守る事を考えて欲しいんだ」

 俺がそう言うと、ナムチは俺を凝視したまま、息を呑むように黙った。

「・・・俺はこれまで、家族という集まりの持つ意味が良く分からなかったのだが ―― 今では何となく想像が出来るようになった気がするんだ。俺がサラスやナムチを大事に思い、助けたいと、生きていて欲しいと願う、そのような想いを凝縮して互いに抱き合う人々の集まりが、もしかしたら家族という言葉でくくられる、人と人との集合体であるのかもしれないと」
「・・・ルドラ様・・・」
「そうだとしたらナムチ、お前達だけを危険に晒し、俺が1人ここでのうのうと吉報を待つばかりというのはおかしいではないか」
 俺は言い、ナムチの両上腕部を掴んで彼を立たせた。
「身に余る畏れ多いお言葉です、王」、とナムチは言った、「しかしそのお言葉を聞かせて頂いたからこそルドラ様、サラス様の所にはこの私が参ります」
「ナムチ、それは」
「いいえ、ルドラ様」
 きっぱりとした言い方でナムチは俺の言葉を遮った。
「探索のやり方を ―― そのルートや人の動き方は、私の方が知っています。私の方が、サラス様を助けられる可能性が高い。そうではありませんか?
 ですから、私が行って参ります」
 そう言ったナムチは、脱いだマントのフードを再び被ろうとした。
 俺は一瞬躊躇ってから彼の手を止め、椅子にかけてあった自分のマントを差し出す。
「このマントの方が、黒が濃くて闇に溶け易い。こっちに替えて行け」
「しかし、このマントを私が着ているのを見咎められたら・・・」
「帰ってくるのだろう」、と俺は言った、「お前はサラスを逃がして、ここへ帰ってくるのだろう。ならば見咎められる心配などしなくてもいいじゃないか。帰ってきたら、返してもらう。無論。気に入っているんだ」
 俺が笑うと、ナムチも笑った。
 そして軽く頭を下げ、俺の手からマントを受け取った。
「無事に行って、帰って来い。いいな。命令だ」
 暖炉の中にある小さな隠し扉に入ろうとするナムチに声をかけると、ナムチは少し振り向いて微かに頷き、秘密の通路の闇の中にその身を投じた。

 1名の預知者と、それを逃そうとしたナムチが探索者たちの手によって捕らえられたという一報が俺に告げられたのは、夜があけてすぐの事だった・・・ ――