誓い

:: 8 ::

 ナムチの処刑は、予定通りその日の早朝に執行された。
 ナムチは俺を一切見ようとしなかったが、俺は彼の瞳が永久に閉ざされ、その顔から生気が消えうせるまで彼から目を逸らさなかった。

 彼が事切れたのと同時に誰かが、汚らわしく呪われた預知者と関わった者は、今後いかなる理由があっても、こうして王の御名において罰せられる事だろう ―― と叫んだ。
 死してなお、地獄の猛火に焼かれ、苦しみ続けるだろうとも。

 それを聞いた俺は堪えきれず、喉を逸らして笑いだしてしまう。
 目に映る何もかもが滑稽じみていた。可笑しくて、可笑しすぎて、苦しくてのた打ち回りたくなる程だった。

 俺がいつまでも狂ったように笑い続けているので流石に心配になったのか、周りの戦神(いくさがみ)達が顔を見合わせているのが分かったが、止められなかった。

 長い事かけて何とか笑いをおさめた俺は言う、「無駄口を叩いていないで、早くそれを片付けろ」
 そして俺は立ち上がり、その場を後にする。

 ナムチであったものがある場所に安寧の抜け殻のようなものが存在し、俺が歩いてゆく先に地獄が広がっていた ―― いや、違う。
 これから、俺がこの手で、この国を地獄のようにするのだ。
 誰も、決して、どんな神がどんな預知を下そうと、入ってくるのを躊躇うような国を作るのだ。

 自室に戻って扉を閉ざし、寝室への扉を開けると、そこには俺が自分で集めてきた植物が数日前と変わらずに青々と茂っていた。
 明日、部屋中に紅い布を ―― 血に濡れたような緋色の布を掛けさせようと思った。
 今後どんなに時が経っても今日の決心が今日のままであるように、捨てたものと選んだものの象徴を毎日同時に見て、自分を律して行かなければ。

 ―― と、考えた瞬間、足がもつれた。
 土が手に、木の幹と葉が顔に触れる。

 頬に触れる幹や俺の身体を包み込むように茂る木の葉は不思議と温かく、その温かさは彼らの手指のぬくもりを思い起こさせた。
 泣く事は許されないと、痛みを覚えるほどきつく頬を木の幹に押し付け、俺は強く強く、目を閉じた。

 そして、俺は夢を見る。

 やけに質感のある夢で、現実のようだったが ―― 多分、それは夢だ。

 夢でしかありえない。

 ―――― 多分。

 小さく肩を揺すられて、目を覚ました。

 眠る積りはなかったのに、いつの間に眠ってしまったのだろう・・・。

 そう思いながら顔を上げた俺は、肩に手を置いている存在が誰かを知り、仰天してその名を叫んだ。

「サラス!」

「ルドラ」
 と、俺の名を呼び返し、サラスは微かに笑った。
 その笑顔を目にした俺は、今まで腹の奥底に隠して抑え込んでいた本心が暴れ出すのを、これ以上抑えていられなくなる。
「ごめんサラス、ごめん・・・!助けたかったんだ、お前と・・・そしてナムチだけは、生きていて欲しかった!例え二度と会えなくても、どこかで生きて ―― 生きていて欲しかった、そうする積りだったんだよ、ごめん・・・、ごめんな・・・!」
 と、叫んだ俺を、サラスはそっと抱き締めるようにした。
「いいのよ、ルドラ。分かっているわ、あなたの気持ちは」
「気持ちなんかどうあっても、そんなの意味なんかない・・・!結果が全てじゃないか、そうだろう!?俺は・・・俺はお前を、この手で・・・っ」
「ルドラ」
 まくしたてる俺の言葉を遮って、サラスが言った。
「時間がないのよ、いいこと?落ち着いて、私の話をよく聞いてちょうだい。謝らなければならないのは、私の方なの」
「・・・、・・・どうして・・・?」
 と、俺は尋ねる。
「私はこうなる事を、予め預知していたのだから」
 と、サラスは答える。

 そのサラスの言葉を聞いた俺は ―― 黙って、サラスを見ていた。

「そうよ」、とサラスは俺の声にならない質問に答えて頷く、「私は、こうなる事を知っていたの」
「・・・な・・・、なにを・・・何を言っているのか、分からない・・・」
「私はあなたに・・・ルドラ王に殺されるために、ここへ来たのよ」
 噛んで含めるようなゆっくりとした口調で、サラスは言った。

 俺はなおも茫然として、彼女を見ていた。
 が、やがてじわじわと彼女の言っている言葉の意味が心に染みてくる。

「何だよそれ」、と言って俺は立ち上がる、「なんなんだよ、それ!!」
「ルドラ、落ち着いて ―― 」
「これが落ち着いていられるか!ここにいれば俺に殺されると知っていたなら、逃げれば良かったじゃないか!いや、最初からこんな所に来なければ良かったんだ!どうして・・・!!」
「それが私の運命であり ―― 私が最後に全うすべき預知だったからよ」
「・・・は、また預知か!預知預知ってお前らは、二言目にはそれだ!なぁ、預知が何だって言うんだ?そんなの知ったこっちゃないって、どうしてそう考えないんだ!お前ら預知者は何もかも、一から十までその・・・神だか何だかが適当に言ってくる、意味の分からない命令に盲従するのか?自分の生き死にに関わる事まで?おかしいよ・・・!!」

 叫ぶ俺を見上げていたサラスはやがてゆっくりと立ち上がり、言う。
「それが、預知者の定めなの」
「ふざけんな、じゃあ俺のこの気持ちはどうなる!お前と一緒に捕らえられて死んだ ―― 俺が処刑させたナムチの事は!?」
「ナムチの死も、見えていたわ」
 と、サラスは低く呟いた。
 彼女の平坦な中にも染み入るような哀しさを湛えた声を聞き、俺は言葉を失う。
「私はそれを変えようとしたのよ。もう決して私に近付いてはいけないと言い含めて龍宮殿に帰し、彼だけは助けられないかと ―― これはいけないことなの。見た預知を、当の預知者が変えようとする行為は、天地両神一族にとっては一番の禁忌なのよ。分かっていたけれど、努力せずにいられなかった。でも・・・同じね。結果はどうしても、同じになってしまうの。それが預知というものなの」
「そんな・・・それなら、どうして預知なんてあるんだ・・・未来をより良い形に変えられないのなら・・・変えてはいけないと言うなら・・・、そんなの、見る価値ないじゃないか・・・ただお前達だけそうして辛い預知を見て、一人で耐えて ―― 」
 と、俺はそこまで言ったが、後は込み上げてくる嗚咽で言葉にならない。
 サラスはそんな俺の頬に手を当て、深く俺の目を覗き込む。
「あなたに分かって欲しいのよ、ルドラ ―― 預知者というものは、見た預知がただの幻や夢であるようにと祈り、影で泣く事しか出来ない存在であるという事を。
 この能力を持つことに何の意味があるのか、それは私にも分からない・・・でも・・・、でもねルドラ。確かに自分が死ぬ預知を見るのは怖かったけれど、私は ―― よく聞いてちょうだい、私は自分の事に関して言えば、この預知を現実に出来た事を、きちんとやり遂げられた事を、後悔してはいないのよ」
「・・・そんなのは嘘だ」
「嘘じゃないわ。あの方の為ならば、私の命など幾度投げ出したとて、惜しくなどないもの」
「“あの方”・・・?」
 と、俺は聞き返す。
 サラスは深く頷いた。
「そう ―― 私などよりもっと強く、悲しい能力をお持ちのかの御方が救われる、その礎になれるのであれば・・・この身を八つ裂きにされるとしても、悔いたりなど・・・」

 そう言ったサラスの瞳の色が、すうっと濃くなってゆく。
 表情が変わり、視線の深みが増し ―― 彼女の暖かなオーラががらりとその雰囲気を変えてゆらゆらと揺らめく。

 全ての変化はほんの小さなものだった。しかしその変化は背筋にぞくりと凍りつくような感覚を生じさせた。
 奥歯が噛み合わなくなりそうになるのを堪え、俺は頭の片隅でこれこそが預知が降りている預知者の姿なのかもしれないと感じていた。

 やがて、異様な気配を纏わせたサラスの唇が、言葉を紡ぎ始める。

「決して逃げずに真実を ―― 真実だけをより分けて見れるようになりなさい。
 誰よりも強く、揺ぎ無い精神を・・・力だけでなく、精神の強さを、あなたは自分で育てなければならない。
 そうでなければ決して支えられない ―― 助けられない・・・」

 サラスは言い、目を伏せた。
 再び上げられた視線は、いつものサラスのものだった。

「お願いルドラ。どうかあの方を救って差し上げて。私はその為に ―― 預知者に課せられたさだめをあなたに本当の意味で理解してもらうためにここへ来て、死んでゆく事を選んだのよ」

「冗談じゃ・・・冗談じゃない・・・」
 呻くように、俺は呟く。
「・・・ルドラ・・・」
「そんな、会ったこともない“あの方”の事なんか知るか!俺が助けたかったのは、サラス、お前なのに・・・!!」
「分かっているわ。でも ―― お願い・・・あの方に会えば、一目見れば、あなたも、きっと・・・あの方は・・・ ―――― 」
「・・・サラス・・・?」
 目の前のサラスの姿が、まるで空気に溶けるように薄らいでゆくのを見て、俺は慌てて彼女の腕に手を伸ばす。
「待ってくれ、もう少し・・・サラス・・・、サラス・・・!!」

 と、叫んだところで ―― はっと俺は、“目を開いた”。

 俺は寝室に続く通路の中央でただ一人、サラスの腕を掴むために手を伸ばした状態のまま立っていた。

 そう、それは多分、夢だったのだ。

 夢でしかありえない ―― だって俺は、この手で彼女を殺したのだ。
 彼女の血を、全身に浴びたのだ。
 その彼女が、俺の前に姿を現す筈はないのだ。

 だからこれは、夢だったに違いない、多分・・・・・・ ―― 。

 ・・・しかし ―― それが夢だという確証は、どこにもないのだ。

 その日一日、どんなに声をかけられても、俺は外に出なかった。

 血を見たことで浮き足立ったような状態にいる戦神(いくさがみ)達を見たくなかったし、そんな一族の者を見て平静でいられる自信は、まだなかった。
 幾度かインドラや他の戦神(いくさがみ)達が扉の外から俺を呼んでいたが、それも夕方を過ぎると諦めたようにやんだ。

 深夜を過ぎ、辺りが静まり返っても気持ちが落ち着かず ―― 強烈過ぎる夢を見たせいでグラグラする頭を冷やす目的で、俺はそっと自室を抜け出した。
 目的もなく歩いてゆくうちに、足は自然とナムチが処刑された処刑場に向いた。

 勿論この時間、そんな場所に人がいるとは思わなかったが予想に反して、その場所には先客がいた。