・・・あの馬鹿な男のせいで、悪酔いした。

 深夜近い新宿を歩きながら、水無瀬は力なく頭を横に振る。
 祐二という男に煽られてオーバー・ペースでトレーニングした後だというのに、競い合うように酒を飲んでしまったので、当然といえば当然の結果だった。

 羽目を外しやすい学生時代でも、水無瀬はこんな馬鹿げた飲み方をしたことはない。
 軽い自己嫌悪に陥りつつ、とにかく早く家に帰って眠ってしまおう。と足を早めたところで、水無瀬は突っかかるように立ち止まった。

 新宿の路地裏、雑居ビルと雑居ビルの狭間に例の青年 ―― 祐二という名の青年が、座り込んでいたのだ。
 水無瀬よりも一足先に店を出た彼の足取りは確かに少々危うかったが、酔い潰れる程には見えなかった。
 歩いているうちに、酔いが回ったのかもしれない。

 見なかったことにしたかったが最近夜はひどく冷え込む上、午前中に降っていた雨が先ほどから再びぽつぽつと空から落ちてきている。
 曲がりなりにも一緒に飲んだ夜に凍死などされては、後味が悪すぎる。
 仕方なく、水無瀬は座り込んでいる祐二へ足を向けた。

「おい、起きろ」
 そう言って祐二の足を軽く蹴ると、祐二は顔を上げて水無瀬を見、
「・・・アンタのせいで飲みすぎた・・・」
 と、だるそうに呟いた。
「言いがかりもいいところだな。ガキが」
「ガキ呼ばわりすんな」
「32の俺からみたら、お前はガキだ」
 と、店での祐二の言葉を水無瀬が逆に繰り返すと、祐二は顔をしかめた。
「ち。つくづく嫌な野郎だな」
「悪態をつく余裕があるならとっとと立って家に帰れ」
 水無瀬が先程より更に強く祐二の足を蹴ると、祐二はぶつぶつ言いながらも立ち上がり ―― 途端によろけた。
 反射的に全身でそれを支えた水無瀬は、祐二と抱き合うような形になってしまう。

「なぁ・・・、アンタ、家どこ?」
 耳元で囁かれた声に微妙にどきりとしてしまったのを忌々しく感じながら ―― 恋人と別れて数年、男とこんなに接近するのは久々だったのだ ―― 水無瀬はぶっきらぼうに答える。
「新宿」
「新宿ってここじゃねぇか。じゃあ泊めてくれ、帰るの面倒くせぇ」
「・・・ふ・・・ざけるな・・・」
「ケチケチすんなよ」
「それが人にものを頼む態度か・・・っ、も、離せ・・・!」

 なんてタチの悪い酔っぱらいなんだ、とか、
 どこまで図々しいんだ、とか、
 やはり放って帰ってしまえば良かった、とか、 ――――

 そう思うのは本当だったが反面、

 服越しに感じるしなやかに鍛えられた筋肉とか、
 荒々しく乱れた熱い吐息とか、
 今にも首筋や耳元に触れそうな唇の気配とか、 ――――

 そういうものに、どうしようもなく身体が昂ってゆくのも本当だった。

 自分も相当酔っているのだ、と水無瀬は脳裏の隅で考えた。
 だが頭では出来る理解も、暴走する身体を止めてはくれなかった。

 もう、どうでもいいか・・・。

 そう考えたのが、その夜の水無瀬が覚えている、最後の理性のひとひらだった。

 次の日も朝からしとしとと雨が降っていた。
 湿度の高い空気が、部屋の重苦しい雰囲気を助長している。
 双方酔ってはいたが記憶を無くす程でもなく、起きた瞬間から非常に気まずかった。

「・・・あー、昨日のことは別に、特に意味はないから ―― お互い、酔ってたし」
 と、祐二がぼそぼそと言った。
「当たり前だ」
 と、水無瀬は突き返すように言った。
「大体お前はマコト狙いだろう」
「ん?なんで知ってんだ?」
「そんなの見ていれば分かる。でもマコトはマスターのことが好きなんだぞ、知らないのか?」
「知ってるよ。あの店の客は全員知ってんだろ。気付いてないのはマスターくらいだ」
「それでも好きなのか」
「マスターはずっと、幼なじみの弟に片思いしてるんだよ ―― と祐二はボロボロのブルー・ジーンズのヒップ・ポケットから取り出した煙草に火をつけた ―― で、最近そいつが、徐々にマスターになびいてきてる。ノーマルだったんだけど、長年口説き続けたマスターの熱意にほだされかかってるっていうか」
「・・・つまりそっちが上手くいくのを見計らって、弱みにつけ込もうという腹か?」
「なんか悪ぃのか?恋愛に駆け引きはつきものだろ。ま、アンタにこんなこと言っても、分かんねぇだろうけど」
 と、祐二は水無瀬が無言で差し出した灰皿に、音を立てて灰を落として言った。
 どこか人を馬鹿にしたようなその口調に、水無瀬は顔をしかめる。
「何だその言い方は」
「だってアンタ、見込みのない恋愛なんか絶対しないだろ。何より自己を守りたい感じ。店じゃちやほやされてたけど、実は恋愛経験殆どないんじゃね?」
「・・・・・・。」
「あ、図星」
「 ―― うるさい。もう帰れ」
「言われなくても帰るよ。午後から仕事だし」
 と、祐二はにやりと右頬だけで笑って答え、煙草を消して立ち上がる。
「仕事?そういえば店で、肉体労働をしているとか言ってたな。日雇いとかなのか?」
 格好からして工事現場の警備員とかだろうか、と水無瀬は想像した。
 玄関に向かいかけていた祐二は鼻の頭に皺をよせて振り返り、呆れたように、
「何で突然、日雇い限定で想像してんだよ。アンタ、スーツ着てない労働者はみんなまともな職に就いてないと思ってるだろ。その視野狭窄気味なところ、改めた方がいいぜ。聞いててマジ腹立つ」
 と、吐き捨てるように言って勢いよくドアを開け、挨拶もなく部屋を出ていった。