水無瀬と別れた祐二は、その足で渋谷の繁華街を抜けたところにあるカフェに向かった。
 店の一番奥の席に、マコトはいた。

「ごめんね、祐二さん。呼び出しちゃって」
 黙って目の前に座った祐二を見て、マコトは憂鬱そうに言った。
 その両目は、うっすらと赤くなっている。
「 ―― いいよ、別に」
 と、祐二は答え、やってきたウェイターにコーヒーを注文した。

「・・・で、失恋したって?」
「んー・・・、失恋より酷いよ。もう、めちゃくちゃ。
 貴さんとうまく行ったとか嬉しそうに報告されて・・・思わず口走っちゃったんだ」
「・・・好きだって?」
「ん」
 と、マコトは頷いて苦笑する。
「これまでずっと黙ってたっていうのに、最後の最後で・・・最低だよね、俺。
 こういう時がくるだろうってある程度覚悟してたし、仕方ないって思ってた筈なのに、いざとなると頭がぐちゃぐちゃになっちゃって・・・、どうして分かってくれないんだよ、この鈍感!とか思って、ついキレちゃって」
「・・・そっか・・・、マスターは何て?」
「何も言わなかったよ。言えないよね、そりゃあ・・・、俺がマスターを好きだったなんて、思ってもみなかっただろうし」
 と、その後もマコトはタガが外れたように話し続けた。

 普段のマコトは饒舌な質ではない。
 これまで相談に乗っていた時もぽつぽつと悩みを話す程度で、それだけにマコトの傷心の度合いが伺えた。
 そして ―― そう、そして、時折視線をあげて祐二を見るマコトの泣きはらした双眸には、もたれ掛からせてほしいというような危うい光が見え隠れしていた。
 恐らく今、マコトはありとあらゆる意味で ―― 肉体的にも精神的にも ―― 慰めて貰いたがっている。
 それが祐二には、手に取るように分かった。

 この1年余りずっとマコトの悩みを聞いてきた中で、祐二はマコトへの下心を隠そうとはしてこなかった。
 表だって口にすることまではしなかったが、マコトは全てを知っていて、祐二もマコトが知っていることを知っていた。

 傍から見て、見る人によっては、マコトを狡いと言うかもしれない。祐二をしたたかだと言うかもしれない。
 だが祐二自身、それで構わないと思っていた。
 むろん、出会った瞬間から互いに惹かれ合って、同じ瞬間に恋に落ちるのが一番面倒のない、綺麗な形なのは分かる。
 しかしそんな運命的な出会いがそうそういつも転がっている訳ではないし、物事の始まりに狡さや打算や ―― はたまた自棄になっている部分があったとしても、そこから派生した関係が最終的に愛情を伴う関係になるのなら、それはそれでいいじゃないか、と。

 だからずっと、待っていたのだ。
 マコトのこの心の揺れを、待っていた。

 最初は身体だけでいいと思っていた。
 徐々に忘れさせて、やがて心まで自分のものに出来ればそれでいい、と。

 しかし今、こうして待ち望んだ瞬間に居合わせているというのに、祐二の心は全く動かなかった。
 考えていた甘い口説き文句を、唇に乗せる気になれない。
 祐二の脳裏に浮かんでいるのは、置き去りにしてきた水無瀬のことだけだ。
 何につけても偉そうで、可愛げの欠片もない、10近くも年上の男。

 どうしてだろう、不思議だ、と祐二は思う。
 自分の理想とする相手とは真逆の、しかも端から自分を馬鹿にしている、いけ好かない男なのに。

「・・・あのさ・・・、ちょっと訊きたいんだけど」
 と、祐二は躊躇いがちに口を開いた。
「・・・なに?」
 と、マコトが小さく首を傾げた。
「ええっと・・・、こんなこと今訊くなよっていうような、デリカシーのない質問なんだけど」
「・・・いいよ。なに?」
「ん・・・、マスターが好きな貴って奴とマコトって、方向性が全く違うだろ?雰囲気とか、性格とかさ」
「そうだね、確かに」
 あっさりと頷くマコトの方へ祐二は軽く身を乗り出し、
「だよな。だからさ・・・、そもそもこりゃあ無理だ、好みと違いすぎる、とか・・・思わなかった?」
 と、言った。
 それを聞いたマコトは軽く声を上げて笑い、はっきりと首を横に振る。
「そんなこと、全然思わなかったけど」
「 ―― どうして?」
「どうしてって、だって、好みはあくまでも好みでしょ。付き合って、一緒にいるうちに馴染んできて、いいなって思って、何度も会いたくなって・・・その積み重ねが恋愛なんだから、好みなんて最終的には関係ないと思うから」

 悄然とした中にもきっぱりとした雰囲気のあるマコトの言葉に、祐二は衝撃を受けた。
 当然といえば当然の意見だが、改めて他人の口から聞かされると違う重みがある。
 そして最近どうにももやもやとしていた疑問や不審が、マコトの言葉を耳にした瞬間、とんとんとあるべきところにはまってゆく気がした。

「 ―― 悪い、マコト。俺、帰るわ」
 勢いよく、祐二は立ち上がる。
「えっ?」
 驚いて、マコトが顔を上げる。
「ごめんな、マジで。話、もっと聞いてやりたいんだけど ―― 待たせてる奴がいるんだ、実は」
「・・・、・・・そっか。分かった。
 こっちこそごめんね、突然呼び出して」
「いや。とにかく、もう一度マスターに会って、きちんと話をしてみた方がいいと思うぜ。このまま仕事辞めたりしたらお互い後味悪いし、後悔するんじゃねぇの?」
「 ―― ん。そうだね。そうしてみるよ」
 マコトが頷くのを見て祐二は軽く右手をあげ、店を飛び出した。