その後水無瀬は何度かQueenに顔を出したが、祐二は店に姿を見せなかった。
 行きつけの店に足を運んでいるだけで、祐二を待っているつもりはなかった。
 けれど店の扉が開く度、入ってくる人間の顔を確かめてしまう自分に、水無瀬はもちろん気付いていた。

 因みにマコトは何事もなかったかのように、店で働いていた。
 祐二に電話をかけてきた時には泣いていたらしかったし、マスターと恋愛がらみのトラブルがあったのは確かだろう。
 その証拠に ―― 水無瀬が裏事情を知っているせいもあっただろうが ―― マスターとマコトの間には、これまでになかった微妙な緊張感が漂っていた。

 それでもマコトが店を辞めない理由は考えるまでもなく、マコトがマスターを諦め切れないからだ ―― マコトが時々マスターに送る視線は、如実にそれを物語っていた。
 祐二が“弱みにつけ込”んできても(1年以上も隙を狙っていたらしいし、つけ込んだに違いない)、流されることはなかったのだろう。

 凄いな、と水無瀬は思う。
 尊敬にも似た、それはそんな思いだった。

 相手に好きな相手がいても、報われない予感があっても、それでも相手を追いかける揺るぎない気持ち。
 好きだという気持ちを発し続ける勇気。
 絶対に諦めないという強い決意。

 マコトがこの店で働き続ける気持ちの背骨になっているのであろうそれらの、真剣な想い。
 それに引き替え自分はこれまで、気持ちが良くて都合のいい部分だけをつまみ食いするような、疑似的で夢見るような恋愛しかしてきていないのではないか ―― そんな風に思え、水無瀬は自己嫌悪にも似た重苦しい気分になってゆくのを止められなかった。

 埒もない考えごとをして長居をしてしまい、その日水無瀬がQueenを後にしたのは夜の11時を回った頃だった。
 自分が暮らすマンションへ向かう間もぼんやりとしてしまい、そのせいで水無瀬は自分が暮らす部屋の前に不審な人影があることにすぐ気付けなかった。
 いや、人影があるのは見てすぐに分かった。が、こんな時間にマンションの廊下に人が立っている異常さに気付くのが遅れたのだ。

 エレベーターから降りて来た水無瀬の姿に気付いたその人影は、もたれていた壁からゆっくりと背中を離し、背筋を伸ばした。

「お、お前 ―― なんだその格好は・・・!」
 静まり返った深夜のマンションの廊下だということに考えを巡らせる余裕もなく、水無瀬は叫んだ。
 驚きのあまり、とても声を抑えられなかったのだ。

 1か月以上ぶりに顔を合わせた祐二は、何故かスーツを着ていた。
 ずいぶん着崩しているせいで、ほとんどホストのようだったが ―― いや、胸ポケットに無造作に差し込まれているサングラスをかけたら、新宿という土地柄、危ない夜の住人だ ―― スーツはスーツだ。

 だがしかし、スーツはどうでもいいのだ。
 普段ヒッピーのような格好ばかりしていてワイシャツを着ることすらなかった祐二のスーツ姿は相当新鮮であったが、それは些末な変化であった。
 スーツより何より、祐二の頭が・・・ ――――

「なんなんだ、そのハゲ頭・・・っ!」
 と、水無瀬は喚いた。
「・・・ハゲとか言うな」
 と、祐二はさも嫌そうに顔をゆがめて言った。

 そう、長髪だった祐二の頭は見事に短く刈られており ―― しかもそこには細い線状の剃り込みが交錯するように入れられている。
 つまり長髪大量三つ編み頭が、ナスカの地上絵風頭になっていたのだ。

「ハゲはハゲだろっ、そんな変な頭・・・!」
「・・・、せめてスキン・ヘッドとか言えねぇのか」
「何でもかんでも横文字にすれば格好いいと思うのは大間違いだっ。大体おかしいのは頭だけじゃない、いや、頭も十分変だが、そのスーツ、・・・!」
「ったく・・・、うるせぇなあ、相変わらず ―― と、祐二は上げた右手でざらりと頭を撫でてため息をついた ―― 長髪は嫌だとか、ぼろ切れみたいな服を着るなとか、アンタが自分で言ったんだろうが。もうボケてんのかよ」
「・・・、っ・・・ ―――― 」

 ぐっと言葉に詰まった水無瀬は、そこではたと気付く ―― そうだ、自分はもう金輪際、祐二とは会わないと決めていたのだ。

「・・・そうだな、まぁ、もうそんなことはどうでもいい ―― 帰れ、こんな風に周りをうろつかれるのは迷惑だ。お前とはもう会わないと言っただろう」
 冷たい口調を取り繕って水無瀬は言い、祐二の脇をすり抜けてキーを回し、ドアを開けて部屋へと入ってゆく。
 が、当然のように伸びてきた祐二の手が、閉まりかけたドアを掴んで止めた。
「待てよ、んなの、アンタが勝手に言ってただけだろ。話があんだよ」
 と、祐二は言った。
「俺にはない」
「アンタになくても、俺にはあるんだっつの」
「聞きたくない。俺はもう、あんなダラダラした関係は ―――― 、っ!」

 水無瀬の過ぎるほどの頑なな態度にしびれを切らしたのだろう、祐二が無言でドアの隙間に身体を滑り込ませ、半ば押し入るように玄関に身体を入れてくる。
 水無瀬は渾身の力を込めて祐二の身体を外に押し出そうとしたが叶わず、そのまま上腕部をきつく掴まれて壁に押さえつけられてしまう。

「な、なにをする ―――― !!」
「アンタが好きだ」

 激しく怒鳴りかけた水無瀬の言葉を遮り、祐二は噛みつくような口調で、唐突に言った。