祐二の突然の告白に、水無瀬はただただ唖然とした。
 壁に押さえつけられているのに抵抗することも忘れ、中途半端に口を開けたまま、その場に立ちつくす。

 目の前にいるこの男は、今、一体、何を言ったのだろう?

 予想外すぎる祐二の言葉に、水無瀬の思考回路は完全に麻痺していた。
 難しくもなんともないはずの言葉の意味が、全く分からない。理解ができない。

 やがて祐二がゆっくりと身を屈め、顔を近づけてくるのさえ夢の中の出来事のようで、水無瀬にはそれが現実世界の中で起こっていることとは思えなかった。

 だが唇が触れ合う一瞬前 ―― 唇の皮と皮の間に薄紙一枚挟まったくらいの距離まで祐二が近づいて来たところで、水無瀬は我に返る。
 我に返るのと同時に、色々なことが ――――

 祐二の告白の言葉の意味とか、
 水無瀬の腕を掴む祐二の指に込められた力とか、
 密着した祐二の身体の硬く張りつめた筋肉の気配とか、
 服を通して伝わってくる熱によって思い出される、祐二とのセックスの記憶とか、・・・・・・

 そういうものが、唐突に、現実味を帯びてくる。
 一気に極彩色を帯びたそれらが放つ光に、水無瀬の精神が瞬く間に白く感光してゆく。
 一瞬にして沸騰するようになった体中の血液が、かっと頭に上ってゆくような感覚もあった。

 だが水無瀬は祐二の発する強烈な吸引力に倒れ込みそうになる精神を、驚異的な意志の力で引き戻す。
 こんなところで8歳も年下の男に弱みを見せるなど、プライドが許さない。そうじゃないか、そうだろう ―― 必死で、自分に言い聞かせる。
 何度も、何度も、まるで自分に催眠術をかけるみたいに。

「・・・マコトに振られたから、乗り換えようっていうのか?軽く見られたもんだな、俺も」
 殊更にせせら笑うような態度で、水無瀬は言った。
「確かに俺は最初の夜、簡単に落ちたように見えただろうしな。落としやすい男だと思っているのかもしれないが、生憎と俺は、お前みたいのに弄ばれるほど落ちぶれちゃいない。
 大体、考えてもみろ。遊びであったとしても、お前なんかが俺に釣り合うと思うのか?若さゆえに自分を過大評価するにしても、ものには限度ってものがある。冗談にしても笑えないし、本気で言っているのだとしたらタチが悪い ―― 勘弁してくれ」

 一息にそこまで言ったところで、水無瀬は言葉を切った。
 息が切れたせいもあったし、水無瀬を見下ろす祐二の厳しい視線が ―― 目を逸らしていたので直接は見ていなかったが、注がれる視線の気配は痛いほど感じられた ―― 言葉を続けさせなかった。
 言葉を重ねれば重ねるだけ心が押しつぶされてゆくような、返す刀で自分自身を切り刻んでいるような感覚があり、それが言葉を選んで口に出してゆくプロセスを阻んでいたせいも、あったかもしれない。

 沈黙が流れた。
 それはあまりにも冗長で、奇妙な圧力がかかった沈黙だった。

 顔を上げるどころか、身動きさえ出来ず ―― 果てには息苦しくすらなってきて、水無瀬は何故か泣きたくなる。
 もう殆ど残っていない気力を浚うようにしてかき集め、緩みかけた涙腺を何とかギリギリのところで引き絞った時、祐二が口を開いた。

「 ―― アンタの経歴は、調べさせてもらったよ」
 妙にゆっくりとした言い方で、祐二は言った。
「ネットでちょっとググったら、ズラズラ情報が出てきた。
 C大の法学部在学中、趣味で始めた株取引で1億近い利益を出してメディアに取り上げられ、株取引の世界に身を投じつつも“学費を出してくれた親の顔をたてて”司法試験はうけて初年度に一発合格、でも弁護士にはならずにそのまま株式の世界に留まり、今や国内外の証券関連会社からの引き抜きやオファーが引きも切らない、超トップ・クラスの天才株式トレーダー」

 教育テレビのナレーションのような、感情のこもらない言い方で祐二は言った。

「確かにアンタは学歴も頭も稼ぎも、超一流なんだろう。そういう意味ではアンタほどレヴェルの高い人間は、滅多にいない ―― それはそうなんだろうよ。
 けどな、俺が今、アンタに真面目に告白してることくらい分かんだろ。それに対してそんな言葉を平気で投げつけられるヤツなんて、どんなにオベンキョウが出来ても、カネ稼げても、人としては最低じゃねぇ? ―― ま、俺“なんか”に最低とかって言われても、アンタにとっちゃ、痛くも痒くもねぇんだろうけど?」

 そう言った祐二はほっぽり投げるようなやり方で水無瀬の腕を放して部屋を出、がしゃんと音を立ててドアを閉めた。

 目の前でドアが閉まったのと同時に、水無瀬は身体中の力が抜けてゆくのを感じた。

 もう会わないと、忘れると決めていた男が去っただけなのだから、どうということはない ―― この1ヶ月ずっと自分に言い聞かせて来た言葉を、水無瀬は脳裏で繰り返す。
 だが効果はまるでなく、ぐったりと壁に凭れたまま指先一つ動かせなかった。
 先ほど涙腺を締め直した時、気力の全てを使いきってしまっていたのだ。
 もうなにも、なにひとつとして、誤魔化せない。
 二度とまっすぐに立てないのではないかとすら思えた。

 どうして。
 どうして自分は、マコトのように素直になれないのだろう、と水無瀬は思う。

 年下は好きじゃない。
 スマートじゃない格好をしている男は好きじゃない。
 きちんとした日本語を喋らない男は好きじゃない ――

 全て本心だったが、でもだからといってそれらが祐二を嫌いだという理由にはならなかった。
 そんなことはとっくの昔に分かっていたのに、意地を張って、頑なになって、祐二を怒らせてしまった。

 最低だ。祐二の言う通り、俺はありとあらゆる意味で、最低だ・・・。

 自らをそう糾弾した水無瀬の目尻から、つと透明な糸がこぼれ落ちる。
 涙の軌跡を辿るように、身体がずるずると壁に沿って沈み込んでゆく。
 声を上げて泣き出しそうになるのを堪えることなど、もう出来ない ―― そう水無瀬が思った、次の瞬間。

 閉まっていたドアが、勢い良く開いた。

「なぁんてな、どうだよ、ちっとは反省し ―――― 」

 ドアを開いてそう言いかけた祐二は、見下ろした水無瀬の頬に伝う涙を見て、虚をつかれたように言葉を途切れさせた。
 だがすぐに表情を改め、どこか呆れたように呟く、「ったく・・・、アンタ、マジでどうしようもねぇな。なんでそんなになるまで突っ張んなきゃなんねぇの?」

 唐突にドアを開けた祐二を唖然として見上げていた水無瀬は、そう声をかけられてはっと我に返る。

「 ―― っ、な、な、なんなんだ、お前は・・・!」
 と、水無瀬は怒鳴るのと同時に慌てて顔を伏せたが、何をどう誤魔化そうとしても、全てが後の祭りだった。
「・・・マ、マコトのことはどうなったんだ・・・」
 屈み込んで水無瀬の顔をのぞき込み、頬に伝う涙を指で拭う祐二を見ないまま ―― 見られないまま、というのが正確なところだったが ―― 水無瀬は言った。
「別にどうもなってねぇよ。好きだったのは本当だけど、告白すらしてねぇ。その前にアンタに惚れてるって、気づいたからな」
「・・・、う・・・、うぅ・・・」
「なぁに唸ってんだよ。ホンット面白いよな、アンタって」

 笑いながらそう言って、祐二は強く水無瀬を抱き寄せた。
 呆れたような物言いとは裏腹に、その手には水無瀬の意地や突っ張りを全て包み込もうとするような、強くて暖かな力が込められていた。

 ―― 2人が同じマンションに同居しはじめたのは、それから3ヶ月後のことだった。

―――― 夢ばかりみていたい END.
to be continued...一緒に暮らそう