「・・・“萌える”とか言うな。そういう流行言葉を口にすると、問答無用で馬鹿に見えるぞ」

 と、しかつめらしく文句を言いながら、俺は何だかもう泣きそうだった。
 それは嬉しさからというより、悔しさとかもどかしさとか焦りとか苛立ちとか ―― うまく言葉に出来ないが、そういうじりじりとした重苦しさから生じる感情の高まりであった。

 どうしてこいつに対すると俺はこうなんだ、と思うが、どうしようもない。
 いつもそうだ。そもそもの、最初のところから。

 俺たちがつき合うきっかけとなったあの時。
 完全に崩れ落ちそうになった一瞬前、取り繕う間を与えられずに差し伸べられた手に抗う暇もなく抱き寄せられ ―― しかもそれは一度きりの偶然でなく、祐二はその後もことあるごとに、まるで空気のように自然に、俺が楽になれるタイミングで、楽になれる言葉や態度をくれる ―― その心地よさがもたらす快感は今や、麻薬のように俺を侵しきっていた。
 これまではいつでも、どんな時でも纏うことの出来た自己プロデュース後の理性的で冷静な自分が、祐二を前にするとあっと言う間もなくどこかへ行ってしまうのだ。

「・・・でも、・・・・・・」
 往生際悪く天井を見上げたまま、俺は言った。
 きっと後でどうしてあんなことを口走ったのかと激しい後悔に苛まれると思ったが(そして実際その通りだったのだが)、その時はどうしても、止められなかった。
「・・・でも?」
 と、祐二は俺の指先をひねくり回すようにしながら、静かに繰り返す。
「・・・俺は・・・」
「俺は?」
「・・・お前よりも、8歳も年上だし・・・」
「んん」
「・・・俺がお前の好みと全然違うのは、誰に言われなくても分かっているし・・・」
「・・・ほー」
「・・・趣味とかも・・・、全く合わないことだって、知っているし・・・」
「へー」
「・・・お前な・・・、俺を馬鹿にしてるのか?」
「えー?いや、そうじゃないけど、でもそんなこと言い出したら、俺なんかどうなンだよ、っつー話じゃねぇか」
「・・・どうして?」
「どうしてもこうしても、今あんたが言ったことって全部、おんなじことが俺にも言えるだろうが。8歳も年上、ってところが年下になるだけでさ」
 と、祐二は言い、俺の指先を弄んでいるのとは逆の手でベッドに頬杖をつく。
「他にだって色々・・・言ったり考えたりしだすと虚しくなるくらい、あんたと俺じゃレベルが違うことが多すぎる。そんなのはそれこそ俺は、嫌ってほど分かってるんだよ」
「・・・レベルなんて、・・・そんなの・・・別に・・・」
 と、俺はぼそぼそと言った。
 建前を口にしているつもりはなかったが、祐二と知り合ったばかりの頃、自分が彼に向ってそういうような事を言ったのは覚えていた。
 もちろん祐二もそれを忘れてはいないだろうと思うと、言葉が白々しく聞こえやしないかと思えたのだ。
 しかし祐二はそれについて特に突っ込んだりはせず、
「・・・さっきさ、あんたの携帯が何度も何度も鳴ってたから出たんだよ。あんた、いつもそういう時、出て用件聞いといてくれって言ってたから」
 と、言った。
 唐突に話題が変わったように思え、俺は首を曲げて祐二を見る。
「・・・あ、ああ、そう・・・、ありがとう。誰からだった?」
「元木さん。あんたが今日も仕事してるんじゃないか、もしそうなら手伝おうと思って、って・・・心配してたみたいだった。で、事情を説明したらすげぇ驚いてたぜ、あのスケジュール明けにこの炎天下でバーベキューなんてあり得ない、そりゃあ倒れない方がおかしいって。さすがマネージャー、やることが違いますね!とか、やたら感心してた。なんか、面白い人だよな」
「・・・面白いっていうのか、それを」
「面白いだろ、何よりいい人そうだったし。・・・でさ、そういう時も俺は、いちいちあんたとの差を思い知る訳だよ」
「・・・なんだ、それ。電話に出て要件を聞くのに、差も何もないじゃないか」
「と、思うだろうけど、それがあるんだよなぁ。電話ひとつ出るのに、こっちはドッキドキの冷や汗もんなんだよ。って言うのもほら、あんたの代休と俺の休みが重なったときとか、あんたの携帯に会社から電話がかかってきたりすることがあるだろ?」
「・・・ああ」
「そういう時に今の今まで俺と馬鹿話してたあんたが、電話出た瞬間スイッチ切り替えるみたいに“ヘイ、ヨー”とか外国語喋り出すの見てっとさー・・・」
「あのな。俺はそんな、安っぽいラップ歌手みたいな語り出しで電話に出たことは一度もない」
 と、俺が思わず鋭く抗議すると、
「うっるせぇなぁ、ちょっとした例えだろうが。いちいち突っ込むなよな」
 と、反論しつつも祐二は何故か、嬉しそうに笑った。
「・・・誰になに言われたのか、想像つかない訳じゃねぇけど ―― とにかくあんたは、俺の前では無理しちゃ駄目なんだよ。俺の前でだけはあんたが自然体でいられるのかな、って・・・それが比較的って話であっても、そこが俺の最後の砦なんだからさ。そこ奪われたら討ち死に確定っつーか、いじけるぞ、俺は」
「・・・いじける?お前がか?」
「ああ、いじけるね。日がな一日部屋の片隅で三角座りして、床にのの字とか書き出すぞ」
「・・・そんな生産性のない状態になったら、問答無用で蹴り出すからな」
 と、俺は冷たく言い放つ。が、それと同時に祐二の触れたままになっていた指先を強く掴んだ。
 それだけで祐二は俺の気持ちを察するだろうという確信が俺にはあったし、実際祐二は、
「うわ、ひっでぇ。愛が感じられねぇよー」
 と、文句を言いつつさりげなく身体を屈め、俺にキスをした。
 そしてそれから小さく身体を起こして囁く、「点滴が終わったら速攻で帰ろう。あんた、この数日ろくなもん食ってねぇんだろう。俺も明日は何も予定がないから、あんたが食べたいもの、片っ端からなんでも作ってやる」

 祐二のその声と視線を受けて照れくさくなった俺は掴んだ指を振り払おうとしたが、もちろん祐二はそれを許してはくれない。
 それなら、と顔だけ逸らそうとしたのも、素早く伸びてきた指に顎を捉えられて止められる。
 再び口付けてくる祐二をなし崩し的に受け入れて、俺はゆっくりと、瞳を閉じてゆく。

 閉ざした瞼の裏にも触れてくる祐二の唇にも、切ないほどに甘く、暖かな気配があった。
 それは窓の外の景色や病室を染め抜いている夕陽色のグラデーションが纏っているものと、どこか、似ている気がした。

―――― 終る夏、夕陽の窓 END...オマケ短編に続く☆