Fight C Luv

14 : 闇に堕ちて

「いやはや、実に凄まじいな。もう少しお手柔らかに願えませんか?」

 と、彼は薄い微笑を口元に漂わせて、言った。

 自分が何を言われているのか分からず、荒い呼吸の中から、
「・・・な、に・・・が・・・ですか・・・?」
 と、俺は途切れ途切れに訊き返す。
「・・・ん?・・・うん、いや・・・危うく巻き込まれそうだったからさ」
「・・・な、なにを・・・、っ、あ、ああっ!」
 と、そこで再び限界まで躊躇いなく征服され、俺の言葉は悲鳴に取って代わる。

 でも彼が俺の奥深くにとどまっていたのはやはりほんの一瞬の事で、彼はさっきと同じ様に異様なほどゆっくりとした速度で俺から抜け出てゆく。

 そのように繰り返される香椎先生の動きが俺の内部を味わい尽くそうとしているものなのか、焦らそうとしているものなのか、それは分からない。
 分からないけれど確実なのはただ、その動きを繰り返されるごとに快感が凄まじいばかりの勢いで増してゆくということだけだった。

「・・・っ、そ、んな・・・、っ、あアああぁっ・・・!や、ん、あぁ・・・!」

 強すぎる、鋭すぎる快感に耐えかねた俺は、ベットに肘を突くようにして上に逃げようと試みる。
 が、それは腰を押さえていた彼の手によって引き戻され、淫らに繋がり合った部分を弄っていた方の手で頭を抱えられて完全に封じ込められる。

「あぁ・・・っ、もう・・・っ・・・ ―― んん・・・ッ・・・!」

 上がりかかった悲鳴は噛みつくように押し付けられた唇で遮られ、舌の上に微かに残った悲鳴の残骸も、瞬く間に喉の奥に消え去ってゆく。
 巧妙なやり方で舌を絡みとられ、行き場をなくした悲鳴は身体中を隅々まで満たす熱と共に、俺の内部を駆け巡る。
 奥底からどんどん湧き上がってくる熱によって、身体が端から溶けてしまうんじゃないかとすら思った。

 湧きあがる恐れに後押しされるように、彼の背中に両手を伸ばしかかったけれど ―― 俺はギリギリの所で、その衝動を堪える。
 抱きついてしまったら最後、俺はきっと、望みのない夢を見てしまう。
 その夢を、追わずにはいられなくなってしまう。
 そういう確信が ―― 感じさせられている快感と熱以上に強い確信が ―― 俺にはあったのだ。

 あっと言う間にどこか知らない場所に流されていってしまいそうな焦燥感に脅え、震える手がシーツに触れる。  俺は必死になって、縋りつくように、それを掴んだ。

 恐怖に慄くような俺の様子見て、何を思ったのだろう ―― きつく押し付けられた腰に宛てがわれていた彼の手が背中に、側頭部より少し頭頂寄りを押さえていた手が肩に回されて抱き締められる。
 ぴたりと重なった胸で彼の肌を感じて、泣きたくなった。

 唇を離したその距離で見下ろされ、慌てて目を伏せた俺をきつく抱き締めたまま、彼が少しだけ腰を揺らす。
 それは本当に小さな動きだったのに、その拍子に繋がっている場所が擦れ合って高い水音が響き ―― 卑猥すぎる音を耳にした途端に、びりっと身体が震えた。
 彼の動きが段々と速さと激しさを増し、快感がそれに呼応して強まってゆく。

「あぁあっ、んん・・・っ!」

 彼の動きに合わせて、俺がいやらしく動いているのが分かった。
 そんな風に動こうとなんか思っていない、それどころかもうこれ以上の快感には到底耐えられないと感じているというのに、俺の内部はそれとは逆の事を彼に訴えかけている。
 片足を抱え上げられた格好で、これ以上入り込めない所まで彼に征服されているのに、俺の身体はもっと強く、もっと激しく、彼を感じたいと叫んでいるのだ。

「あ、あぁっ、あぁ ―― ん、あぁあああ・・・っ、・・・!!」
 奥を突き抉られるたびに、唇から意味の分からない声が溢れ出す。
 縋りつくようにシーツを掴む指が、痙攣するみたいに震えている。

 濡れた肉が擦れてぶつかり合う音と、交錯する熱い吐息と、時々それに混ざる彼の低いうめき声 ―― 俺たちを包む熱い空気。
 それらを越えて、瞬く間に、限界が近付いてくる。

 早く熱い波に全身を浸して楽になりたいという気持ちもあった。
 けれど同時に、攫われる瞬間を出来るだけ先延ばしにしたいという気もした。
 この時が終るという事、彼自身によってもう一度極みを見るという事、それはつまり、全ての終りを意味するのだから。

「 ―― や・・・っ、か・・・しい、せんせ・・・!」
 と、俺は彼を呼ぶ。

 答えるように彼は俺の首筋に強く唇を押し付け、そこに軽く歯を立てるようにした。
 ぎくりと背を逸らした俺の腰が押さえつけられ、畳み掛けるように突き上げられる。
 首から這い降りてきた唇が胸を辿り、その頂を舌で嬲られる。
 震えてうねる身体の真芯が、突き破られるんじゃないかとさえ思った。
 喉を逸らして達した俺を、彼は無言で揺さぶり続ける。
 信じ難い事にその後時を置かずに再び快感が ―― 達する前のような強い快感が蘇ってきて、俺は愕然とする。

 俺は一体、どうなってしまうのか・・・ ――――

 答えを見つける暇もなく彼の思うままに翻弄されて、今自分が何をしているのか、どうしてこんな事をしているのか、今、この瞬間に俺が感じているのが快楽なのか苦痛なのかの境目すら、曖昧になってゆく。

 そんな混沌の極みのような中、彼のあの美しい指でもって指し示された暗闇に、俺は堕とされてゆく。堕ちてゆく。

 意識を手放す直前に、煮えたぎったような熱い彼の精が、叩きつけられるように体内へ放たれるのを感じた・・・ ――――

 携帯電話が振動する音で、意識が覚醒した。
 彼が半身を起こすのに合わせて、ベットが軋む。

 携帯電話を開く音がして、彼が低い声で電話に出た。
 名のった後、先生は黙って相手の話を聞いていた。
 受話器から漏れ聞えて来る声は微か過ぎて、内容は全く聞き取れない。
 しかし何故かそれは秋の夕暮れに、いつまでも色褪せない辛い過去の出来事を単調に話しているように聞こえた。

 淡々とした相手の声が途切れた後、
「・・・分かった、すぐに行く。そうだな・・・30分か、40分位で着けると思う」
 と、ベッドから降りながら、香椎先生は言った。
 次いで細かい投薬の指示を出す彼の声が遠ざかってゆき ―― それと入れ替わるようにシャワーの音が聞こえて来る。

 やがてバスルームから出て来た彼が身支度を整えている間、俺は目を閉ざしたまま、じっと横たわっていた。
 どんな顔をして何を話せばいいのか分からないとか、そういうのもあった。もちろん。
 でもそれより、事が終わって冷静になってみた後で、
“お酒を飲んだ勢いで、間違いだった”とか、
“雰囲気に流されただだけで、特別な意味はなかった”とか・・・
 そういうのを確認されたり、認識し直すのは下らないし、無意味な事だと思ったのだ、しかし・・・ ―― しかし香椎先生は最後、ベットの端に腰かけて時計を腕につけながら、
「寝たふりは、もうその辺にしたらどうだろう?」
 と、言った。

 俺は仕方なく目を開けて首を回し、彼を見た。

「なぁ、君、次の休みはいつなのかな」
「・・・え・・・?」
「 ―― 次のお休みは、何日なんですか?」
 ひとつひとつ発音を区切るように質問を繰り返され、俺は痺れたままの頭で必死に考えてから答える。
「今度の、土曜日、ですけど・・・」
 ふぅん、と呟いた彼は、2秒と半分くらいの間をとって、
「土曜日は俺も早番だから、もし夕方以降に暇があったら・・・その日じゃなくてもいい、暇があったら連絡して」
 と、手帳の1ページに何かを書き付けて破り、それを俺に差し出した。
 反射的に受け取った紙片には、携帯の電話番号とメールアドレスが書き込まれていた。
 驚いて顔を上げた俺に目だけで微笑み、彼は立ち上がる。
「こんな所に一人で置いて行くのはいささか心苦しいんだけど、仕事だから勘弁してください」
「・・・はぁ・・・いや、いえ、別に・・・」
 と、意味不明な返事をした俺を見て、彼は今度ははっきりと声を上げて笑った。
「今から家に帰るなら、ちゃんとフロントにタクシー呼んでもらって帰ってくださいね。
 じゃあ、また」

 そう言って軽く右手を上げてから、彼は振り返る事無く、部屋を出て行った。