Fight C Luv

19 : 秘密の関係

「なぁ、今度の休み、みんなで飲みに行くんだけど、直も来ないか?」

 ある日食堂で遅いお昼ご飯を食べようとしていた時、入れ替わりで仕事に戻ろうとしていた同僚が、思い出したようにそう声を掛けてきた。

 悪いけれど、と俺は答える。ごめん、その日はちょっと、予定があるんだ。

 彼はそっか、じゃあ又今度誘うわ。と言って笑い、軽く右手を上げて去って行った。
 ちょうど食堂の入り口で会って一緒に食事をし始めようとしていた陽介が、彼らが食堂を出て行ったのを見届けてから俺を見て、
「直、白状しろ」
 と、言った。
「・・・え?何を?」
 はっきりとした予定があった訳じゃないのに誘いを断ったのがばれたのかと思い、どきりとして俺は訊き返した。 「お前、恋人が出来たろう」
「・・・、何を言ってるんだよ、突然。いないよ恋人なんか」
「しらばっくれても無駄だっつの。ちょっと前からなんかおかしいって、思ってたんだよな」
「なんかおかしいって、どこがおかしいんだよ。俺は至って普通だし」
 何気ない風を装って箸を手にしながら、俺は笑う。
「恋人なんて今のところ、影も形もないよ。俺みたいなのは、そう簡単に恋人なんか出来ないんだって。考えすぎだよ」
 俺が答えると、陽介は横目で確かめるみたいに俺の様子を伺うようにした。
 別に慌てる必要もなかったので、俺は淡々と食事を続ける。
 俺のその態度を見て、陽介は納得したようなしないような様子でお味噌汁の入った椀を持ち上げる。
「おっかしいな。直のこういう事に関しては、勘が外れた事ないんだけどな」
「勘なんて、時々は外れるもんだよ」
「そうかな・・・、でもまぁ、そうだよな。直は香椎裕仁狙いだしな」
「・・・っ、陽介・・・!そんな事、こんな所で言うな・・・!」
 飲み込みかけていた唐揚げを喉に詰まらせそうになり、慌ててお茶を飲んでやり過ごしてから俺は言った。
 そして不用意な陽介の発言を聞いていた人間がいやしないかと、辺りを見回す。

「大丈夫だよ、誰もいない。確認して言ってるに決まってるだろ、そんなの」
 事も無げに、陽介は言った。
「で、前にも言ったけど、こっちからアクション起こさないと何にも発展しないぜ。香椎に声とか、かけてみねぇの?」
「・・・だからそもそも、アクションなんて起こす気がないんだよ。好きというより憧れに近いし ―― ああそうだ、そういえば昨日、沙紀さんから見たい映画があるってメールが来てたよ。
 今度見に行くことになったけど、やっぱり陽介は来ないんだよな」
「あぁ、俺は遠慮しとく。あいつの見る映画はくっだらないのが多くて、つき合ってられねぇんだよ」
「・・・下らないってことはないだろ」
「だってあいつが見る映画はどれもこれも惚れた腫れたって、そんなのばっかりじゃないか。趣味じゃないんだ、ああいうの。
 直にはいつも代わりにつき合ってもらって、悪いとは思うけど」
「悪いなんてないよ、全然。沙紀さんとは話してて楽しいし、映画を見るのは元々好きだし」
「そっか、じゃあ頼むわ。あいつとは基本的には気が合うんだけど、映画の趣味だけは合わねぇんだよな。無理してつき合っても途中で思わず寝ちまって、後で喧嘩になるのがオチだしさ。この間だって、・・・」
 と、陽介の話題が上手く逸れて行ってくれたのでホッとしつつ、俺は陽介の話に相槌を打つ。

 実はあれから、香椎先生とはもう何度も会っている俺だった。

 待ち合わせの時間と場所を指定する彼からの電話を毎日ひたすらに待ち、待ちこがれた電話が来たら今度は指定されたその日が来るのを指折り数えるような勢いで待ち、当日、彼が指定したその場所に行き ―― 一緒に食事をして、多少の緊張と共に話をしたりして・・・その後は・・・まぁ・・・、色々と、あったりする。

 時折、ただ食事をして、話をして、それだけで家まで送り届けられる時もあった。
 そんな時は“なんだか本物の恋人みたいだな”などと考えたりして、考えた次の瞬間、却って空しくなったりもした。
 女の人と違って、“今日は駄目”っていう日はないだろうに、どうして何もしないんだろう?と不思議に思って、そういう時 ―― 俺をホテルとかに誘おうとしない時 ―― の彼を観察してみた事もあった。
 実際、今もそうだったりする。最近、彼は一切俺を抱こうとしなかった。
 もしかしてそろそろ飽きられて、切られるのかな。と思ったりもしたけれどそういう様子はなく、彼はここ数回、俺を色々な所に連れ出すだけで、キス以上の事をしてこないでいる。
 どうしてだろう、なんでだろう、と考え出すと仕事も手に付かず、科の上司に不審がられたりする有様だった。

 秋元、最近ケアレスミスが多くないか、どうしたんだ。
 今月は菅野(かんの)が突然休みになって(彼は俺と同期のカウンセラーなのだけれど、大阪で一人暮らしをしている父親が倒れ、急遽実家に帰ってしまっているのだ)シフトがきつくて辛いのは分かるが、来月になれば落ち着くから、頑張ってくれ、と。

 そう言われて以来、もう彼の行動についてあれこれ思い悩むのはやめようと、心に決めていた。
 何らかの理由があって ―― 疲れが溜まっているとか、何とか ―― そういう気にならないだけなんだろうと考え、それで納得する事にしようと思っていた。
 1、2週間全く連絡をしてこなかったと思ったら、たてつづけに3日、真夜中に電話をかけてきて“今から会えないか”と言ってくるような気まぐれな人の思考を理解しようと思うのが間違いなんだ、と。
 その求めに一切ノーと言わずに従っているお前もお前だろ。と突っ込まれたら、なにも言えないけれど・・・。

 とにかく、想像から派生する夢を見て、変に期待をしたりするのだけは嫌だった。
 そんな根拠の無い、妄想に近い期待を抱いてしまうくらいなら、身体だけの関係なのだと割り切って考えている方が楽だったのだ。

 だから恋人なんかいないと陽介に言ったのは、嘘じゃない。嘘ではない。
 でも学生の頃から俺を心配しつくしてくれた陽介に隠し事をしているのは誤魔化しようのない事実であり、それが何より一番、俺は辛かった。

 香椎先生とこういう関係を築いている事自体は、辛くなかった。切ないのは勿論だったけれど、辛さはなかった。
 俺はやはり彼が好きだったし、プライヴェートで彼と会って話をして、間近でその笑顔を見る事を許されるのは夢の中で起きている出来事ように思えたし、本当に嬉しいと思っていた。
 強引に抱き寄せられたり、何度も口付けられたり、最後に身体を熱く溶かされたりするのも、辛い事などには成り得ない。

 ただこんな状態にいる俺の現状を陽介に打ち明ける事だけは、どうしても出来なかった。
 真っ直ぐな性格の陽介に香椎先生とのこんな関係について打ち明けたら、
 絶対にそんなのは良くない。とか、
 身体だけで、心が伴わない関係なんて意味がないだろ。とか、
 一回しかない人生を、そんな風に安く切り売りするな。とか・・・ ――
 きっとそういう事を言われて、香椎先生との関係を強固に反対されるに違いない。
 いや、反対されるだけならまだしも、陽介の性格からして、香椎先生に直接意見したりすることだって考えられる。
 そんな状況になるのは想像するだに恐ろしいし ―― そのなかで“一度だけでいいから”などと言って俺から香椎先生に迫ったとか、そうして結んだ関係をずるずる継続しているなんて知られたら、軽蔑されるかもしれない・・・。
 そう考えたらとてもではないが、事実を告白する勇気など、俺には出せなかったのだ。

 しかしもし今後こんな事が知られたら、きっと陽介はどうして話さなかったと、烈火の如く怒るだろう・・・。

 食べ終わった食器のトレイを片付けながらそう考えた俺は、陽介に気付かれないようにそっと、溜息をついた。